「長寿化が、かならずしも幸福をもたらすわけではない」現実に気づきつつある

「長寿化が、かならずしも幸福をもたらすわけではない」現実に気づきつつある

「富裕層と貧困層」で平均寿命・健康寿命が変わってくる。さらに「都会と田舎」でも平均寿命・健康寿命が変わってくる。都会に住む富裕層は、平均寿命も健康寿命も延ばせる。だが、田舎に住む貧困層は、平均寿命も健康寿命も早く失う。すでに、現実はそのようになっている。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

健康を害した状態で延々と「死ねない」

1950年の日本人の平均寿命は、男性58.0歳、女性61.5歳だった。それを人にいうと「昔の人はそんなに寿命が短かったんですか?」と驚くのだが事実だ。現在の日本人の平均寿命は男性81.6歳、女性87.1歳だ。本当に長生きできるようになった。

このような数値を見ると、多くの人々は寿命の延びを喜ばしいものと捉えがちだ。だが、本当にそれは喜ばしいことなのだろうか。最近、多くの日本人は「長寿化が、かならずしも幸福をもたらすわけではない」現実に気づきつつある。

長生きしても、健康を害した状態で延々と「死ねない」のは、かなりの苦痛ではないだろうか。少なくとも、それは幸せな状態であるとはいえないはずだ。

2020年時点での統計では、日本の高齢者の「健康寿命」は、男性で約72歳、女性で約75歳である。平均寿命との差は男性で約9年、女性で約12年もある。これらの期間は、しばしば寝たきりや病院での治療生活を余儀なくされる。

ちなみに、寝たきりの状態は安楽なものではない。これについては、以前にも書いた。改めて読んで欲しい。(マネーボイス:深夜に働く介護士が語った“終末期ケア”を受ける高齢者の苦しみ。寝たきりは苦痛の連続、家族も知らない「静かで安らかな状態ではない」という現実=鈴木傾城

健康を害すると、孤独がますます深まる。内閣府の調査によれば、65歳以上の単身世帯は年々増加しており、2020年時点では全世帯の約28%を占めている。彼らの多くは、望まない孤独に追いやられる。高齢で、病気でも、医療が発達して「死ねない」上に、ずっと孤独の状態になる。

健康寿命と生活の質に焦点を当てることなしに、ただ寿命を延ばすことは、社会全体の幸福度を損なう可能性が高い。

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国富が減少すると、どうなっていくのか?

日本の人口動態は、長年の高齢化と少子化の進行により、危機的な状態にある。このような状況下で、国富の減少が平均寿命に及ぼす影響を考えると、非常に深刻な問題が浮かび上がる。

政府は、とにかく社会保障費の削減を恒常的におこなうだろう。

現時点での日本の社会保障費は、年間約130兆円に上る。その中でも、高齢者医療や年金は大きな割合を占めている。これらの支出は国家財政を圧迫しているのは事実だ。このままでは、いずれ医療や介護のサービスが制限され、結果的に平均寿命の低下につながる可能性が高い。

さらに、医療サービスの質の低下も懸念される。日本が衰退していけば、医療の質も全般的に低下していくことは明白だ。

「高齢化で患者が増えれば病院も儲かるはずだ」と考える人もいるのだが、実際には政府による医療費抑制の政策や、材料費の増加、研修費の高額化、人件費の上昇などで病院は儲かっていない。

今の段階でも日本の医療機関の約60〜70%が赤字経営に陥っており、地方では医師不足や病院の閉鎖が深刻化している。このような事態が進行すれば、高齢者だけでなく、全世代の医療環境が悪化する。

最終的に、社会保障費の削減は、国民全体に健康格差をもたらす。

経済的に余裕のある層は引き続き質の高い医療サービスを受けられる一方で、低所得層は医療へのアクセスが制限される。このような格差の拡大は、平均寿命の地域間や階層間での差異をさらに広げる。

つまり、「富裕層と貧困層」で平均寿命・健康寿命が変わってくる。さらに「都会と田舎」でも平均寿命・健康寿命が変わってくる。都会に住む富裕層は、平均寿命も健康寿命も延ばせる。だが、田舎に住む貧困層は、平均寿命も健康寿命も早く失う。すでに、現実はそのようになっている。

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つまり、「健康寿命が大切だ」ということ

私自身は、平均寿命よりも健康寿命のほうが絶対的に大切だと考えている。平均寿命とは、出生時に予想される生存年数を指すが、健康寿命は疾病や障害のない状態で自立した生活が送れる年数を意味する。

この2つは、まったく違うものだ。当たり前だが、普通に生きるためには健康である必要がある。病気で苦しみながら、長く生きたいなど思わないはずだ。誰でも、死ぬ直前まで健康でありたい。

それはつまり、「健康寿命が大切だ」ということなのだ。

健康寿命を失うと、自立した生活が困難になり、日常生活や社会活動でさまざまな制約が生じることになる。好きにあちこち出かけることもできなくなるし、旅行も行けなくなる。趣味に打ち込むこともできなくなる。

健康も体力も失うと、気力そのものがなくなってしまうのだ。

さらに健康状態が深刻になっていくと、食事を自分で準備することも、ひどい場合は食事を摂る行為そのものも難しくなったりする。

着替えや掃除など、自分の身の回りを整えることができなくなり、介護者のサポートが必須になる。入浴や排泄にしても介助が必要となり、プライバシーの確保も難しくなる。

日常の選択肢が狭まり、自分の意思で行動する自由が制限され、自己決定権も低下してしまう。健康寿命を失うというのは、そういうことなのだ。人によっては「ただ生きているだけ」となってしまう。

そう考えると、平均寿命を延ばすよりも、健康寿命を延ばすほうが大切であり、いかに健康寿命こそが重要視すべきものであることがわかるはずだ。

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健康寿命を守る生きかたを意識し、実践する

健康寿命は大切だ。しかし、経済的に豊かな層は、より質の高い医療や健康管理を受けられる一方で、貧困層は十分な医療サービスにアクセスできない。つまり、貧困層は不利な状態にあるということになる。

では、どうすればいいのか?

健康寿命や平均寿命を延ばす上で有利な状態にある富裕層であっても、酒に溺れ、タバコを吸い、ジャンクフードを食いまくり、ストレスある生活環境の中で生きていたらあっという間に健康寿命なんか失う。

逆に貧困層であっても、酒やタバコや有害な嗜好品から自らを遠ざけ、ストレスのない生活を心がけ、食事などにも気をつけていたら、たとえ経済的に不利な状態であっても、不摂生する金持ちよりも健康で長生きできる可能性が高まる。

つまり、健康寿命を守る生きかたを実践すれば、うまく健康寿命を延ばせる。

健康寿命というのは、誰かと競争するものではなく、あくまでも自分自身で自分を守るものなのだ。自分を大切にできる人間は健康寿命を延ばすことができて、最終的には自立した生活を長く続けることができる。

私自身は、2006年に事故に遭って、さらに病気を抱えて酒もタバコもやめてしまったのだが、ジャンクフードと、夜行性の生活と、堕落した生活だけはやめられない。客観的に見ると、長く見積もっても、あと10年くらいで健康寿命を失ってしまいそうだ。

死ぬのは74歳と決めているので、74歳で健康寿命が切れたらちょうどいいのだが、果たしてどうなるのか。こればかりは、なんともいえないものがある。

74歳で死ぬどころか、来月にも女に刺されるとか、浴室でヒートショックを起こすとかで、唐突に死ぬこともありえる。それはそれで、ひとつの人生でもある。

理想的には、あと15年、16年くらいは健康寿命が保てて、74歳くらいのときに腹上死で死ぬのが一番だと思っている。そんな都合良くいくかどうかはわからないが、死ぬその前日までは健康寿命があってほしいものだと思っている。

果たして、どうなることやら……。

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