「誰とでも仲良く」は、あり得ない。きれいごとよりも現実を見よ

「誰とでも仲良く」は、あり得ない。きれいごとよりも現実を見よ

犯罪者が好きなビジネスがある。それは「被害者ビジネス」というものだ。いつ、どこでも、自分が被害者の立場になるように画策する。場合によっては被害者の立場に「なりすまし」する。

そして、加害者と見なした相手に「自分がこんなになったのはお前が悪い。お前のせいだ。お前は反省しろ、誠意を見せろ、金を出せ」と言い続ける。

たとえば、「当たり屋」などは、被害者ビジネスの典型的なものである。

自分からわざと車にぶつかり、大袈裟に痛がったり苦しんだりして見せ、「自分をぶつけたお前が悪い。反省しろ、謝れ、金を出せ」とわめき散らす。

相手をハメて精神的に苦しめ、自分は「被害者様」になって要求をエスカレートさせ、とことん相手を苦しめながら金を引き出させる。それが「被害者ビジネス」である。

犯罪者がいったん「被害者様」の立場になりすますと、永遠に被害者の立場で威張り散らす。始末が悪く、陰湿で、卑劣な犯罪である。

日本人は「まず謝る」という教育を受けているのだが、この教育はグローバル社会では致命的な欠陥になるのは、このような手口にはめられるからでもある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

金のために何でもする人間たちに善悪の判断はない

世界には、金に意地汚い人間がたくさんいる。「自分が儲けるためには他人を騙しても構わない、嘘をついても構わない、騙される方が悪い」と考える人間がいる。騙す方が悪いのではなく「騙される方が悪い」と心の底から思っている。

こうした人間は他人から奪えるだけ奪うことだけを考えるので、関われば関わるほど金を毟り取られていく。何かにつけて、金を引き出そうとするのだ。

自分の都合の良い妄想を真実のように叫んで、その妄想に対して「謝れ、賠償しろ」と叫んでくることも多い。

執拗かつ粘着的にストーカーのようにまとわり付いて「謝れ、謝れ、謝れ」と集団で火が付いたように叫ぶ狂った人間も、世の中にはいる。

謝ればどうなるのか。次は「賠償しろ」という一手に歩を進めるのである。謝らせるのは金を毟りとるためである。決して、水に流すためではない。

信用できない人間や組織と関わっていれば、いずれは自分の金は根こそぎ奪われることになる。まともな人間関係は築けない。彼らはただ「奪うだけ」だからだ。

もちろん、こういった人間は自分のことしか考えない。だから、他人からあらゆる手練手管で金を奪っても、「騙された方が悪い」と裏でせせら笑う。

他人を騙して金を手に入れて、悪いことをしているという反省はない。自分が悪いとは思わない。騙される他人が悪いのであって、反省すべきは騙された方だと考える。

金のために何でもする人間たちには、善悪の判断はない。彼らにあるのは「自分が得するかどうか」であって、手段が正しいかどうかなど関係ない。

関われば関わるほど、トラブルが次々と襲いかかってくることになるはずだ。まさか、悪人と関わり合って良いことが起きるなどと考えているような人はいないはずだ。100%の確率で、悪いことが起きる。

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悪人であればあるほど「見てくれ」だけは立派だ

まともでない人間は、勝ち負けや損得でしか物事を判断できないという構造的な欠陥を持っている。

自分だけが利すればいいと思っているのだから、共存共栄の考え方はない。必ず裏切り、必ず内部工作によってこちらを踏みつぶしてくる。もちろん、フェアプレイはないし、公正であることも、誠実であることもない。

ただ、間違えてはいけないのは、「見てくれ」だけは立派であることが多いことだ。異常で、時には滑稽なまでに「見てくれ」の立派さにこだわる。誰にも確認できないところで学歴・職歴・肩書すべてを捏造する悪人もいる。

こうした捏造は、言ってみれば騙しの「基本」である。

なぜなら、表面を飾らないと、他人を騙すことができないからである。他人を騙すために、ありとあらゆる手段で外見を飾り、装う。

他人を騙すために、別の姿になりすます。服装や態度を尊大なものにするだけでなく、場合によっては、名前すらも躊躇なく変える。さらに、顔面も変える。

最近は整形手術の技術も発達しているので、顔面をまったく別のものに「取り替える」ことも可能になっている。原型がなくなるほど顔面を変えることも可能なのだ。まったく別の人間に「なりすまし」をする。

その結果、「悪人であればあるほど善人に見える」という逆転現象が起きることになる。

詐欺師や悪人であるほど、実は外見だけは好感度が高い。なぜなら、騙す前には信頼されなければならず、信頼されるためには見てくれを飾ることに重点を置くからだ。

もちろん、どれほど外見を飾ろうがしばらく付き合うと内面の薄汚さがボロボロと出てくるのだが、彼らは馬脚が現れる前に勝負を付ける。

だから、カモにされる人間が、騙されたと気付いたときは、奪われたあとだ。

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世の中はきれいごとでは成り立っていないことを教えよ

彼らは確信的に、情熱的に、嘘をついてまわりを振り回す。「嘘も百回言えば真実になる」という哲学を持っているので、全力で嘘を付いて回る。

偽証も辞さず、嘘を真実に見せかけるためにさらに嘘の上塗りをする。彼らにとって重要なのは真実ではなく、いかに自分の嘘で相手を屈服させ、叩き落とせるかにかかっている。

彼らに関われば関わるほど、そういった果てしのない嘘に巻き込まれていき、どんなに追及しても嘘の世界が拡大していく一方になる。

もちろん、彼らを信じてあげて、良心が芽生える時が来ることを待つという選択もあるかもしれない。そのように考える人も中にはいるだろう。そのような選択をする人がいるとしても、それはその人の自由である。

しかし、多くの場合は、詐欺師や、性格破綻者や、犯罪者や、敵意を持った人間や、利己主義者のような人間・組織と関係を持つと、まともな結果にはならないのも事実だ。

じわじわとワナにかけられて最後に足元をすくわれる。利己主義者は常に自分を優先するのだから、裏切りが待っているのは当然のことなのである。

こういった人間が、自分の人間関係の中に入り込んできたら、明確な意識を持って排除するというのが正しい生き方である。

誰でも腐った食べ物は、食べないで破棄する。誰でも危険は自分の人生から遠ざける。それは当たり前のことだが、その当たり前は人間関係にも発揮しなければならない。

「誰とでも仲良く」は、あり得ない。世界がグローバル化し、異なる価値観がぶつかり合う時代に、いまだ「誰とでも仲良く」みたいな教育をしていることに驚く。

内面の腐った人間や組織との友情や友好関係はあり得ない。こういった「生きる上での基本概念」は、もっと教育の現場で取り入れられてもいいはずだ。

世の中はきれいごとでは成り立っていない。それを叩き込むのも教育である。世の中が「きれいごと」で成り立っていないことを知れば、それなりの生き方ができる。(written by 鈴木傾城)

内面の腐った人間や組織との友情や友好関係はあり得ない。こういった「生きる上での基本概念」は、もっと教育の現場で取り入れられてもいいはずだ。

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