「無為に過ごす」という言い方がある。分かりやすく言うと、何となくだらだらと、目的もなく過ごす」という意味だ。私は旅人だったので「無為に過ごす」ことが多かった。なので、怠惰の喜びを知っている。
何もせず、何も考えず、何も望まない。
ワーカホリックの人たちを横目で見ながら、自分だけは何もしないでただ太陽が昇るのを見て、太陽が沈むのを見て、一日を終える。
東南アジアの熱帯の自然は美しく、それが名のない場所の観光地ではないようなところでも、ギラギラとした灼熱の太陽が地平線に沈んでいくような光景は壮大なドラマのように思えたものだった。
ビーチに行けば、生い茂る椰子と白い砂浜が目の前にあって、「無為」を貪るに不自由しなかった。東南アジアのビーチでは、流れる空気さえも違っていた。
灼熱の太陽に身を焦がし、木陰でひんやりとした熱帯の果汁を飲み、ぶらぶらと過ごす。
多くの人々が薄々と気付いているはずだが、やるべきことを何もせず、面倒なことを先延ばしし、責任を回避し、惰眠と堕落と怠惰を貪るのは、実は途轍もない快楽なのである。