人間はなぜ火を拝むのか。そして、儀式の最終的な目的とは何だったのか?

人間はなぜ火を拝むのか。そして、儀式の最終的な目的とは何だったのか?

現代のアフガニスタン・パキスタン・インドを含む広大な地域には「インダス文明」という巨大な文明が栄えており、広大な範囲から膨大な遺跡が発掘されている。そのうちのひとつは「モヘンジョダロ」と呼ばれる有名な遺跡である。

モヘンジョダロは広大な遺跡であり大きな文明があったのは間違いないのだが、なぜか急激にその文明が消え去った。今もその謎は分かっていない。

このインダス文明があったところは現在は砂漠地帯となっているのだが、古代人は別に砂漠が好きだったわけではない。古代人が住んでいた頃、この地区は緑が生い茂る場所だったと言われている。

しかし、文明は森林を駆逐する。人間は森林を伐採し、建物を作ったり、道具を作ったり、火を燃やしたりする。さらに森林を破壊して道を作り、建物を作る。そのため、文明が栄えれば栄えるほど、森林は消えて砂漠化していく。

また、地球の環境も気候も変わるわけで、気候変動が森林を絶滅させたという説もある。いずれにしても、インダス文明が崩壊したのは、まわりが完全に砂漠化して陸の孤島と化したからだと言われている。

ところで、このインダス文明の時代、ある植物が栽培されていたことが分かっている。「火」を奉る宮殿に、この植物が大量に見つかっている。それは何だったのか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

何が人間を陶酔させるのか?

インダス文明を覆っていた植物文化。それは「ケシ」だった。現在でもアフガニスタンでは広大なケシ畑が広がっているが、このケシの用途はただひとつ。

ケシ坊主(ケシの実)から取れるアルカロイド樹脂の採取である。ケシ坊主を傷つけると、樹脂が垂れてそれが固まる。これを採取して白湯で上澄みを取り、この上澄みを濾して灰を混ぜてさらに煮詰めていく。

そうすると、アヘンと呼ばれる物質になる。このアヘンを熱して煙を吸うと、陶酔感が得られるのである。

アヘンは鎮痛作用があるので、覚醒剤のように意識がバリバリと覚醒するようなものではない。眠気と陶酔に引きずり込まれて動作が緩慢になり、身体が落ち込むような、立ってられない陶酔がくる。幻覚を見ることもある。

だから、アヘンは宗教儀式とは非常に相性が良い。集団で神を思いながら、陶酔に浸るのである。インダス文明からは宮殿からケシが見つかっているのだから、火を拝みながら陶酔に耽っていたのだろう。

さらにインダス文明からは、人類を陶酔させるもうひとつのドラッグである大麻(マリファナ)もまた見つかっている。

人類はこの時代から何が陶酔をもたらすのかを「知っていた」ということになる。

さらに言えば、メソポタミア文明も、エジプト文明も、ケシや大麻を常用していた。文明があったところは、ケシや大麻の産地だったのである。

そもそも人類は紀元前1万年もの昔から人類の意識を変容させる植物があると知っていた。紀元前8世紀末の吟遊詩人であったホメロスも「ケシ」を薬として紹介している。

 

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人間が火を拝むのはなぜなのか?

ケシや大麻を陶酔するための薬として使っていた産地に歴史に名が残るような文明があった。

現在も生き残っているヒンドゥー教やゾロアスター教等の古代宗教は、こうした文明の中から生まれて来ているのだが、その文明を生み出す根源にケシや大麻の陶酔と幻覚があったと考える学者も多い。

ゾロアスター教は「拝火教」とも言われるのだが、火は人類にとってその存在自体が文明である。

ところで、人間が「火」を拝むのは、夜を明るくするためだけではない。熱を得るためだけでもない。

これが宗教や儀式に結びつくと、別のものに結びつく。それは意識を変容させるための「動力」だ。火を起こし、アヘンや大麻を燃やすことによって、人間は意識を変容させてきた。

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

儀式とはある意味、集団陶酔(トランス)に入ることだ。トランスは、建物の中でケシや大麻を燃やして全員が同時に煙を吸うことによって容易に得ることができる。

だから「火」が神聖視されたのである。それは陶酔の入口であり、解放の入口であり、快楽の入口であった。

陶酔し、意識が変容すると、人は様々な発想をそこで得ることができる。日常の生活の枠にとらわれない発想が生まれる。そして、突飛なものでさえも信じることができるようになる。

たとえば、「神」という概念も信じることが可能になる。

人間は「神」という概念を発見し、そしてそれを「全員で信じる」という暗黙の約束をして、あたかも神が存在するかのように振る舞うことになった。

 

ゾロアスター教だけでなく、多くの宗教でその儀式に「火」が神聖視されるのは、まさに意識を変容させる起爆剤だったからと言うことができる。儀式とは火を起こすことによって別の次元に入る。その意味はとても深い。

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それは「本物の別次元」に連れて行ってくれるもの

意識を変容させるという行為は、それを体験したことがある人間にとっては特別な時間になる。興味深い現象が自分の身に起きるのを発見して、とても驚く。

私もまた初めて東南アジアでマリファナを吸ったとき、あるいはマジック・マッシュルームを食べた時、自分の身体が陶酔感や幻覚に痺れるのにひどく驚いたものだった。

まるで自分の身体や心が何かに乗っ取られてしまったような、そんな得体の知れない当惑もあった。「神がお前の身体に降り立った」と言われれば信じてしまいそうなほど、自分の意識とは関係なく陶酔や幻覚が来るのである。

古代の宗教儀式でドラッグが使われていたというのは、なるほどそういうことなのかと私は後になって深く納得したのだが、この感覚は実際にマリファナやマジック・マッシュルームを試した人にしか分からないものだろう。

それと同時に、なぜ意識変容が「文明を生み出す」のかも分かってくる。

陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。

だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。

「昼が夜を破壊し、夜が昼を切り裂く」

ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンが言う、その「鮮烈な感覚」を容易に得ることができる。

1960年代から1970年代にかけて、LSDやマリファナが欧米で爆発的に流行って新しいジャンルの音楽が次々と生まれていく時代があった。ドラッグは人々を陶酔させ、幻覚を与え、新しい「何か」を生み出す原動力となった。

音楽だけではない。現代のITの歴史にとって最も重要な企業であるアップル社は最強のコンピュータ体験をその製品を通してユーザーに届けているが、その設立者スティーブ・ジョブズもまたLSDによってそれを生み出した。

ジョブズはLSDに関してこのような言葉を残している。

「LSDの摂取は、人生で行ったことの中で最も重要な2、3の出来事のうちのひとつだ。サイケデリックの経験がない人には、まったく理解できないだろういくつかの事柄がある」

文明も、宗教も、哲学も、技術も、「本物の別次元」を体験した人が生むものは「本物の別次元」の発想であると言える。もちろん、興味のない人は無理して別次元に行く必要はない。戻って来れない人もいるのだから……。(written by 鈴木傾城)

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ドアーズ『ブレーク・オン・スルー』。陶酔や幻覚は、現実とはまったく違った「本物の別次元」に連れて行ってくれる。人によって何を見るのか、何を感じるのかは決まっていない。だから、陶酔や幻覚を触媒にして想像すらできない「新たな何か」を手に入れることができる。固定観念を打ち破る(ブレイク・オン・スルー)ことができるのである。

 

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