私が社会に出てからしばらくすると、時代はバブルに入った。振り返って思うと、それは異様な時代でもあった。
まわりでも、カネをばらまくように使ったり、旅行でも高級ホテルに泊まったり、ショッピングでブランド物を買い漁ったり、三ツ星ランクのレストランで食事したり、高級車を買ったりして、それを誇示するような人が大勢いた。
私自身は、ごたぶんに漏れず、バブルのさなかには投機的な株式投資をしていて、すでに同世代の若者たちよりも何十倍ものカネは動かしていた。
しかし、今でもそうだが、当時から投機の軍資金と生活費は厳格に分けていて、投機で得た金で意味もない贅沢品を買おうとも思わなかったし、最初からそんなものには1ミリの関心もなかった。
私は必要最小限のカネだけを持ってタイの貧困街にいき、場末の安宿に住み、20バーツ(約80円くらい)の料理を食べ、気づいたら貧困の女性たちとつき合っていた。バブルに踊っていた金満の日本にいるよりも、東南アジアの片隅にいるほうが幸せだった。
当時の日本女性は、本当にバブルを具現化したようなライフスタイルだった。ド派手なディスコで踊り狂い、グルメを楽しんだり、ヨーロッパに旅行にいったり、ブランド物を買い漁って自慢したりしていた。
それに較べると、東南アジアの女性たちは、多くの日本人にとっては見劣りがしたかもしれない。彼女たちは貧困の中で生きていたし、着ているものも日本人女性のものに比べると粗末だった。
しかし、私にはそんなことはどうでもいい話だった。とにかくタイの女性たちの魅力に惹かれていた私は、自国の女性から関心が離れてしまった。
タイの女性は、奔放で弾けているのに敬虔深い仏教徒であったり、底なしに優しいのにしたたかだったり、状況が深刻なのにおっとり構えていたり、よくわからない不思議な二面性があって、私はすっかり虜になっていた。