好きだった人と別れた時の喪失感は心の傷として一生残る

好きだった人と別れた時の喪失感は心の傷として一生残る

別れは誰でも経験する。幸せだった時間は返ってこないし取り戻すこともできない。悔やんで涙を流しても、どんなに後悔しても、やり直すこともできないし、相手を取り戻すこともできない。そして、いったん虚脱に落ちてしまうと、もう何も感じられなくなってしまう。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

心の傷は一生残る。決して、消えることがない

誰でも、好きな人と別れた経験があるはずだ。逆に、好きな人に別れを告げられるような経験もするはずだ。

告白して拒絶されて、それでも忘れられない人がいるはずだ。あるいは、自分から断ち切ってみたものの、深い後悔と未練にさいなまれて苦しんだ経験もあるはずだ。

大事にしていた関係が切れてしまったり、壊れてしまったり、消失してしまったりすると、人は誰でも茫然自失として、どうしていいのか分からなくなるはずだ。

そんな経験は、誰もしたくない。しかし、長く生きれば生きるほど、人は心がズタズタになるような経験を、一度のみならず、二度も、三度も繰り返す。

もし恋愛を通してそんな経験をしたことがあるのであれば、深い孤独を感じ、情けなくなり、哀しさにやり切れなくなったはずだ。運命は残酷だ。

この時に感じた心の傷は一生残る。

ひとりで静かにしている時、古い音楽を聞いた時、過去の出来事を懐かしく思い出している時、あるいは乗り物の中でうたた寝に誘われた時、不意に忘れようとしていたはずの人を思い出す。

胸が締め付けられるような痛みと共に別れの悲しさと苦々しさが蘇る。

決して、消えることがなく、静かに何度でも心の闇から現れて苦しめる。あなたも、心の傷が痛む日があるはずだ。

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

喪失感は本当に深く、時に何ヶ月も悲しみが続く

人は誰でも誰かを好きになって、信じられないほど幸せで、心地良い時間を得ることがある。

そんな甘美な時間はいつまでも続いて欲しいと思うが、やがて何かが原因で壊れてしまう。それは瞬間的に壊れるかもしれないし、あるいはとても何年も何年も持った後に、いろいろな原因が重なって別れてしまうこともある。

そのときの精神的ショックは本当に深い。幸せの山が高かったときほど、喪失感の谷底は深い。時に何ヶ月も悲しみが続いて止まらないこともある。深く、深く、どこまでも精神的に落ち込んで行く。

幸せだった時間は返ってこないし、もう取り戻すこともできない。悔やんで涙を流しても、どんなに後悔しても、やり直すこともできないし、相手を取り戻すこともできない。

別れた原因が何にしろ、ふたりで共有した幸せな時間は永遠に失われたという事実はとても深い喪失感を人に与える。それは、本当に心身共にズタズタになる。

号泣してしまう人もいれば、悲嘆のあまり自殺してしまう人もいる。精神的に不安定になり、自分でも心が喪失してしまったのを感じることもある。

多くの人が知っている通り、悲しみの感情は、訓練して強くすることはできない。虚脱感から立ち直るための方法など、あり得ないのだ。いったん虚脱に落ちてしまうと、もうそれ以外に、何も感じられなくなってしまう。

インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから

斧で叩き切ったかのように関係が切れてしまう

私は長らく東南アジアの歓楽街で生きてきた。夜の世界は刺激的で騒々しくて楽しかった。そこで、いろんな女性と会い、楽しんだり、怒ったり、笑ったり、哀しんだり、いろんなことを感じてきた。

異国の空気感と、匂いと、高揚感と共に想い出がリンクしている。

中には意気投合した女性もいれば、好きになった女性もいる。好きになってもらって嬉しかったし、心から感謝した。

しかし、東南アジアの歓楽街は生涯のパートナーを見付ける場所でもなく、自分にはそんなことができるとは思ってもいなかった。だから、誰と一緒にいても、ある日を境に、まるで斧で叩き切ったかのように関係が切れてしまう。

そんな場所で誰かを好きになる方が悪いというのは、自分でも分かっていた。

しかし、そうならないようにしているつもりでも、ついつい情が移り、好きになってしまう気持ちは自然に芽生えて、気付いたら深入りしてしまっていた。

歓楽街にいる女性は、好きになってはいけない女性だ。夜に生きている女性は、幻みたいなものだ。

しかし、私はいつも「好きになってはいけない女性」ばかり好きになってしまい、そのたびに関係が断ち切られ、ショックを感じてひとりで悶え、自制心を失い、動転した。孤独感に耐えきれなくなる。

関係が切れてしまったという現実を、何度も思い出しては切なくなり、立ち直れないほど傷ついた。そのたびに、何日もひきこもって誰とも会わなくなる。

そして、いつしか無気力感を感じながらも、何とかゆっくりと自分を少しずつ取り戻していく。

ただ、心の空洞は埋めることなどできないから、またふらふらと東南アジアの夜を野良犬のようにさまよい歩き、誰か嘘でもいいから好きなフリをしてくれる演技のうまい女性を捜し求めてしまう。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

他の人たちは、どうしているのだろうか……

心の傷を治すために、私は莫大な夜の女性の出会いで埋め尽くして忘れようとする傾向があった。

二十歳の頃、はじめて相思相愛になったバンコクのゴーゴーバーに勤める女性を振り捨ててから、私は喪失感を埋めるために夜の世界にのめり込んだ。夜の世界で立ち直って傷つき、傷ついては立ち直りを繰り返して、生きてきた。

永遠にそれは繰り返されるのかと思ったのだが、体力も健康も失った今、やっと私は夜の世界から少しずつ足を洗うことに成功して、過去の古傷を郷愁のような感情にすることができるようになった。

心の傷が郷愁になってから想うのは、過去に知り合った女性への感謝や、想い出の山だ。金を失うのと想い出を失うのでは、想い出を失う方が痛い。

しかし、いくつかの想い出は古傷に直結しており、それを無防備に想い出してしまうと、またもや古傷が疼《うず》いてしまうことになる。

ある日、大都会の雑踏の中で、無表情に歩く人々を見て、私はしみじみ思うことがあった。

他の人たちは、どうしているのだろうか……。過去の別れや喪失感と、どのように向かい合っているのだろう。

誰もが、別れを経験し、失意や、喪失感や、空虚な気持ちや、孤独感や、寂しさを心に持っているのは間違いない。ある時は、いたたまれない日もあるはずだ。そんな時、彼らはどうしているのだろう。

やはり、じっと耐えているのだろうか。それとも、誰もいないところで、孤独に涙を流しているのだろうか。あるいは、わざと忙しくして、何も思い出さないようにしているのだろうか。

雑踏を歩く人たちの表情からは、そんなものは何も読み取れなかった。人々は、無表情に街を歩いて、どこかに消えていく。

カリマンタン島のデズリー
ブラックアジア的小説『カリマンタン島のデズリー: 売春と愛と疑心暗鬼(鈴木 傾城)』

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

心理カテゴリの最新記事