ベトナムが直面する中所得国の罠。安さという武器が効かなくなったがどうする?

ベトナムはこの30年で世界経済の注目を集めてきたが、その成長の土台となったのは「安さ」という武器である。これが失われつつある今は、まさに正念場にきたと言っても過言ではない。もう少しうまくやればアジア有数の富裕国になれるポテンシャルがあるのに、政府が無能すぎて足踏みしたままだ。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

ベトナムが直面する中所得国の罠

ベトナム経済は、この30年で劇的な変貌を遂げた。1986年のドイモイ政策以降、計画経済から市場経済へと舵を切り、世界との貿易を拡大させた結果、貧困率は1990年代初頭の約60%から、2020年代にはわずか数%にまで低下した。

国際通貨基金(IMF)の統計によれば、2023年の一人当たりGDPは約4300ドルに達しており、低所得国から中所得国への階段を確実に上ってきたことは明らかだ。経済成長率も長期的に見て年平均6〜7%を維持している。

だが、この急成長が永遠に続く保証はどこにもない。

世界銀行はベトナムが直面する課題を明確に指摘している。それは「中所得国の罠」と呼ばれる現象だ。

これは、安価な労働力と外資導入によって急成長した国が、一定の所得水準に達したあと、賃金上昇や人口構造の変化、産業の高度化の遅れによって成長が鈍化し、高所得国に到達できずに停滞してしまう状態を意味する。

実際にこの罠にはまった国は多い。タイはその典型例である。

1980年代から90年代にかけて急成長を遂げたが、賃金上昇に見合う生産性向上が進まず、いまだに一人当たりGDPは7000ドル前後で足踏みしている。マレーシアも同様で、製造業中心の成長を遂げながらも高付加価値産業への転換が進まず、中所得層の域にとどまっている。

今、ベトナムはまさにその分岐点に立たされている。

安価な労働力を武器に輸出主導で成長を続けてきたが、すでに人件費は年率で二桁に近いペースで上昇している。最低賃金は過去10年間で倍近くに引き上げられ、かつて「中国より安い」という競争力は薄れつつある。

また、人口動態の変化も無視できない。総人口の平均年齢は32歳前後と依然として若いが、高齢化は加速しており、2035年には労働人口が減少局面に入ると予測されている。

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電力不足とインフラの遅れが解決できない

こうした背景を踏まえると、ベトナム経済はすでに「次の段階」に進まなければならない地点に差しかかっている。低コスト生産拠点としての役割だけに依存していては、確実に成長は鈍化する。

外資誘致だけでは乗り越えられない。まずは製造業の高度化、電力やインフラの整備、そして人的資本の育成が進まなければ、ベトナムもまたタイやマレーシアと同じ道をたどることになる。

ベトナムはこの30年で世界経済の注目を集めてきたが、その成長の土台となったのは「安さ」という武器である。これが失われつつある今は、まさに正念場にきたと言っても過言ではない。

世界は「脱中国」の行き先としてベトナムに注目しているのだが、そは言ってもベトナムには大きなアキレス腱がある。

それが、電力不足とインフラの遅れだ。

工業団地の新設や製造業の拡大によって電力需要は急増しているが、供給側の整備が追いついていない。2023年夏には北部を中心に計画停電が実施され、工場の稼働が一時的に停止する事態となった。

国際エネルギー機関(IEA)の試算では、ベトナムの電力需要は2030年までに現在の約2倍に達するとされている。だが、第8次電源計画(PDP8)の進捗は遅れ、送電網や再生可能エネルギーの接続整備に時間がかかっている。

電力が不安定だと工場を中国から誘致してもそれに対応できない。インフラの整備も遅れている。GDPの成長に対して道路や港湾、鉄道の整備が明らかに追いついていない。

物流コストはGDP比で約20%前後に達しているが、これは中国の約15%、先進国の10%以下と比べると非常に高い水準だ。高速道路網は整備中とはいえ南北間の連結は依然として不十分で、輸送のボトルネックが経済全体の効率を削いでいる。

輸出産業に依存するベトナムにとって、物流コストの高さは国際競争力を直撃する問題である。こうした部分をきちんと解決していかなければ、ベトナムは次のステージに上がれない。だが、ここで足踏みしてしまっているのがベトナムである。

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うまくやれば豊かな国になれる環境がある

こうした問題があるとは言え、トランプ政権は中国を敵視しているので、世界はとにかく「脱中国」を急いでいる。だからベトナムは工場の移転先として注目されているのだ。

実際、外資直接投資(FDI)の流入は堅調だ。2024年のFDI実行額は約230億ドルに達し、前年を上回った。投資認可額も過去10年で最高水準を記録している。

サムスン電子、インテル、LG、フォックスコンといった世界的な電子機器メーカーが、相次いで製造ラインや研究施設をベトナムに拡充している点は注目に値する。

ベトナム北部のバクニン省やハイズオン省、南部のホーチミン近郊は、いまやエレクトロニクスの集積地となり、ベトナムの輸出全体に占める電子関連の比率はすでに40%を超えている。

地政学的なリスク回避の観点からも、ベトナムは企業にとって魅力的だ。

南シナ海に面し、東南アジアの中心に位置する地理的優位性は物流拠点として強みがある。中国やASEAN諸国、日本、韓国といった主要市場と地理的に近く、輸送コストを抑えやすい。

労働力の質に関しても、ベトナムは一定の評価を得ている。大学進学率は上昇しており、理工系分野の教育に力を入れているため、若年層のエンジニアや技術者は拡大している。

国際的な企業は、ベトナム人の勤勉さや技能習得の速さを高く評価している。労働市場全体としては賃金上昇が続いているが、それでも韓国や台湾に比べれば低水準であり、一定のコスト優位性は保たれている。

こうした、もろもろの事情を考えると、ベトナムは次のステージに飛躍する環境が整っているとも言える。つまり、成長のための絶好のチャンスがこの国にはある。うまくやれば、台湾や韓国のように豊かな国になれるのだ。

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ベトナムには、とても歯がゆい気持ちがある

だが、ベトナムがそのチャンスをつかみ取れるのかどうかは不明だ。おそらく、今後10年が「罠を超えるか停滞するか」を決定づける分岐点になる。

とにかく、ベトナムは電力を何とかしなければならない。ベトナムの電力需要は2030年までに現在の約2倍に膨らむが、それに対応できないのであれば、どれほど投資が集まっても工場は稼働できない。

ベトナム政府は再生可能エネルギーとガス火力を柱に供給を拡大する方針を掲げているが、やる気があるのかないのか、実行速度は遅く、送電網の整備や資金調達も難航している。

エネルギー安定化が遅れれば、製造業依存の成長モデルは揺らぎ、輸出拡大の基盤そのものが崩れる。にもかかわらず、政府が仕事をしないのだからどうかしている。

国営企業も非効率なままだ。石油や電力といった基幹産業を抱える国営企業は、杜撰な経営と政治的な影響力によって市場の柔軟性を奪ってきた。株式化や民営化は繰り返し掲げられてきたが、これまた政府の動きは鈍い。

民間企業の活力を抑え込む構造が温存されたままでは、総要素生産性の改善は起こらない。高所得国へ到達した国々は、例外なく民間企業のイノベーションを成長の中心に据えてきた。

そうしているうちに、ベトナムも2035年以降から労働力人口が減少する局面に入っていく。「人口ボーナス期」は終わる。高齢化の速度は東南アジアでもっとも速い水準にあり、年金や医療制度の負担増も避けられない。

電力、インフラ、人材といった条件が整わなければ、投資は他国に流れる。インドやインドネシアといった競合国も同じ市場を狙っている以上、時間的猶予は長くない。

ベトナムの現状を見ていると、とても歯がゆい気持ちが起こる。個人的には東南アジアを愛しているので、ここに大きく投資したい気持ちはあるが、ベトナム政府の不甲斐なさを見ていると、今はとても資金を入れようという気にもならない。

もう少しうまくやればアジア有数の富裕国になれるポテンシャルがあるのに、政府が無能すぎて足踏みしたままだ。

労働力の「安さ」という武器はなくなったが、インフラ投資と民間活力を解き放つ改革が進めば、ベトナムも高付加価値産業への移行は十分に可能なのだ。奇跡の成長をさらに上の段階に押し上げられるかどうか、その答えは次の10年間の政策実行力にかかっている。

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コメント

  1. 闇の投資家 より:

    ベトナムは共産党の支配を終わらせない限り
    経済発展は見込めないでしょう。

    0
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