純度100%を拒絶せよ。純度が高まれば高まるほど劣性が極大化する

純度100%を拒絶せよ。純度が高まれば高まるほど劣性が極大化する

平和を願う人がいる。この世は平和ではないので、平和になるために何かしたいと思う。ある時この人は、戦争を決断するのは政府であり戦争を実行するのは軍隊であることに気付く。

そのため政府や軍隊に向かって「平和を守れ」と叫び、心から平和を願って祈り、涙を流す。本当に平和な世の中になって欲しいと願っている。

ところが、世の中はまったく反応しない。いくら叫んでも愚民たちは日々の生活に一生懸命で関心を寄せない。政府も軍隊もまるっきり聞く耳を持たず、平和への祈りは無視される。

世界の平和のために、もっと強くもっと過激に叫ばないと誰も振り向いてくれないと感じる。そのために、平和への活動はどんどん過激になり先鋭化していく。言葉もパフォーマンスも過激化して攻撃的になっていく。

「平和を乱す政府は打倒せよ!」「今の社会を叩き潰せ!」「革命だ!」と言うようになる。過激になればなるほど純度の高い人間が集まるのだが、逆に世間から相手にされなくなっていく。すると、最後にはどうなるのか。

「平和を実現するためには、分からない奴を暴力で抹殺しなければならない。分かる奴だけでユートピアを作るのだ」と思うようになっていくのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「純度100%」は非常に危険なのだと気づくべきだ

「平和」の部分は、「差別」に置き換えても「宗教」に置き換えても「文化」に置き換えても通用する。あらゆる思想は、純度が高まっていけば原理主義となる。

「原理主義」はその思想を100%の純度まで培養し、先鋭化し、「それ以外は存続を認めない」という純粋な思想である。

純粋と言えば、何かとてもクリーンな感じがして良い印象を抱くはずだ。混じりっけなし。完全無欠。そういったものは、清潔で素晴らしいというイメージがある。

「純度100%」に悪い印象を持つのは難しいかもしれない。しかし実のところ、「純度100%」は非常に危険だと気がつかないと取り返しの付かないことになる。

純粋であろうとすればするほど、原理主義であろうとすればするほど、それは非常に強い「毒」となって自分や社会を傷つけることになる。

原理主義がなぜ危険なのかは、イスラム原理主義やキリスト原理主義や白人至上主義がしばしば大きな問題を引き起こしていることで分かるはずだ。

「自分たちが正しい、自分たちの正当性こそが100%だ」と考えてしまうと、他者はすべて「敵」となって排除すべきだと考えるようになり、妥協できないがゆえに敵は皆殺しの対象になってしまうのである。

多くの宗教は教義の中で平和を謳っているのに、その宗教が神の名を借りて異民族の虐殺に突き進むのは、原理主義に陥って妥協できなくなってしまうからだ。

すべての思想において「純度100%」は、対立と衝突と暴力と皆殺しの前兆になっていくのである。

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純度が高まれば高まるほど、劣性が高まる事実

たとえば、人間の「血」に関してはどうか。

人間の「血」で純度を高めるというのは、近親相姦をずっと繰り返して「余計な血を入れない」ということである。

意図的にそれをやった一族がいる。ハプスブルグ一族だ。この名門一族は、あまりにも名門だったので、自分たちの血を身分の低い他人の血と混ぜるわけにはいかないと考えた。

そこで、ハプスブルグ一族は純血主義を徹底して、一族間の近親相姦を繰り返したのだが、その結果、どんどん心身に問題を抱えた子供たちが生まれていった。

純血は、良い遺伝子と良い遺伝子が組み合わされればさらに良くなるが、劣性の遺伝子が組み合わされると問題が大きくなって場合によっては命に関わってしまう。

ハプスブルグ一族も劣性遺伝子と精神疾患に悩まされるようになり、とうとうその血は断絶した。

これは人間だけでなく、一般的にすべての動物で言えることである。たとえばペットの犬や猫でも、「純血種」は身体が弱かったり病気にかかりやすかったりする例が多いのはよく知られている。

そもそも、極端に足が短い、極端に鼻が低い、極端に小さいという純血種の特徴は「劣性遺伝子」による奇形がどんどん突き進んだ結果なのだ。

純度を高めることによって、劣性の部分を極大化させていき差別化している。それが純血種という存在である。純度が高まれば高まるほど劣性が高まる。

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共産主義思想をとことん純化させた国があった

政治に関してはどうか。共産主義はマルクス主義が主流となって1900年代から爆発的に浸透していった思想だ。この思想は、単純に言えばこうだ。

「財産をすべて国のものとして、国が国民に平等に分配し、平等な社会を作る」

これはレーニンやトロツキーや毛沢東によって支持されて、ソビエト社会主義連邦や中華人民共和国として結実した。

結局、国の分配はうまくいかず、1980年で事実上、共産主義の思想は破綻していくことになるのだが、1970年代に、この思想をとことん純化させた国があった。

カンボジアだ。

1974年、カンボジアのポル・ポト政権はアメリカの傀儡政権を崩壊させて権力を奪取したが、その翌日から異様な共産主義を実行し始めた。

国の通貨をすべて廃止し、インテリ層を皆殺しにし、プノンペンを無人にし、国民をすべて農村に送り出して共同生活を強いたのである。

つまり、カンボジアはポル・ポト政権が政権を取った1974年から国民の職業はひとつになった。農民である。「医者も、学者も、いらない」とポル・ポトは豪語した。

共産主義を極度に純化させたそれを「原始共産主義」と彼らは呼んだ。

しかし、その純度を高めた原始共産主義で国民が100万人も死んでいき、カンボジアはたった5年でアジア最貧国となって国家崩壊していった。

朝日新聞は、このポル・ポト政権の共産主義国家が誕生した時に「アジア的優しさ」などと能天気に評して「新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待にこたえるかもしれない」と馬鹿な記事を載せていたので有名だ。

ところで、このポル・ポトとは何者だったのか。

この男は、実は国費でフランス留学した「エリート」教師だったことを知っている人は少ない。エリート教師が外国で極端な共産主義にかぶれて同じエリート仲間たちと祖国で革命を起こし、最後に祖国を破壊した。

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100%でないと駄目だと考えた瞬間に、自滅する

世の中は何もかもが「純粋ではない」のだ。それにも関わらず、そこに純粋を持ち込むとどのようなことになるのか。

たとえば自分の純粋な理想を相手に押し付けて理想から外れることを許さないと、どのようなことになるのか。

純粋でないものを強制的に排除したいという動機が働くようになり、それが「自分たち以外の人間の皆殺し」の正当化に突き進んでいく。

理想を持つことや、純粋であることは、ほどほどであれば問題はないし、必要でもある。しかし、その純度を極限的なまでに高めようとして世界が歪む。

100%理想の哲学はない。100%理想の人はいない。100%理想の恋人や配偶者もいない。100%理想の友人もいない。また100%正しい物事もない。100%信じられる人もいない。

100%を目指すことの愚かさ、100%を求めることの愚かさ、100%に心酔することの愚かさは、もっと多くの人が気がついてもいい。

リンカーンは奴隷解放宣言をした政治家だが、ある理想主義者を部屋に呼んでこのように諭したという。

「コンパスはあなたに真北を指し示す。しかし、あなたと目的地の間にある障害物については警告しない」

原理主義とは、まさに純度をとことんまで高めて妥協を知らない主義だが、真っ直ぐに突き進むと目的が達成できないので結果的に挫折してしまう。

なぜ挫折してしまうのか。原理主義者は融通性が利かず、一方向しか進むことができないからだ。柔軟性を失って「曲がることができない」から一方向に突き進んで壁にぶつかって自滅する。

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純度100%に突き抜けた人は劣性に堕ちたということ

世の中には今でもあちこちで原理主義の組織や、社会が存在する。しかし、純度を高めれば高めるほど、急速な自壊に向けて突き進むことになる。

危険なのは、多くの人は「純粋」であることに対して良いイメージしか持たず、「純粋」「純度100%」が理想であると考えている人もいることだ。

自分たちが100%正しいと思っているので、方向性を変えたり新しい変化に対応することを拒絶する。それが仇になる。

どんな世界でも、どんなジャンルでも、そこで100%を追求しようとする集団や個人は必ず存在する。惹きつけられるかのように「純度100%」に向かって突き進む。

実はある瞬間まで「純度100%」を追求するのは美しいのだ。

しかし、その試みが一線を越えて原理主義に陥ったら、その瞬間に危険な存在と化し、急に理解されなくなる。いや、熱烈な支持者は残るのだが、ほとんどの人は急にその純粋さに疲れて去っていく。

ボディービルはどうだろう。普通の人は、引き締まって筋肉質の身体に惹かれる。それは健康的で精悍に思えるからだ。だから、筋肉を付けるということを追求することは人々の支持を得る。

しかし、筋肉原理主義と化して凄まじい筋肉のバルクでまるで鎧のようになってしまったボディービルダーを見ると、急に人々の評価は分かれていくようになる。

異様なまでに膨れ上がった筋肉の塊は健康的には見えないし、そこまで行きつくことに疑問を感じさせるからである。「純度100%」なのだが、そうだからこそ人々は引いていく。

食事もそうだ。人々は甘いものが好きだが「純度100%」の甘さを追求したものはほとんどの人が受け入れられなくなる。辛さもまた然りだ。

純度は高めれば高めるほど自壊に向かう。そう考えれば、すべての物事は純度を高めながらも、決して「ある一線」を越えないようにするのが生き残る方法であることが分かるはずだ。

どこまでが許容範囲でどこからが原理主義か。その見極めができて、ギリギリで踏みとどまれる人を天才と言う。純度100%に突き抜けた人は劣性に堕ちたということだ。(written by 鈴木傾城)

ポルポト政権「共産原理主義」が生み出したもの。それは、自分たちの主義主張に反する人間を片っ端から抹殺していくことだった。その純度を高めた原始共産主義で国民が100万人も死んでいき、カンボジアはたった5年でアジア最貧国となって国家崩壊していった。

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