日本では「ネットカフェ難民」だとか「単身女性の貧困」だとか「格差社会」などが話題になったのが、2000年代の後半あたりからだ。
最初は「自己責任だ」と言って貧困に堕ちる若年層を叱る人々も多かったが、やがて就職氷河期と非正規雇用の拡大が若年層の貧困や単身女性の貧困を拡大させているということが分かって自己責任論は少しずつ消えていった。
2010年代になると貧困は若年層から高齢層の方にも拡大していて、もはや貧困問題は誰も自己責任とは言わなくなった。グローバル社会は貧困と格差を生み出すことを人々はやっと理解した。
政治がどうであれ、弱肉強食の資本主義が続き、政府が財政赤字で弱体化していく世界的な流れを見ても、貧困はこれからも拡大していくのは止められない。
しかし、もう人々は貧困の話題には飽きてしまい、それがニュース・バリューにならなくなってきた。そして、貧困はそのまま放置されていき、最底辺は「固定化」される。
最底辺の「固定化」は社会を劣化・荒廃させていくのだが、日本人は具体的に「最底辺の姿」がよく分かっていないように見える。最底辺は人間をも荒廃させるのだ。精神的にも肉体的にも荒廃させていく。
その凄まじい荒廃を見たければ、日本よりも先に救いのない超格差社会と化したアメリカの最底辺のセックス・ワーカーの身体を見れば分かる。最底辺のセックス・ワーカーがいかに強烈な劣化に陥るか知ってほしい。