タイの首都バンコクから数時間で到達する堕落したリゾート地であるパタヤは、ベトナム戦争時代にアメリカ軍の駐屯基地として使われていた。
そのため、バンコクのパッポンと同じく、この地区にはアメリカ軍兵士を当てにしたゴーゴーバーが林立した。そして、1974年にベトナム戦争が終結した後は、堕落した売春リゾート地としてアメリカの退役軍人や観光客を集めるようになった。
私がこのパタヤに初めて足を踏み入れたのは1980年代の半ばか後半あたりだったと思うが、その時にはすでに路上に昼間から女たちが立っていて、親しげに握手を求めてきたのだった。
彼女たちは握手をすると人差し指で私の手のひらをくすぐった。それが当時のセックスを誘う合図だった。厚化粧をしたケバケバしい女性は夜のゴーゴーバーにいたが、昼間の路上に立つ女性たちは普通の私服にほとんど化粧をしていなかった。
言って見れば、本当にごく普通の女性たちだった。そんな女性たちが片っ端から道ゆく男たちを独自の握手で誘っていたというのが新鮮だった。
しかし、私は首都バンコクのパッポン地区やヤワラー地区の女たちにぞっこんだったので、パタヤにはそれほど強い印象は持てず、次にパタヤを再訪したのはそれから15年以上も後の話になる。
2000年代初頭。すでに私は売春地帯に倦み疲れていて、どこかのんびりする場所を探していたのが、その時に思いついたのがパタヤだった。
ところが、パタヤについたら「のんびりする場所」どころではなくなっていることに気づいた。そこは大量のゴーゴーバーやオープンバーが集積した凝縮された「売春リゾート地区」と化していたのだった。