
タイの首相ペートンタン・シナワットは、10年以上にわたりバンコク市内の入国管理施設に収容していたウイグル族40人を中国に強制送還した。送還は極秘におこなわれた。これが明るみに出たら国際社会から批判されるのはペートンタン首相もわかっていた。しかし、それでも強制送還したのは理由がある。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
国際社会から即座に強い反発を招いても戻した
2025年2月27日、タイの首相ペートンタン・シナワットは、10年以上にわたりバンコク市内の入国管理施設に収容していたウイグル族40人を中国に強制送還した。この出来事は翌28日に公表され、国際社会から即座に強い反発を招いた。
ウイグル族は中国新疆ウイグル自治区に居住するイスラム教徒の少数民族であり、中国政府による人権侵害が長年問題視されている。
彼らは2014年に中国での抑圧を逃れるためタイに不法入国し、当初は約300人がマレーシア国境付近でタイ当局に拘束された。その後、一部はトルコなど第三国への再定住が認められたが、40人を含む残りはタイ国内で収容され続けていた。
送還は極秘におこなわれた。27日深夜、バンコクの入国管理局施設から出発したトラックは、窓を黒いテープで覆い、外部からの視線を遮断していた。このトラックはドンムアン国際空港に到着し、そこから中国南方航空の特別便が新疆ウイグル自治区のカシュガルに向けて飛び立った。
送還された40人の具体的な身元や状況は明らかにされていないが、彼らが10年以上にわたり収容されていたことは事実である。この長期拘束は、タイ政府が彼らの法的地位を明確にせず、難民申請の手続きを進めることもなかった結果である。
国連人権高等弁務官事務所(UNHCR)は、送還直後に声明を出し、「迫害の恐れがある国に送り返してはならないという国際法の原則に違反している」とタイ政府を批判した。この原則は「ノン・ルフールマン原則」と呼ばれ、国際慣習法およびタイが批准する拷問禁止条約に明記されている。
UNHCRは、送還されたウイグル族が中国で拷問や虐待を受ける危険性が高いと警告していたにもかかわらず、ペートンタン・シナワット首相がこれを無視したことを強く非難した。
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ペートンタン首相は送還の正当性を主張
これについては、アメリカも激怒している。米国務長官マルコ・ルビオは27日、オンライン声明で「タイによる強制送還をもっとも強い言葉で非難する」と述べた。
マルコ・ルビオは、筋金入りの反中議員だ。長らく、中国が新疆ウイグル自治区でウイグル族やその他の少数民族を対象に「ジェノサイドや人道に対する罪」を犯していると中国を批判してきた。そのため、今回のペートンタン首相の決断が許せなかったはずだ。
英国のデイヴィッド・ラミー外相も「イギリスはタイの決定に反対する」と表明し、欧州連合(EU)も「深く遺憾に思う」との立場を示した。これらの反応は、送還が単なる国内問題ではなく、国際的な人権規範にかかわる重大な事件であることを明確に示している。
しかし、ペートンタン首相は送還の正当性を主張しており、公式声明で「国内法および国際的な原則に基づいておこなわれたものであり、問題はない」とシラを切った。彼らが10年以上拘束されていた状況は「正しくない」ので、中国側との協議を経て送還を決定したと説明した。
さらに、タイ政府は中国政府から「送還されたウイグル族の安全を保証する」との確約を得たと主張している。
ペートンタン・シナワット首相は、最近の中国訪問でこの確約を確認したと述べたが、27日の記者会見では送還の事実を認めず、「どの国も法律と人権の原則を順守すべきだ」とあいまいな発言に終始して問題から逃げ回っている。
一方、中国政府は送還を歓迎し、外務省報道官が27日の記者会見で「40人の中国籍不法入国者がタイから送還された」と認めた。ただし、彼らがウイグル族であるかどうかについては明言を避けた。
中国側はこれを「密入国などの越境犯罪に対抗する両国の協力的措置」と位置づけ、人権団体や欧米諸国の批判を、いつものように「内政干渉」と一蹴している。
報道官は「人権を名目にでたらめを拡散する行為をやめるべきだ」と上から目線で述べ、中国が新疆で人権侵害をおこなっているとの指摘を全面否定した。
しかし、いくら中国政府が否定しても、ウイグル族に対し強制収容や拷問をおこなっている事実は、国連や人権団体から繰り返し出されており、中国政府の否定はまったく信用されていない。
ウイグル族をかばっても一バーツにもならない
ウイグル族が2014年にタイに逃れてきた背景には、中国新疆ウイグル自治区での過酷な弾圧がある。中国政府はウイグル族を「テロリスト」や「分離主義者」と位置づけ、監視、強制収容、拷問などの人権侵害を体系的におこなっている。
これを逃れたウイグル族は東南アジアを経由して第三国を目指すが、タイはその経路に位置する国のひとつだった。
だが、彼らは不法入国者として拘束され、難民認定や第三国移送が進まないまま10年以上収容されていた。この長期拘束は、タイ政府がウイグル族の法的地位をあいまいなまま放置してきたことを示している。
なぜ、タイは迫害されて逃れてきたウイグル族を「難民」と認めないのか?
もちろん、それは中国との関係を悪化させたくなかったからだ。タイにとって中国は重要な経済パートナーであり、中国からの投資やインフラ支援に依存している。2025年時点で、中国はタイの最大の貿易相手国であり、一帯一路構想を通じた経済協力が深化している。
この関係の中で、中国はタイに対してタイ国内のウイグル族の送還を繰り返し要求していた。タイ政府は、2015年に109人のウイグル族を送還した前例があり、その際も国際的な批判を浴びたが、やはり中国との関係を優先した。
今回の送還も、ペートンタン首相が中国の圧力に屈し、人権よりも経済的利益を重視した結果である。中国と仲良くしていればカネも利権も手に入るが、ウイグル族をかばっても一バーツにもならない。それならば、ウイグル族は邪魔でしかない。
ウイグル族の第三国移住を積極的に受け入れたのは主にトルコであり、他の国々は難民受け入れに消極的である。ペートンタン政権は「今回、トルコを含む第三国が受け入れを表明しなかった」と説明し、送還の責任を一部他国に転嫁した。
しかし、タイが自ら難民保護の責任を果たさず、中国への送還を選択した事実は変わらない。国際法上のノン・ルフールマン原則は、迫害の恐れがある国への送還を禁じているが、ペートンタン首相はこの原則も無視した。
タイの人権団体「ピープルズエンパワーメント財団」は、「送還は中国からの経済支援と引き換えにおこなわれた」と主張し、政府の動機に疑義を呈している。
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ペートンタン首相は中国との関係を優先し続ける
タイ政府によるウイグル族40人の強制送還は、国際法と人権尊重の観点から明確な違反である。ノン・ルフールマン原則は、迫害の危険がある国への送還を禁じており、ペートンタン首相がこれを破った事実は否定できない。
ウイグル族が中国で拷問、強制収容、さらには生命の危険に直面するリスクは、国連や人権団体の報告で繰り返し確認されている。
ペートンタン首相が「中国から安全の保証を得た」と主張しても、中国の過去の人権侵害の実績を考慮すれば、そんな保証などに信頼性はない。この送還は、人権よりも中国との関係とカネを優先した行為であり、ペートンタン首相の責任は重大だ。
ペートンタン首相は「法律と人権の原則を順守する」と述べたが、実際の行動はこれに反する。完全に一貫性を欠いている。国内法である「拷問及び強制失踪の防止及び制圧に関する法律」すら無視したのは、ペートンタン首相が自国の法体系を軽視している証拠でもある。
おそらくペートンタン首相は、ウイグル族を送り返したことがこれほど問題になってしまうとは思いもよらなかったはずだ。そういう意味では、誤算だったのだろう。だが、今さら中国に戻せとも言えないわけで、ペートンタン首相の立場はかなり苦しいものになってしまっている。
しかし、それでもペートンタン首相は中国との関係を優先し続ける。タクシン一族は長年にわたり中国との経済的結びつきを強化し、インフラ投資や貿易で利益を得てきた。ペートンタン首相もこの路線を継承し、中国の一帯一路構想への参加を積極的に推進している。
ウイグル族送還は、その忠誠心を示す行為であり、中国からの支援を確保するための代償であったのだ。タイが中国との関係を優先する限り、ウイグル族は保護されることはない。
今回のペートンタン首相の動きを見ると、この政権が今後も媚中政策を続けていくことがありありと見て取れる。中国と緊密である限り、シナワット一族にはカネが入って繁栄していく。ウイグル族を売り飛ばすことくらい、シナワット一族には何ともないことなのだろう。

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