多くのメディアが夫婦同姓を攻撃するようになっているが日本人はどうする?

多くのメディアが夫婦同姓を攻撃するようになっているが日本人はどうする?

夫婦同姓というのは、ライフスタイルの変化で捨てられるほど軽いものか、それとも文化に組み込まれて何があっても変わらないものなのか。多くのメディアが夫婦同姓を攻撃するようになっているが、果たして日本人はどちらを選ぶのだろうか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

今、この夫婦同姓が激しく攻撃されている

2019年8月30日、沖縄の琉球新報は「選択的夫婦別姓」制度の法制化を目指そうとする市民の動きを特集している。

「価値観が多様化する社会の中で、どちらかが姓を変えないと結婚できないのはおかしいのではないか」

それが、記事の骨子であり、そうした市民の声を紹介している。

毎日新聞の地方版も、この記事の2日前に「夫婦別姓、自然な選択」という記事で、慣れ親しんでいる姓を強制的に変えられるのはおかしいと断じている。

「TOKYO MX」も朝の番組で、とあるIT企業の社長を呼んで、「結婚時に夫婦別姓を選ぶことができない戸籍法の規定は憲法に反している」との主張を取り上げている。このIT企業の社長はこの主張で国を訴えたのだが、2019年3月に請求を棄却されている。

朝日新聞系のハフポストも以前から「選択的夫婦別姓」を支持していて、「裁判所内にも、別姓を求める声がある」みたいな記事を書いていた。

実は日本の法律である民法750条は、「夫の姓を名乗るべし」とは書かれていない。「夫または妻の名を名乗るべき」としていて、男が妻の姓を名乗ってもいい。

婿養子はそういった例のひとつであるが、それは特別な例であると言われている。つまり、結婚したら、日本女性はほぼ全員と言ってもいいほどの比率で、夫の姓を名乗ることになる。

しかし今、この夫婦同姓が激しく攻撃されている。

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夫婦別姓を主張する人たちの理由とは?

日本では1996年頃から夫婦別姓の議論が高まった。当時の共産党や社会党の政治家たちが、「なぜ、この時代に夫の姓に入るのが強制されているのか?」「これは男女差別だ」と言うようになって、夫婦別姓を強く主張したのだ。

「中国や韓国を見よ。夫婦別姓ではないか。日本もそうすべきだ」

そのように訴えていた政治家や市民や評論家もいた。この夫婦別姓については、賛成・反対共に激しく感情的な議論が日本で戦わされている。

日本では明治以降は伝統的に夫婦同姓だったが、これをあえて夫婦別姓にしたいという人々は、どういった理由でそれを主張しているのだろうか。

いくつかの理由があるのだが、代表的には以下の理由となっている。

「女性は、親しんでいた名前を失い、自己喪失感を感じる」
「女性は、名前を消失した違和感が生じる」
「女性が夫の名前に変えられるので不平等感がある」
「まわりに名前が変わったことを通知する面倒がある」
「今までの名前が使えず、社会的実績が途絶える」
「離婚・再婚のたびに、名前が変わってしまう」
「名前が変わることで結婚生活の破綻が知られてしまう」
「夫の家に、自分が吸収された感じがしてしまう」
「中国でも韓国でも夫婦別姓が当たり前」

かつて、社会がまだ男尊女卑で厳格だった時代では、このようなことを言う雰囲気でもなかった。

もしかしたら昔の女性も同じような感覚を持っていたのかもしれない。だからと言って、夫婦別姓を言い出す女性はいなかった。

今と昔が違うのは、今は女性にも多くの権利が与えられるようになって、男女平等という概念も浸透し、自由恋愛も、離婚も珍しいものではなくなったということだ。

それによって、上記のような感覚を持つ女性が非常に増えており、それが表側に出てくるようになったということである。

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世界はどのようになっているのか?

世界はどうなっているのだろうか。まず、夫婦の名前というのは、ひとつの国でも統一されていないことが多く、かなり大雑把で柔軟にできている国が多い。

インドはその典型で、人によって、家族によって、村によって、宗教によって、まったく違う考え方をする人たちが山ほどいて、このあたりが日本と違って面白い。

夫婦同姓の夫婦もいれば、夫婦別姓の夫婦もいれば、その宗教を信じている人が全員丸ごと同じ姓であるというのもある。たとえば、ターバンで有名なシーク教徒は、そのほとんどが「シン」という名前である。

家族どころか、同一宗教で同一姓なのである。

名首相と誉れ高かったマンモハン・シン氏も「シン」とあるのを見ても分かる通りシーク教徒である。宗教でみんな姓が同じなど日本で考えられないが、世界を見回すとそういう決まりを採用した共同体もある。

かと思えば、女性も男性も「父親の名前」を引き継ぐのがしきたりという名前の付け方もある。

その場合、女性が結婚しても、名前が変わらないので、結果的に夫婦別姓となる。ベトナムやモンゴルなどではそうなっているという。

名前は「結婚するときに選択できる」「ミドル・ネームに取り入れることができる」というのが欧米で見られるスタイルだ。

このスタイルを取り入れているのは、イギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリア、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ロシア、ウクライナ、ブルガリア、フランス等、枚挙にいとまがない。

選択だから、どのように選択してもいいのだが、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツでは、そのほとんどが日本と同じで夫婦同姓となる。「夫婦は一心同体になる」というキリスト教的な思想がそうさせていると言われている。

マスコミは何かと「ドイツを見習え」というのだが、こういう時はドイツを見習えとは言わないのは皮肉なことだ。

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100人いたら、100人が違う意見と感覚を持つ問題

結婚して名前をどうするのかというのは、その国の伝統や文化があって、それが大きな習慣や社会的秩序となって続いている。他の国がどうなのかはまったく関係ない。他の国は「すべて違う」のだ。

その国の文化やアイデンティティがそれを定義している。だから、これを覆す動きが起きると、非常に巨大な抵抗に直面することになる。

日本で夫婦同姓が継続されていて、多くの人がそれを自然に受け入れているのは、以下の気持ちがあるからだ。

「夫婦同姓によって家族としての一体感を得られる」
「夫婦同姓で一心同体という覚悟が生まれる」
「夫の姓に変わることで結婚したことを対外的に告知できる」
「夫婦別姓では、もっと離婚が増加するかも?」
「好きな人の名前に変わるのは幸せなこと」
「なぜ、中国や韓国の真似をしなければならないのか」
「合理性や効率性よりも大事なものが伝統」

多くの意見があるのだが、言うまでもなく「自分の名前」を捉える感受性や感覚や重みというのは人それぞれ違っている。100人いたら、100人が違う意見と感覚を持つ問題だ。

つまり、夫婦同姓か別姓かの問いかけは、日本でどんなに時間をかけて議論をしても、全員一致の多数決になることは絶対にない。

だから、この問題がどのような解決を見るのかは、世の中の趨勢で決まる。どうなるのかは、本当に誰も分からない。

時代が変わり、社会の仕組みが変わり、人々のライフスタイルも変わっていくと、非効率だと思われるものは変わっていく可能性が高い。しかし一方で、伝統や文化のように、どんなに時代が変わっても変わらないものが一部にある。

夫婦同姓というのは、ライフスタイルの変化で捨てられるほど軽いものか、それとも文化に組み込まれて何があっても変わらないものなのか。

多くのメディアが夫婦同姓を攻撃するようになっているが、果たして日本人はどちらを選ぶのだろうか。

『選択的夫婦別姓 ―予想される大混乱』。夫婦同姓というのは、ライフスタイルの変化で捨てられるほど軽いものか、それとも文化に組み込まれて何があっても変わらないものなのか。果たして日本人はどちらを選ぶのだろうか。

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