1960年代、1970年代の東南アジアは戦争の時代だった。アメリカはこの頃、「共産主義が世界を覆い尽くすことによって資本主義が消滅する」という危機感を抱いていた。
そのため、東南アジアが共産主義化するのを避けるためにベトナムに介入し、アメリカの泥沼の戦争となる「ベトナム戦争」を長らく戦うことになる。
当初は東南アジアを共産主義者から守るという大義名分があった戦いも、泥沼になるにつれて厭戦気分が広がるようになっていき、アメリカ国内でも反戦運動が燃え広がるようになっていった。
そうした中で、戦場で戦う兵士たちにも厭戦気分が蔓延していき、アメリカ軍兵士の規律と秩序は次第に乱れていくようになっていった。
戦場の後方基地ではマリファナやLSDのようなドラッグが大量に流入し、兵士たちは南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)の売春宿に入り浸っていた。
1970年代にも入るとサイゴンもテロの嵐となって、最前線から外れた兵士はバンコクやパタヤで一時的な休暇を取ることになるのだが、そうするとこうした地でも売春産業が膨れ上がって女性が集まるようになった。
売春ビジネスにとって、戦争は「特需」なのである。