ここ最近、あまり国外に出なくなったし、しばらく旅の話も書かなかった。以前は国外で撮った写真もたくさん載せていたが頻度も減った。
今日は久しぶりに、旅で撮った写真のいくつかを載せてみたい。2014年にインドに行っているのだが、その時に撮った写真で、まだブラックアジアにも紹介していないものも大量にある。
どこかの記事で使った写真もあるのだが、すでに大量の記事に埋もれてしまっている。ひとまとめにして掲載すれば、少しは異国の空気感が蘇るかもしれない。
インドは経済発展の最中にあり、街は刻々と変わっていこうとしている。(私自身が「まだ」インドという国に投資したくない理由とは)
それでも、大量の貧困層がまだ取り残されており、コルカタの街も高層マンションやショッピングモールが立ち並ぶ区域が出現しているのと同時に、完全に放置されて数十年前から何ひとつ変わらない地域もある。
インドが急激に変わるのはこれからだ。しかし、インドの雰囲気はまだまだ魅力的であり、エキゾチックでもある。私が大好きなコルカタの街や人の雰囲気を、今日は紹介したい。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
まずは、2004年頃のインド・コルカタの光景
2014年の写真を紹介する前に、まずはその10年前の2004年頃前後の写真を見て欲しい。その頃のコルカタはこのような光景だった。
コルカタの街の中心部。まだまだ古い建物が大量に残っており、のんびりしていたのが分かる。
コルカタ西部のムンシガンジ地区。ここはスラムまではいかないが貧困層が多く住む地区である。コルカタにいた頃、私が最も好きだった場所だ。
ボウバザール地区。商業の街だが、とても栄えていて大量の人が行き来していた。コルカタは喧噪にまみれた都市だが、そのコルカタでもかなりの喧噪だ。観光地ではないので、地元の人たちしかいない。
コルカタにはこのような小さなよろず屋みたいな店がたくさんあり、インド人はしょっちゅうこうしたところでスナック菓子を買っている。
とても柔和で優しい顔をした男で、歩いているとサダル・ストリートの街をあれこれ教えてくれた。しかし、この男は名うての詐欺師で多くの観光客が金を騙し取られて被害に遭っている。
東南アジアも野良犬が多いが、インドもまた野良犬だらけである。普段は人を襲うことはないが、狂犬病がたまに発生して問題になっているのは東南アジアと同じだ。
駒を回して遊んでいる子供たち。裸足でいるのを見ても分かる通り、貧困地区の子供たちで親から物乞いをしろといつも強制されている。
川沿いは貧困層の水浴び場であり、洗濯場であり、ゴミ捨て場であった。
手前側を見て欲しい。少し分かりにくいかもしれないが、ゴミが散乱しているのが分かるはずだ。水は濁って灰色になっているが、貧困層はここで身体を浸している。
コルカタで親しくなった少年。母親思いで優しい子だったが、10年後チンピラの仲間に入っていろんな犯罪に手を出して刑務所に入っているというのを母親から聞いた。貧困には勝てなかったようだ。
精悍でハンサムな少年だったが、この写真の1年後に再会すると面影はすっかり消えていた。歯がボロボロになっていてところどころ抜け、若さも感じられなくなった。
コルカタ・ムンシガンジで知り合った女たち。彼女たちはインド人ではなく、バングラデシュから密入国でやってきた人たちであると後で知って驚いた。コルカタにはバングラデシュからやってきた女性たちがたくさんいる。
10年後、2014年頃のインド・コルカタの光景
ここから2014年にインドで撮った写真を紹介したい。
ムンシガンジの朝。ムンシガンジではヤギ乳のチャイを飲むのが私の日課だったが、ここではヤギを育てるのを商売にしている人たちがいる。ヤギ乳は絞りたてだった。都会で絞りたての乳が飲めるとは。
ムンシガンジで出会った子供たち。子供たちはいつでも写真に写るのが好きだ。
年配の女性は、相変わらず頑固にサリーを着ている。とても美しいし、強い太陽の光に映える。都会になればなるほど、中流になればなるほど、若者になればなるほど、サリーを着る女性は減る。一枚布のサリーを着るのは面倒だと若者は思うし、伝統を古臭く感じる女性も多くなっているようだ。
野菜は露店で買うのがインド流だ。インドは食べ物に関しては日本よりも新鮮なものが安く大量に買える。インドでは貧困層でもでっぷりと太っている人たちが多いのは、とにかく野菜も米も安くて大量に取れるからだ。
インドの若者は精悍でハンサムが多い。ところが30代に入るとみんな肥満体質になって若い頃の輝きが消える。
家族経営の靴屋で働く少年。これくらいの年齢から客と価格を巡って丁々発止のやり取りをしていれば、10年も経たないうちに立派な商売人になっているはずだ。インドはまさに実業の国である。
彼らも露天商の仕事を手伝っている。父親が料理を作り、彼らが客を呼び、家族みんなで協力し合って生計を立てている。小さなファミリー・ビジネスである。
インドはスパイスの国だ。私にはそれが何なのかまったく分からないが、こうしたスパイスがうまくマサラ(混ぜ合わせ)されると、とてもおいしいカレーになる。インドでは食事が旨すぎて我慢するのが一苦労だ。いつも太って帰ることになる。
色とりどりのサリーを着たインド女性。私がインドが好きな理由がこれだ。女性が本当におしゃれで美しくてエキゾチックで虜(とりこ)になる。インドには極彩色の女性が自然と街に溶け合っている。
カリグハットの寺院に訪れる女性たちも、とても服装に気を遣っていて、見ているだけで目の保養になる。着飾ったサリーは、インド女性の輝く瞬間だ。
たまに、女性ではないヒジュラ(レディーボーイ)にも遭遇することがある。インドで異端視されている彼らは普段は物乞いで生きている。
インドの夜は早いのだが、サダル・ストリートの街はすっかり観光地化されていて、夜になっても大繁盛だ。
露天商のファミリー。場所が良ければ露天商はとても儲かる。彼らも地道に商売を続ければ、やがては店を持てるようになるのだろうか。
注意深く見ると、露店にもテリトリーがあってイスラム教のインド人とヒンドゥー教のインド人が分かれていることに気付くこともある。写真中央の老人はムスリム(イスラム教徒)であるのが服装で分かる。
サダル・ストリートは観光地だが、インド人もショッピングに訪れている。
サダル・ストリートのチャイ屋。バックパッカー相手にとても繁盛している。味はそれなりにいける。
メイドの仕事をしている貧困女性。私はこの女性の顔がとても気に入って
『絶対貧困の光景』の表紙に使いたかったのだが、編集はあまり乗り気でなかった。
このお母さんもとても優しい人でとても好印象があって、彼女も
『絶対貧困の光景』の表紙にしたいとも考えた。
しかし、実際に
『絶対貧困の光景』の表紙になったのは、右側の少女の方だ。彼女は小鼻にピアスをしている。インドでは普通なのだが、出版後、日本人のある読者からは「子供にピアスをしていいのか?」と言われた。これは文化の違いだ。
インドの少女は本当にみんな天使のように可愛らしい。しかし、やはり食べ物のせいか、どうしても炭水化物の取り過ぎで肥満傾向になってしまう。努力して太らなかった女性が、美人コンテストを総なめにしたり、ボリウッドで活躍したりする。
とても優雅に着飾っているのだが、「彼女」は女性ではない。レディーボーイだ。彼女は以前にもどこかの記事で紹介したが、レディーボーイはタイでもそうだが、いつ見ても女性よりも女性らしくて呆れる。
インド人の子供はみんな写真に写るのが好きなのだが、中には頑としてレンズを見ない子もいる。母親が一生懸命に写してくれと言うのだが、子供が嫌がっている。そんなところを撮った。
夜になるとインドの街はとても静かで人通りが嘘のように消える。たまに路地に座り込んでじっとしている男がいたりする。何が目的なのか分からないこともあるが、そうした男がいる場所こそが売春宿であったりする。
インドは宗教心に篤い人々も多く、菩提樹の神様を奉る場所では多くの人たちが集まっていた。
インドのアンバサダーは2014年でも現役だ。今どき、タクシーでこんな車に乗れるのは、インドくらいなものだろう。
インドの朝市。コルカタの人たちは魚の入ったカレーが大好きで、あちこちで魚が売られている。
魚は川魚だと思うのだが、よく分からない。
ソナガシに来たら、いつも私はここでチャイを飲んでいた。年季が入った店だ。近所に住む女性たちは専用のカップを持ってくるが、私は小さな一口用の陶器のカップに入れてもらって飲んでいた。
ソナガシの路地裏。夜になったらここに売春する女性たちがたくさん立つのだが、10年前に比べると明らかに女性が減っていて活気が消えている。
路地裏では身体を清めている男たちの姿を見る。インドでは外で身体を洗うのが普通だ。ただ、都会化が進んでいくにつれて、この光景は消えてしまうことになるのだろう。
朝市。路上で野菜が売られていて、それをインド女性が大量に買って帰る。インドでは自転車があまり使われていなくて、重い荷物を抱えて帰る女性ばかりだ。
真夜中に歩いていると、たまに片隅で線香や紙が燃やされていることがある。宗教的な意味合いがあるようだ。
この模様も、手書きで折に触れて書かれている。この模様を描くのは女性だったりするのだが、何も見ないで非常に手早く模様を描いてしまう。
たまに疲れると、こうしたところで名前も分からない何かを食べる。大抵はひどく甘いお菓子だが、疲れた身体にはこの劇甘が病みつきになる。
ショッピングを楽しんでいるパンジャビードレスを来た若いインド女性。美しい。夜になっても開いている店があり、こうした女性がショッピングを楽しめる国に、インドは変わりつつある。
サダル・ストリートには、こんな欧米風の店まで出現している。道歩くインドの人々にはかなり高値の花のはずだが、こうしたところで買い物ができる中流階級も増えているということを象徴しているのだろう。
さらに、インドではこのようなショッピングモールすらもできている。ジーンズをはき、アイフォーンで颯爽と電話をする若者たちや家族がここにいる。これもまたインドの顔でもある。古いものと、新しいものが渾然一体となって混じり合い、コルカタはどんどん変わっていくことになる。
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一口陶器のチャイ懐かしいです。
素焼きの器ですよね。使い捨てなのに驚きましたが、踏んづけて割ったりして遊びました。一杯2ルピーでしたね。
土だから環境に優しいし、素焼き職人も職を失わず、究極のリサイクルですね。自分が行ったのは1999年ですが、素焼きから使い捨てプラ容器に変わりつつあり、みんな変わらずポイ捨てするのでゴミ問題になっていました。プラ容器は日本製と聞きました。
当時、車はアンバサダーしか走っておらず、インパネも配線むき出しでクラクション鳴らしまくりながら爆走してました。たまにスズキのマルチを見かけると嬉しかったです。またアンバサダー乗りたいなぁ。
絶対貧困表紙の少女は左の子でしたよね。
憂のある美しい顔立ちで印象に残っています。
自分もサダルストリートで優しそうな現地人にまんまと騙されてルンギーを法外な値段で買ってしまいました。
はじめ日本人好きだからカルカッタの街を案内してやるよ、とあちこち案内してくれ、カレー(ビーフ)をご馳走になり、バラナシ行き列車の切符を買うのを手伝ってくれ、すっかり気を許したところで市場に連れて行かれました。とある衣料品店に連れていかれ、今日はガネーシャ祭だから特別価格だ、とルンギーを法外な値段(4千円位?)で買ってしまいました。
市場の親父もグルで見事な連携プレーでまったく気づきませんでした。
相場知って騙されたと気づいたのは数日後です…。
どうりで写真を嫌がったわけだと、納得。いい勉強になりました(笑)
ガウ
何も見ないでスススと模様を描いてしまう、で思い出したのですが、昔、どこの国だったか、ペルシャ絨毯の工房で、幼い娘たちが何も見ないで複雑怪奇なアラベスク模様をビシバシ織ってゆく光景をテレビで見て驚いたことがあります。その娘たちからは世間でいう「教育」は取り上げられていたに違いないが、その神業のような「技」は母や祖母から伝承されそれを会得し。
当時、ブラックアジアに出会う(はるか)前、その技に感心するばかりでそれが超絶低賃金であるだろうことには全く考えが及びませんでした。我が国ならずともそうした工芸が「伝統工芸」や「芸術」?の評価を得て達人は勲章もらったりすることもあるかもしれないが、おおむねそうした人々は自分では決して使うことのない絨毯を織る。自分では決して着ることのない衣装を縫い、決して自分の身を飾ることのないレースを編む。
そういう技すら、今後超絶AIによってできていくのかもしれません。ですが一方、超絶技巧はともかくとして、自分では何もできない…極端な話、人々は炊飯器壊れたら飯も炊けず、セーターひとつ自分では編めず、シャツ一枚縫えなくなっていくのではないかと…ああその前に糸も自分の手ではつくれないという事態が(笑)。
現代文明が何らかの理由で吹き飛んだ際のゼロスタートでアドバンテージがあるのは、ご記事で読むインドのような、そりゃあもう様々の問題山積にしても、色々と、本当にいろいろと、マサラの国や地域ではないかと思います。aurore
NHKテレビで死を待つ家の日本人ボランティアが「インドのフルーツや野菜が美味しい事やバラモン出身やクシャトリア出身者にも乞食のような生活をしてる人がいるとか、学校の先生が時間を割いてアルバイトで塾の講師や家庭教師をしてるのは職業選択の自由が少ないからだとか。
※そう考えると、インドでも日本でも一般市民が一番自由なんじゃ無いか?