リストカット、ピアス、オーバードーズ、タトゥー、瀉血などで、身体を痛め続ける『病み垢界隈』の女性の話を聞いているうちに、ふと自分の身体を破壊したいという自傷衝動を持った女性は、いつ頃から日本に存在しているのか気になった。
自傷というのは、いつから生まれた言葉なのかわからないのだが、これが特別な符号として広がっていったのは最近だと思う。しかし、自傷という言葉が広がる前から自傷する女性がいたわけで、そういう女性を探していると、とんでもない時代にとんでもない女性がいたのを知った。
大正時代に生きていた「矢作ヨネ」という女性だ。
誰もが認める美しい女性だったらしい。しかも自由奔放に生きていた。彼女は「マゾヒスト」という括りで記録されているが、その激烈な行動をつぶさに見ていると、彼女の場合は「マゾヒスト」を通り越して「自傷中毒」だったようにも見える。
ヨネは性的に自由奔放だった。のちに「彼女を虐待して殺した」と逮捕される男と知り合ったのも、彼女が誘惑して落とした男だった。活動写真(映画)を一緒に見たというだけでヨネは男と寝て、そのまま一気に同棲することになった。
彼女は美しい女性だったが、セックスに貪欲で男が一回射精したくらいでは満足せず、3回も4回も射精を強要した。しかも、それを毎晩のように男に強要した。さすがに男は身体が持たず、疲弊した。
そうすると、男が仕事で留守にしている昼間に、彼女は他の男を家に連れ込んで浮気を繰り返すのだった。それは、たしかに浮気なのだが、彼女はセックスに溺れており、セックスを制御できなかった。まさに彼女の衝動だった。
もともと彼女は美しい女性だったので、浅草の街を歩いただけで浮気相手は簡単に見つかったのだ。当時の時代どころか、今の時代ですらも彼女の行動は大胆で奔放でエキセントリックだとも言える。
その抑えられないセックスの衝動が、やがて歴史を越えて語られるほどの強烈な事件につながっていく。
コメントを書く