
タイで78歳のイギリス人のホームレスが保護されている。彼の身元を確認したNPO団体は驚きを隠せなかった。彼はローズ奨学金を得てイギリスの名門・オックスフォード大学で学んだエリートで、一時期は大きな事業も成功させていた人物だったからだ。見る影もない転落ぶりだった。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
彼の経歴は、きわめて輝かしいものだった
タイで78歳のイギリス人のホームレスが保護されている。老いて足が化膿して壊死寸前で歩くことができなくなっていた。タイでは白人のホームレスは珍しくないのだが、この男は若干毛色が違っていた。
救出されたのちに、彼の身元を確認したNPO団体は驚きを隠せなかった。彼の経歴は、きわめて輝かしいものだったからだ。彼はローズ奨学金を得てイギリスの名門・オックスフォード大学で学んだエリートだった。
ローズ奨学金は、ローズ奨学金は単なる経済的援助ではなく、リーダーシップ、学問的な能力、そして社会への貢献意識を高く評価する名誉ある賞だ。
毎年、世界中から約5,000人もの優秀な若者が応募する制度なのだが、その中から選ばれるのはわずか150人程度であり、非常に優秀な人物しか得られない。彼はそのローズ奨学金の資格を得たのだ。
オックスフォード大学では政治経済学を専攻し、文学の学士号を取得している。彼の知性は際立っており、単なる学業成績だけでなく、多角的な視野や分析力を備えていた。学内では国際的な友人たちと交流し、幅広い人脈を築いた。
大学卒業後、彼はイギリスを離れ、アジアを拠点にキャリアをスタートさせた。まず記者として、名だたるメディアで活動した。タイ赴任時には、ロンドン・タイムズの記者として鋭い社会分析を武器に現地事情を世界に伝えた。
彼の実績はメディア業界にとどまらなかった。やがて自ら起業してメディア企業を立ち上げ、最盛期には25人の従業員を率いていた。
さらに2005年には、アジアを中心に展開する大規模なベンチャー企業を起こし、従業員数は140人規模にまで拡大。彼の事業は成功を収め、預金残高は8,000万バーツ(日本円で約3億円)にも達した。
そんな人物がホームレスと化して、ボロボロになってタイの路上で暮らしていた。
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人生は予想もしない方向へと向かっていた
彼は不良外国人ではない。個人としてだけでなく、経営者としても傑出した成果を残し、多忙なビジネス生活の中でも、書籍執筆やコンサルティングにも精力的に取り組んでいた人物だったのだ。
彼の人生には「知性」「実績」「行動力」という3つの要素がそろっていた。
卓越した頭脳、困難に立ち向かう粘り強さ、社会の変化を読み取る洞察力。こうした特徴はローズ奨学金受給者らしいものであり、エリートの中のエリートと呼ぶにふさわしいものだった。彼は、多くの人々から信頼と尊敬を集めていた。
このような人物が、なぜ後にバンコクの路上でホームレスとなるのか。社会的成功や大きな資産を持ちながらも、その後の人生は予想もしない方向へと向かっていた。事の発端は糖尿病だった。
彼は糖尿病で、徐々に体力と気力を削られるようになった。
病気が進行する中で、日常生活にも支障をきたし始めた。糖尿病は単なる生活習慣病にとどまらず、身体のあらゆる部分に合併症をもたらし、長期にわたって本人のQOLを低下させていく。
悪いことに、ビジネス上でも逆風が吹き始めた。グローバル経済の変化、競争の激化、予期せぬ取引先の倒産など、外部要因が彼の事業基盤を大きく揺るがせた。
資金繰りが苦しくなり、かつては8,000万バーツの預金を有していた彼も、次第に生活費を工面するのが難しくなった。彼が創業した会社は破綻し、信用や人脈も目減りしていった。
仲間や従業員も離れ、彼の周囲には誰も残らなくなった。彼は知的な資産や職歴を武器に再起を試みようとしたが、うまくいかなかった。身寄りもなく、行政の支援も十分に得られなかった。
彼は最後まで生活困窮者向けの支援に頼ることもためらい続けていたが、家賃の滞納が続き、ついに家主から退去を命じられた。持ち金は底をつき、コンドミニアムを追い出されることとなった。
ポケットには1バーツも残っていなかった。路上に出た彼は、食事を確保するのも困難になり、次第に身体も衰弱していく。バンコクの繁華街で路上生活を始めた彼の姿は、かつてのエリートの面影を完全に失っていた。

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彼はあっという間にどん底へと落ちていった
かくして、知性や過去の栄光に彩られた彼の人生は、あっという間にどん底へと落ちていった。
成功と挫折は表裏一体だ。どれほどの能力を持ち合わせていようとも、人生のリスクから完全に逃れることはできない。ときには、個人の力だけでは乗り越えられない現実もある。
彼の転落は、まさにそれを示している。
彼の地獄はホームレスになったところで終わったのではなく、医者に診てもらうこともできない中で、糖尿病の悪化は止まらず、合併症が次々と表面化したことだ。やがて、彼の足は細菌感染による壊死が進行し始め、傷の手当ても満足にできず、歩くことすらままならない状態に陥った。
ある日、歩道で倒れているところを看護師が通りかかり、即席で包帯を巻いてくれたが、根本的な治療には到底及ばなかった。
ついに、彼の状態は命の危機にまで達した。高熱と強い痛みが続き、足の壊死は広がる一方だった。
結局、彼は幸運なことに人道援助をおこなうNPO団体に救出されることになった。団体は彼の状況を把握し、医師の診察を手配した。足の壊死はすでに危険な段階にあり、医療チームはすぐに緊急手術をおこなう必要があると判断した。
チュラロンコーン病院に搬送された彼の血圧は88/46という極度に危険な状態だった。医師は切断の可能性も伝えたが、できる限り保存する方法を選択。手術は無事成功し、壊死組織を除去できたことで、足の切断は免れた。
彼は幸運だった。
本来であれば、このまま亡くなっていたとしても不思議ではないギリギリの瀬戸際で助かったのだ。
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健康が損なわれれば知性は十分に発揮できない
この彼の状況を観察して思うのは、どれほど知性に恵まれ、輝かしい経歴や実績を持っていても、社会構造やサポート体制が不十分であれば、誰もがホームレスになる可能性があるという事実だ。
人生は何が起こるのかわからない。
失業、病気、事故、精神的な問題、社会的孤立、詐欺の被害、犯罪の標的、家族や身内の不幸、不況、金融危機、自然災害など、何が自分の人生に襲いかかってくるのかわからない。今は順風満帆であっても、それが永遠に保証されているわけでもない。
世の中には、個人の努力や能力だけでは回避できない落とし穴が存在している。彼のような見事な経歴の持ち主でさえも、ホームレスへと転落するのだ。普通の人がそうなったとしても何ら不思議でもない。
私も、同じような境遇にならないとも限らないし、私のまわりにいる人たちの誰もがそうなったとしてもおかしくない。不運と社会的な不備が重なってしまうと、あっという間に奈落へと突き落とされていく。
いったん、負のスパイラルに落ちたら、学歴や職歴、知性といった「過去の資産」では、極限状態を打破する決定的な力にならない。
日本でも、高学歴のホームレスが存在することは以前にも書いた。(ブラックアジア:高学歴のホームレス。学歴は安定を保証せず、誰でもホームレスになるのが現実)
ホームレスの中には、元富裕層、元管理職、元社長も一定数存在する。これは、学歴も、キャリアも、知識も、かならずしも永続的な安定や安心を保障しないことを示している。
どんな知性があったとしても、健康が損なわれれば知性は十分に発揮できない。大きい資産があっても、不況や投資の失敗や金融ショックなどで資産が激減することもありえるし、場合によっては何もかも失うことすらもある。
そして、資産を失えば社会的な信用やネットワークも崩壊する。そこに孤独や精神的疲弊が積み重なれば、もう這い上がることも不可能と化す。
社会はしばしば「ホームレス=努力不足」や「知性がないから貧困になる」といった偏見を抱きがちだ。それは、仔細に見ると事実ではない。オックスフォード大学で学んだエリートでさえも、不運が重なればホームレスと化す。
私は一生ぶらぶらと暮らすくらいの資産はそれなりに作ったが、だから安泰だと思ったことは一度もない。世の中、どんな最悪なことが起きても不思議ではないのだから、自分がホームレスになったとしても、まったく驚かない。
この、タイで救出された78歳のイギリス人のホームレスを見てて、そう思う。

エリート中のエリートとか持ち上げられていた彼が
社会の底辺に転落してしまったのは興味深いですね。
ほとんどの人たちも
すぐに最底辺に転落する危険があるということでしょう。
ローズ奨学金、英米圏ではエリート中のエリートの代名詞
オーストラリアでも、ホーク元首相、アボット元首相などが
知られています。アメリカではクリントン元大統領など。
人生 死ぬまで何が起こるか分かりませんね。