極度の偏食とスラム飯。鈴木傾城は金持ちの女性とは到底付き合えそうにない

極度の偏食とスラム飯。鈴木傾城は金持ちの女性とは到底付き合えそうにない

ほとんどの人は自国の料理には強い執着があるので、他国の料理は最初から受け付けないか、もしくは途中で嫌になって自国の料理を食べたくなってしまうようだ。だから、他国に行っても自国の料理店を探したり、自国の料理を作るための素材や調味料を探したりする。(鈴木傾城)

西成で生活保護をもらいながら生きていけそうだ

先日、大阪に行った時に初日はずっと西成区のドヤ街をウロウロしていたのだが、昼は大阪名物の『スーパー玉出』で、惣菜のライスとチキンカツのようなものを買い、そこらの自動販売機で50円のお茶を買って、三角公園のベンチでそれを食った。

ライスは税込みで105円。チキンカツは127円、お茶は50円なので、計282円だったことになる。大阪では地元の人ですらも「スーパー玉出の惣菜は何が入っているのか分からないので絶対に食べない」ということだ。

しかし、東南アジアやらインド圏のスラムをほっつき歩いて、スラムで適当なものを食べていた私に言わせれば、きれいにパックされたスーパー玉出の惣菜は上品な方で何の問題もなかった。

肉は何となく柔らかくて本当に鶏肉なのかと思ったと感想を言うと、「鶏肉じゃなくて鳩じゃないのか?」と冗談を言う人もいたが、それほど悪い味ではなかったのは確かだ。

私はほとんど野菜を食べないので、弁当を買っても野菜が入っていたらすべて残して捨てる。だから、むしろ『スーパー玉出』でライスとチキンカツだけ食べるのは私にとってはよけいなものが入っていない分だけ好感が持てた。

「なるほど、悪い女に騙されて全財産を失っても西成で生活保護をもらいながら生きていけそうだ」と、私はニヤリとしたものだった。

すでにアルコールも飲まないし、タバコも吸わないし、ドラッグもやらないし、物欲もない。馬鹿なことをして生活保護受給者になっても、私ならスーパー玉出で何か食べながらブラブラしているうちに、すぐに金が貯まりそうだ。

「なるほど、悪い女に騙されて全財産を失っても西成で生活保護をもらいながら生きていけそうだ」と、私はニヤリとしたものだった。

コメや小麦粉と何かの肉があれば、もう他はいらない

私も付き合いで1回の会食で数万円も取られるような高級料亭やら高級レストランで何かを食べることはある。しかし、料理名も分からないし、興味もないし、味も分からないし、何の感慨もない。

寿司や刺身のような生で食べるような料理もまったく口にしない。東南アジアの暑すぎる国を行き来していたこともあって、すぐに痛んで食中毒の危険がある生モノも食べられなくなった。(ブラックアジア:サルモネラ菌。ありふれた食中毒なのに、症状は劇症だった

基本的に私が食べるのは、白飯や炒飯の上に何かの肉を載せたものばかりだ。味はこだわっていない。あとは、フォーやクイティオのような米粉麺だとか、バーミーナーム等のシンプルな麺類だろうか。

素材がコメと何らかの肉があれば、味付けはどうでもいい。コメが重いと思ったら麺にするが、基本はコメだ。

幸運なことに、スラムの食事はどこでも「コメとひとかけらの肉」か「麺」で成り立っている。私はそれだけ食えればいい。他に何か食いたいと思わない。正確に言うと、偏食が強すぎてそれ以外のものは食べたくない。

場所が貧しすぎて肉がなければ炒飯だけで問題ない。炒飯ならどこの国でもある。

国によって味付けが違ったりする。炒飯でも、中華料理の炒飯と、タイの炒飯と、インドネシアの炒飯と、フィリピンの炒飯はそれぞれ味が違う。私が一番気に入っている味付けはインドネシアのものだ。やや、唐辛子の辛みがある。

インドネシアでは炒飯のことをナシゴレンと呼ぶ。これに目玉焼きを乗せたのがナシゴレン・スペシャルというのだが、インドネシアではどこに行こうが100%ナシゴレンか、ナシゴレン・スペシャルがあるので、黙ってそれを食べる。

タイの炒飯はとてもコクがあってうまい。このコクはナンプラー(魚醤)で出しているのだそうだ。タイの屋台ではナンプラーは当然のこと、唐辛子やらココナツを砕いたものやら、いろんな調味料が置かれている。

後は自分の好きな味付けにしていくのだが、私は面倒なのでほとんど出された炒飯をそのまま食べて満足している。炒飯は基本的に素材が同じなので、どこの国に行っても同じようなものを食べているように思う。

インド圏には炒飯は見ないが、サフラン・ライスにチキンカレーが基本としてあるので、毎日そればかり食べていた。これも、コメと肉が基本で東南アジアとは塩味かカレー味かの違いだけだからインドでも大丈夫だった。

ちなみにインドのコメはうまい。スラムで出されるコメでも味が良い。

インドのスラム飯。インド圏には炒飯は見ないが、サフラン・ライスにチキンカレーが基本としてあるので、毎日そればかり食べていた。

その国のスラムで出てくるコメと肉が食えればそれで事足りた

出てきたものがうまければ嬉しいが、私は食事の楽しみを過度に求めていない。

野菜は死ぬほど嫌いだし、珍味も食べないし食べられない。いろんな食べ物が食卓に並ぶと、私は悲しくて絶望的な気分になってしまう。凝った料理のほとんどは私が食べたくない料理だからだ。

フランス料理なんか最初から最後まで食べられない。コメと肉以外の私には何か分からないものが出てくるからだ。あと、皿にソースなんかを芸術的にかけられても困る。味も複雑すぎて感心しない。

私にはコメと肉だけ出してくれれば、他は全部必要ない。困るのは海鮮料理だ。海は好きだが、海の素材はみんな嫌いだからだ。魚も好きではない。カンボジアではスラムで川魚がよく出るのだが、私はほとんど食べなかった。

カンボジア人は亀も好んで食べていたが、私は女性が無理に薦めるので一口だけ食べて後は食べなかった。泥臭くて良さが分からなかった。

そんなわけで、私は猛烈な偏食で食べられないものが多いのだが、逆にこの偏食のせいで料理に執着がまったくなく、どこの国に行っても食べ物でホームシックにかかることがなかった。

日本料理が懐かしくて日本に帰りたいとか、どこの国でも日本料理を探すというのはなく、その国のスラムで出てくるコメと肉が食えればそれで食事は事足りた。

私はそうなのだが、多くの人はそうではない。ほとんどの人は自国の料理には強い執着があるので、他国の料理は最初から受け付けないか、もしくは途中で嫌になって自国の料理を食べたくなってしまうようだ。

だから、他国に行っても自国の料理店を探したり、自国の料理を作るための素材や調味料を探したりする。アメリカ人はハンバーガーやらピザにこだわるし、日本人は日本料理にこだわるし、中国人は中華料理にこだわる。

私は猛烈な偏食で食べられないものが多いのだが、逆にこの偏食のせいで料理に執着がまったくなく、どこの国に行っても食べ物でホームシックにかかることがなかった。

そんなわけで私は金持ちの女性とは到底付き合えそうにない

私は調理方法や味にこだわっているのではなく、素材がコメと肉だったら味はその国の実情に合わせて好きにやってくれればそれを受け入れるというスタンスだ。

コメが日本のコメ(ジャポニカ米)ではなくて長粒種(インディカ米)であっても、私にはどちらも「コメはコメ」なのでこだわらない。むしろ、インディカ米の方がさっぱりして好きだったりする。

場所によっては、コメがパンになったり、ナンになったりする。インドでも私の好きなコルカタはコメが中心だが、ムンバイはどちらかと言えばナンの方がメインなのかもしれない。それは受け入れる。

中東料理も好きだ。中東は呆れるほど大盛りのサフランライスにチキンの塊がライスの上にドンと乗っていたりする。まさに私向きだ。

もちろん、それぞれの国で複雑な味がする凝った料理が存在する。タイでもカンボジアでもインドネシアでもインドでも、どこの国でも高級料理があって、珍しい素材や料理法の上品な料理がある。しかし、私は偏食であるがゆえに食べられないので、そういう料理は何も分からない。

そもそも、スラムや貧困街にない料理は私にも縁がない。そのようなことを考えると、私は実にスラムをほっつき歩くのに好都合にできているのか分かる。

「コメと肉が食えれば味にこだわらない」
「肉がなければコメだけで良い」
「コメは小麦でも代用できる」
「凝った料理は逆に食べられない」

これが私の基本なのだが、この特異な偏食が、逆にどこの国の料理でも受け入れて、それで満足できる素地になっているとは……。

そんなわけで私は金持ちの女性とは到底付き合えそうにない。料理が好きな女性とも無理そうだ。スラムで安い飯が食える女性としか付き合えそうにない。

ブラックアジア・パタヤ編
『ブラックアジア・パタヤ編(鈴木傾城)』。いいヤツは天国へ逝く。ワルはパタヤへ行く。ブラックアジアのパタヤ編。電子書籍化。

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

一般カテゴリの最新記事