高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダがこれから発令していくのだろうか?

高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダがこれから発令していくのだろうか?

貧困層が増えて、高齢者が増えて、その高齢者が困窮していく。増えてしまった高齢者を前に、今の日本政府がまともに対処できるとは思えない。そうであれば、困り果てた日本政府が電通みたいな会社に頼んで、高齢者に死を勧めるような洗脳を仕組むこともあるのだろうか?(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダ

高齢化社会のひとつの問題解決としてエリートTVコメンテーターの成田悠輔が主張したのは「高齢者の集団自決、集団切腹」であった。(若年層が高齢層を憎む時代に。日本はいよいよ「世代間の対立」が幕を開けたか?

集団自決、集団切腹は確かに比喩であったのだろうが、言いたいことは「早く死ね」ということであったのは間違いない。

たとえば、75歳以上の後期高齢者がみんな成田悠輔が言うように「集団自決、集団切腹」したら、高齢化問題は消えてなくなり、社会保障費の増大も消えてなくなり、現役世代の負担も消えてなくなる。

そのため、高齢者の心情を考えない冷酷な性格の人間は、成田悠輔以外にもこれから主張する人がどんどん出てくるだろう。

もしかしたら、日本政府が意図的に高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダを仕込んでくるかもしれない。たとえば、映画『PLAN75』も高齢層に死を考えさせるためのトリガーであったかもしれない。

洗脳ともなれば、これからは、よりソフトな言葉、より受け入れやすい新語を使って「高齢者に死を勧める」に違いない。SNSでも死への誘いなどが世論誘導として使われる可能性も十分にある。

日本政府はあまりにも無能すぎて、30年も国を成長させることができず、貧困層を減らすどころか増やす役割しか果たしていない。今の日本政府は社会問題をひとつも解決できない。

少子高齢化も、自主防衛も、経済成長も、何ひとつまともに解決できない。解決するどころか、税金を上げることばかり提案して、ますます国民を衰弱させてボロボロにしてしまっている。

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

「高齢化すればするほど幸福度が上がる」のか?

貧困層が増えて、高齢者が増えて、その高齢者が困窮していく。増えてしまった高齢者を前に、今の日本政府がまともに対処できるとは思えない。

そうであれば、困り果てた日本政府が電通みたいな会社に頼んで、高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダを密かに仕組むこともあるのだろうか?

うがった見方をしたら、成田悠輔の主張も「高齢者は早く死ね」のひとつの仕組まれたプロパガンダだったのかもしれない。

いや、日本政府がマスコミを通して「高齢者は早く死ね」という洗脳キャンペーンを成田悠輔を使って始めたという考え方は馬鹿げている。さすがに日本政府はそこまで邪悪ではないと私は思いたい。

しかし、これから「早く死んだ方がいい」みたいなニュアンスの意見がマスコミのあちこちから流れてくるのであれば、陰謀論を信じる人も多いので「たぶんそういうことなのだろう」と考える人も増えるだろう。

ところで、そうした政府の思惑とは別に、75歳以上の後期高齢者は「一刻も早く死にたい」と思って生きているのだろうか。それとも「まだまだ元気で長生きしたい」と思って生きているのだろうか。

その人の性格や経済環境で、「死にたい」と思うのか「生きたい」と思うのかはそれぞれだと思うが、これだけの高齢者が普通に暮らしているというのを考えると、「死にたい」と思っている人は少数なのかもしれない。

私自身は普段から高齢者と接しているわけでもないし、介護にもかかわったこともないので、高齢者の本音は分からないのだが、一説によると「高齢化すればするほど幸福度や人生の満足度が上がっていく」という傾向があるのだという。特に高齢女性はそうなるようだ。

ちなみに高齢男性はひとり暮らしになると急激に幸福度が下がってしまうので、高齢男性の場合は妻や家族が一緒にいるという前提がつく。

ただ、幸福度に関してはかなり個人差があるので、一般化はできないのかもしれない。しかし、総合的に見ると「高齢化すればするほど幸福度が上がる」という知見は興味深いと思ったものだった。

なぜなら、私は「高齢化すればするほど幸福度は下がってしまうのではないか」と思っていたからだ。

インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから

好きに生きているのだから、好きに死ぬ

なぜ私は「高齢化すればするほど幸福度は下がってしまう」と思ったのか。

高齢化すれば身体もガタがくる。物覚えも悪くなり、動きも鈍くなり、持久力なくなり、性愛もなくなる。後は死を待つばかりの人生となる。私には、かなり生存の条件が悪い状況になっているだけのように見える。

だから「高齢化すればするほど幸福度は下がる」というのが普通なのではないかと私は思っていた。つまり、すべての高齢者は不幸と不満を抱きながら余生を送っているのだと感じていたのだ。

しかし、後期高齢者は「幸せ」を感じて生きているらしい。これは私の感覚とは相反するものなのである。

実は私は数十年も前から「74歳で死ぬくらいでちょうどいいのだろう」と考えていて、実際に「74歳で死ぬ」つもりで人生の計画を立てている。

どのみち、これくらいの歳にもなれば物覚えも悪くなり、動きも鈍くなり、持久力なくなり、恋愛することもなくなるのであれば、それ以上生きる意味はないと思っているからだ。

人間の体は平均すると74歳あたりで健康寿命が失われるようだ。平均寿命は80歳近くあっても、大体の人は74歳を過ぎたあたりから介護が必要になって普通に日常生活を送れなくなってしまう。

あくまでも平均なので、その前に介護が必要な身体になってしまうこともあれば、80歳になってもかなり元気で普通に日常生活を送っている人もいる。しかし、74歳も生きたら普通はボロボロになるわけで、間違いなく私もそうなるだろう。

私自身は若いうちから今までずっと野良犬みたいに生きてきたので、死ぬ時も野良犬のように死ぬのが相応しいと思っている。飼い犬は介護されて生きながらえても、野良犬は介護なんかされずに行き倒れて死んでいく。

そうであれば、健康寿命が損なわれていく74歳あたりにさっさと死ぬのが私には合理的であり、自分に相応しいと思っている。これは最近になって思ったわけではなくて、もうずっと以前からそう思っていた。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

私のように考える高齢者は増えていくのかもしれない

好きに生きているのだから好きに死ぬ。死ぬ時は自分で決断して自分で死ぬ。74歳で死ぬ。これは、私に取っては不自然なことではなく、逆に自然なことでもある。

74歳というのは、あくまでも平均的な健康寿命の年齢なので、それよりも早いとか遅いとかはあるかもしれないが、要するに健康寿命を失って介護が必要になってまで生きたいとはまったく思っていない。

繰り返すが、これは私個人の感覚である。私はそう思っているし、そうすると言っているだけで他人にそれを勧めているわけではない。生きたい人は何歳でも生きればいいが、私はそこまで生に執着はないということだ。

これまで報道に接してきたが、これだけ高齢者が増えたのに、私のような選択を主張する高齢者や、実際に「介護が必要になったので死ぬ」という選択をした高齢者が皆無に近いほど存在しない。

ということは、私のように「74歳でさっさと死ぬ」とか言っている人間は、かなり例外的な存在であるというのがわかる。

自分で死ぬと決めてそれを実行した人は、私が知っている例で言えば、保守思想家だった西部邁《にしべ・すすむ》氏くらいだろうか……。

西部氏は「生の最期を他人に命令されたりいじり回されたくない」と述べて、78歳で断固として自死に向かっていった。この考え方が、私には「普通の感覚」のようにも見える。

74歳で死ぬと言うとかなり驚かれるのだが、健康寿命を失っても長生きしたいという方が私には驚きでもある。自分で自分で決めた年齢で死ぬというのはどうも一般的ではないようだ。

しかし、ふと思うのだ。

もしかしたらこの10年くらいで私のように考える高齢者は増えていくのかもしれない。その時は、きっと高齢者に死を勧めるような洗脳やプロパガンダが静かに進められていたということなのかもしれない。

果たして、どうなるのだろうか……。

野良犬の女たち
『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト(鈴木 傾城)』

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

少子高齢化カテゴリの最新記事