ドゥテルテ氏は、ドラッグが社会に及ぼす悪影響を懸念し、その撲滅を目指した。彼の意図は国民の安全を守ることにあった。 悪人をかたっぱしから抹殺するのは問題だったが、逆にそれが一部の市民からは支持を得ていた点も事実である。「正義の殺人」は悪だったのか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
職務に復帰するなら、ふたたび同じことをする
2024年10月28日。ロドリゴ・ドゥテルテ前フィリピン大統領が議会の公聴会に出席したのだが、ここでドゥテルテ氏は、ドラッグ密売者を殺戮するための「暗殺部隊」の存在を認めた。
「弁解も謝罪もしない。信じようと信じまいと、私は違法薬物問題に妥協せず、国のために最善を尽くし、やるべきことをやった」
この発言は、同国の政治と司法制度の根幹を揺るがす重大な告白となった。長年にわたり噂されてきたダバオ市での超法規的殺害の実態が、当事者ドゥテルテ氏本人の口からあきらかにされたのは衝撃だった。
ドゥテルテ氏は、ダバオ市長時代に「ギャング」で構成される暗殺部隊を組織し、犯罪者の排除に利用していたことを認めた。さらに大統領就任後も、ドラッグ取引関係者の殺害を公然と奨励。その結果、公称で6,000人(実際は約1万2,000人)以上もの市民が法的手続きを経ずに命を奪われた。
当時、これは「ドラッグ・ウォー」と呼ばれた。このときのフィリピンの情勢については、こちらでも取り上げている。(ブラックアジア:(閲覧注意)フィリピン麻薬戦争。これが現場の血まみれ殺害光景だ)
このドゥテルテ氏の告白に、「警察や裁判所を通じた適正な手続きを経ずに、一部の権力者の判断で人命が左右される状況は、法治国家の根幹を揺るがすものだ」と国際刑事裁判所が激しく批判している。
しかし、国際社会からの批判にもかかわらず、ドゥテルテ氏の強権的手法は一定の支持を得てきた。犯罪やドラッグ問題に対する市民の不満や不安が、法の支配よりも即効性のある暴力的手段を容認させる土壌となっていた。
「また職務に復帰するなら、ふたたび同じことをする」
ドゥテルテ氏がこのように述べたとき、公聴会では拍手が湧き上がったのだった。
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少なくとも1万2,000人が殺害されたと推測
ドゥテルテ政権下での「ドラッグ・ウォー」の犠牲者数について、正確な把握は困難だが、複数の調査結果から推計が可能だ。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、2016年7月から2022年3月までのあいだに、少なくとも1万2,000人が殺害されたと推測している。
フィリピン政府の公式発表では、2016年7月から2022年5月までの死者数は6,252人である。しかし、この数字には警察の関与しない殺害事件は含まれておらず、実際の犠牲者数はさらに多いというのが人権団体の報告だ。
特に注目すべきは、警察による「正当防衛」を理由とした殺害の多さだ。
政府発表によると、警察の麻薬取締作戦(アンチ・ドラッグ・オペレーション)で殺害された容疑者の数は、2016年7月から2022年5月までのあいだで3,968人に上る。これは全体の約63%を占めており、警察による過剰な武力行使の実態を示唆している。
一方、ダバオ市での殺害についても、具体的な数字があきらかになっている。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によると、1998年から2008年のあいだに、ダバオ市で1,020人から1,040人が殺害または失踪したとされる。
この数字は、ドゥテルテ氏がダバオ市長を務めていた時期と重なっており、ダバオ暗殺部隊(ダバオ・デス・スクワッド)の活動実態を裏づけるものだ。ちなみに、この暗殺部隊は現地では「忍者部隊」とも呼ばれていた。
法の手続きを経ない殺害としては、すさまじく多い死者数だ。たしかに状況を見ると国際的な人権基準から大きく逸脱しており、フィリピンの民主主義と法治国家としての在り方に重大な疑問が投げかけてもしかたがない結果であったともいえる。
しかし、多くの市民が治安回復のために、こうした剛腕を求めていたという事実もまた重い。
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「私だけが法的・道徳的に全責任を負う」
ドゥテルテ前大統領が認めた「暗殺部隊」の実態は、フィリピン社会に深い影を落としている。彼の証言によれば、この部隊は警察官で構成されていたのではない。ドゥテルテ氏はかかわった警察官を守るためにそれを強調している。
「ダバオ・デス・スクワッドは、警察官ではなくギャングで構成されていた。警察官で構成されていない。彼らはギャングだった。なぜなら、ドラッグ容疑者を殺した場合に、警察官が停職になるリスクを冒したくなかったからだ」
これは、法執行機関の外部に、半ば公認の暴力装置が存在していたことを意味する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「標的となった死者の中には、軽犯罪容疑者やドラッグ依存者の他に、路上の子供たちもいた」と述べる。彼らは事前に作成されたリストに基づいて選ばれ、多くの場合、公共の場で銃撃されていた。
公聴会の上院議員は「暗殺部隊の存在は、フィリピンの司法制度への信頼を大きく損なうものだ。適正な法的手続きを経ずに、一部の人間の判断で生死が決められる状況は、法の支配を根底から覆す」と激しく批判したが、ドゥテルテ氏は毅然として自らの「政策」を弁護した。
「たしかにドラッグ・ウォーは完璧なものではなかった」
「これについては、私だけが法的・道徳的に全責任を負う」
ドゥテルテ氏はそう述べている。人権団体は、警察が殺害現場の基本的な捜査手順さえ怠っていたケースを指摘している。これは、超法規的な手段への依存が、正規の法執行プロセスを形骸化させていた証左でもあったと指摘する。
「容疑者を殺すべきだ、というのは受け入れられない。なぜなら、私たちには適正手続きがあるからだ」と上院議員もドゥテルテ氏を批判した。
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ドゥテルテ氏が現れて「汚い仕事」をやったのだ
ドゥテルテ前大統領の暗殺部隊に関する告白は、フィリピンのドラッグ問題と法執行の在り方に大きな一石を投じた。ドゥテルテ氏の強権的な手法は、結局は長期的には深刻な人権侵害と法治国家の危機をもたらしたというのが公聴会の意見でもあった。
しかし、実際にこのドラッグ・ウォーはどのように評価したらいいのだろうか。
ドゥテルテ氏の剛腕はたしかに死体の山を築いて、中には無実の人々や子供も含まれていた。この点については擁護できない点もある。だが、一方でドゥテルテ氏の剛腕に感謝し、擁護する市民の声は依然として大きい。
それを理解するには、フィリピンのドラッグ蔓延の深刻さを認識する必要があるのかもしれない。フィリピンでは300万人以上ものドラッグ依存者がいて、メス(覚醒剤)のような深刻なドラッグが子供たちのあいだでも広がっていた。
ドゥテルテ氏は、ドラッグが社会に及ぼす悪影響を懸念し、その撲滅を目指した。彼の意図は国民の安全を守ることにあった。 悪人をかたっぱしから抹殺するのは問題だったが、逆にそれが一部の市民からは支持を得ていた点も事実である。
今もフィリピンではドラッグの蔓延がとまらないのだ。スラムにもドラッグ依存者が集まって売買したり使用したりする場があり、子供たちがドラッグを売っている。(ブラックアジア:とまらない覚醒剤汚染。フィリピンで覚醒剤は何と呼ばれているか知っているか?)
ドラッグの密売人やドラッグによる治安悪化に苦しんでいた人々にとって、強硬な姿勢は魅力的に映ったはずだ。誰でもいいから、そして「どんな手段でもいいから」、こうした犯罪を消し去ってほしいと彼らは願っていた。
そこに、ドゥテルテ氏が現れて、誰もが見て見ぬフリをしていた「汚い仕事」をやってくれたのだった。ドゥテルテ氏が国民の一部からは強烈に支持されているのは、そうした「正義の悪」が評価されているからでもある。
公聴会は「深刻な人権侵害と法治国家の危機をもたらした」とドゥテルテ氏を責めているのだが、私はふと中南米の悲惨な状況を思い浮かべた。
そこではドラッグ・カルテルが誕生して、警察や司法や政府さえも凌駕する権力を持ち、悪が社会を覆い尽くしている。この中南米の状況を見ていると、ドゥテルテ氏はある意味、国を救ったダーティー・ヒーローのように見える人がいても当然のようにも思える。
ドゥテルテ元大統領は、暗殺部隊を指揮して1万2,000人を殺したダーティー・ヒーローであった。
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