明らかに、セックスに対する「敷居」は上がっている。フェミニズム運動やジェンダー平等の議論が活発化したことにより、セックスをめぐる倫理や同意の基準が劇的に厳格化されたからだ。
実際、性被害や性的ハラスメントに対する社会の感度は高まり、そこから外れた人間は社会から抹殺されるような勢いで糾弾されるようになっている。公共空間や職場でのコンプライアンス意識も徹底されるようになった。
コンプライアンス違反や性的スキャンダルのニュースは連日のように報道されており、有名人や一般人問わず、過去の言動や振る舞いまでさかのぼって糾弾されるケースも目立つ。少しでも道が外れたら、集団で袋叩きのような状況になる。
そのため、誰もが「自分もいつ批判される側に立たされるかもしれない」という不安にさらされるようになってしまう。下手なことはできない。誤解されることもできない。もし誤解されると、すぐに社会的信頼を失って人生が崩れる。
それは、普通に生きている人にとって、すさまじいまでのリスクだ。
そのため、セックスに至るまでに「自分は相手に非難されないだろうか?」という恐怖心が人々のあいだに生まれるようになってきている。
異性に声をかけること自体も「下心」と見なされかねない。そんな中で「恋愛やセックスに積極的になれ」というのがどうかしている。リスクを考えると、むしろ「異性には、かかわらないほうがいい」となって当然だ。
フェミニズムやジェンダー運動やコンプライアンスの強化は、セックスに対する恐怖心を生み出して敷居を引き上げ、人々をセックスから遠ざけ、セックスをリスクにして、セックスを遠ざけている。
もちろん、性的同意の概念が強調されることは、個人の人権や安全にとって大きな前進でもある。しかし、その一方で「間違ったことをすれば一瞬で社会的に抹殺される」という強い恐怖心を生む。
それは、何をもたらすのか?