◆インド女性初のヌードモデル「マヤ・シン」が自分の身を守った方法とは?

◆インド女性初のヌードモデル「マヤ・シン」が自分の身を守った方法とは?

インドは古代の神々がセックスに奔放であった上に、『カーマ・スートラ』のような性愛テクニック書がある国なので、本来は非常に性に対して大らかな国だったはずなのだが、いつしか強烈な締め付けによって性の奔放さは封印された。

社会は閉塞的になり、女性は処女性を重視され、デートも自由にできず、結婚も親が決めた相手とするような時代がずっと続いていた。

インド映画は誰も彼もが楽しく愉快に踊り狂っており、恋愛シーンもたっぷり描かれているのだがキスシーンやセックスシーンは原則としてない。キスシーンが緩和されたのは2013年からだが、それでも一般化していない。

長いキスシーンのある映画もあることにはあるのだが、それは「18禁」であり、れっきとしたポルノとして扱われる。あれだけ女優が半裸みたいな格好で踊り狂っているのに、キスシーンもセックスシーンも駄目なのだ。

そういう厳格さが社会に残っているので、インド女性のヌードが雑誌に載ることは滅多にないし、インド女性が外国でヌードで雑誌に載ったら「国辱」「恥さらし」としてテロリストに殺害予告を受けるような目に遭う。

しかし、さすがにインターネット全盛の時代になると、社会の規範は緩んできた。若い女性たちが嬉々として手持ちのスマートフォンで自分のヌードを取り始めるのが10年前から増え始め、もはやインド女性のヌードは珍しくも何ともない。

時代は確かに変わった。それは、たかが10年ほどの変化である。その前までは強烈な締め付けだったのだ。そんな厳しい時代のインドで、最も最初にヌードになった女性というのは誰だったのだろうか……。

最近になってやっとそれを知った。「マヤ・シン」と呼ばれる女性がそうだった。彼女こそが、インド女性初のピンナップ・ガール(ヌード女性)だったのだ。

どんな女性だったのか? こんな女性だった。

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