国家石油備蓄が未整備のフィリピン、イラン攻撃で東南アジアでも際立つダメージ

フィリピンは日本のような本格的な国家石油備蓄は存在しない。存在するのは主に民間企業が保有する在庫であり、国家として長期間を支える戦略備蓄は整備されていない。長期的な供給ショックに対応する設計ではないので、あと1か月もこのような状況が続けばフィリピン経済は完全に干上がってしまう。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

マニラを襲う石油パニック

トランプ大統領によるイラン攻撃の結果、フィリピンのエネルギー省(DOE)は、軽油価格が1リットルあたり最大23.90ペソという、過去に類を見ない「ビッグタイム(大規模)」な値上げとなることを発表した。

これによって、マニラ首都圏のガソリンスタンドに表示された軽油価格は、現在115ペソとなっている。これは日本円で約307円となる。

すさまじい価格だ。この価格は東南アジアの中でも極めて高い。当然、自動車利用者だけでなく、配送業者、農業従事者、小規模商店のすべてに直接的な負担としてのしかかり、フィリピン国内ではパニック状態である。

フィリピンはエネルギーの約90%以上を輸入に依存している。

つまり、原油価格の上昇はそのまま国内価格へ転嫁される。中東での軍事衝突が発生した時点で、原油先物価格は短期間で20%以上も上昇した。

この動きはすぐにフィリピン国内に反映され、流通網を通じて食品価格、交通費、電気料金へと連鎖的に波及してしまった。野菜や魚の価格も、わずか10日程度で15%前後上昇している。

物流コストの急騰が供給量そのものを圧迫し、都市部では商品が並ばない時間帯が発生するようになった。トライシクルやジープニーの運転手は燃料費の増加を理由に運賃引き上げを要求し、公共交通の混乱も始まっている。

政府は「供給は維持されている」と説明するが、現場では価格と流通の両面で明確な異常が起きている。

この状況がいつまで続くのかは不明だ。トランプ大統領は石油価格高騰が中間選挙に響くので早く収束させたがっているのだが、イランは徹底抗戦を叫んでいる。原油市場は地政学的リスクを織り込んだ状態に入り、ボラティリティは非常に高い。

この状態が続くと、フィリピン社会は混乱に見舞われるだろう。

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経済活動の基盤が壊れつつある

事態は急速に路上の闘争へと発展している。運輸団体「PISTON」を中心とする勢力は、3月19日から全国規模の交通ストライキに突入することを宣言した。これによってマニラの幹線道路エドゥサから地方都市の路地裏に至るまで、庶民の足であるジープニーが動かなくなる。

パシグやケソンといった主要都市の給油所では、すでに不穏な光景が広がっている。活動家たちが掲示板に黒い泥を投げつけ、高騰する燃料価格への不満を表明している。

抗議しているのは、ジープニーの運転手だけではない。インフレにあえぐ労働者や主婦、学生たちも合流し、巨大なうねりとなって「燃料税の即時撤廃」と「石油規制緩和法の廃止」を叫んでいるような状況だ。

燃料価格の上昇は、まず輸送コストに直接反映され、その後わずか数日で食品価格へ転嫁された。フィリピン統計庁が公表した直近データでは、インフレ率は一気に7%台に到達している。

その日暮らしの貧困層が多いフィリピンでは、7%台のインフレは死活問題にかかわる動きでもある。米、野菜、魚介類といった生活必需品の価格がいっせいに上昇して、低所得層ほど影響が強く出ている。

政府は対応策として、公務員に対する週4日勤務制を導入した。表向きはエネルギー消費削減を目的とするが、実態は通勤コストの抑制である。つまり、国家が国民の移動コスト負担を前提に制度を変更したことになる。

この措置は行政サービスの低下を招き、許認可や公共手続きの遅延が発生している。経済活動の基盤そのものが日に日に壊れつつある。

ところが、ボンボン・マルコス大統領は、この燃料価格の急騰に対して、一貫して「供給は安定しており、国内に深刻な不足は発生していない」と説明している。もちろん、パニック的や買い占めや市場の混乱を押さえるために言っている嘘である。

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インフレはより苛烈なものとなる

ところで、フィリピン経済において、海外で働く労働者からの送金は中核的な収入源である。2024年時点で送金額は年間約330億ドルに達し、GDPの約8%を占めている。

中東地域には約200万人規模のフィリピン人労働者が存在し、その多くが建設、家事労働、医療などの分野で就労している。この送金が地方経済を支え、都市部の消費を下支えしてきたのだ。

だが、中東情勢の緊張が高まる中で、この基盤が揺らいでいる。

湾岸諸国での軍事リスク上昇により、企業は外国人労働者の雇用を縮小し始めている。実際に一部の建設プロジェクトでは稼働停止や延期が発生し、賃金の支払い遅延も報告されている。

送金の減少はすでに始まっており、国内の家計に直接的な影響を与えている。

さらに深刻なのは、帰国者の増加である。紛争や治安悪化を理由に帰国を余儀なくされた労働者が増加すれば、国内の労働市場は急激に圧迫される。

フィリピン国内の失業率は公式には5%前後で推移しているが、潜在的失業を含めればその水準はさらに高い。そこに大量の帰国者が加われば、雇用の需給バランスは崩れ、賃金水準の低下が起きる。

個人的には、この状況は続くとペソ安を招く可能性があると考えている。なぜなら、送金は外貨収入としてペソを支える役割を持っているのだが、そこが減少してしまうからだ。

実際に為替市場では1ドル=60ペソ台に接近しており、輸入価格の上昇をさらに加速させている。燃料価格の高騰と通貨安が同時に進行することで、インフレはより苛烈なものとなる。

今、フィリピンの置かれている状況はかなりまずいと思う。

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この国には国家石油備蓄が存在しない

皮肉な話だが、フィリピンは現在ASEAN議長国という立場にある。議長国は、域内の経済連携や安全保障を主導する必要がある。だが、フィリピン自体が燃料価格の高騰とインフレが同時進行でダメージを受けているわけで、他国に何か言える立場ではなくなってしまっている。

国民から見ると「地域全体をまとめる前に、自分の国を何とかしろ」という話だろう。

ボンボン・マルコス政権はこの対策として、石油製品に課される物品税の一時停止を含む緊急法案を議会に提出した。これは燃料価格を短期的に引き下げる直接的な手段であるが、同時に国家財政への打撃も大きい。

物品税はインフラ整備や社会保障の財源として重要な位置を占めている。その停止は公共事業の凍結や支出削減を招く。つまり、燃料価格を抑える代わりに、将来の成長投資を削るという選択である。

国内では、非常事態宣言の可能性も現実的な選択肢として議論されている。価格統制、補助金の拡充、流通の管理強化など、国家が市場に強く介入する局面に入っている。それでもフィリピン政府のできることは一時しのぎであり、今後どうなるのかは中東情勢次第でもある。

フィリピンは日本のような本格的な国家石油備蓄は存在しない。

存在するのは主に民間企業が保有する在庫であり、国家として長期間を支える戦略備蓄は整備されていない。石油会社には「最低30日分前後」の在庫保持を義務づけているのだが、これはあくまで通常の供給途絶に備える水準である。

戦争や長期的な供給ショックに対応する設計ではないので、あと1か月もこのような状況が続けばフィリピン経済は完全に干上がってしまう。

よくアメリカが停滞するのであれば次は新興国だという投資家もいるのだが、私があまり新興国への投資には乗り気になれない。今回のイラン攻撃を見てもわかるように、こうした事態が起きれば、すぐに新興国経済は深いダメージを受けるからだ。

フィリピンは好きな国だ。どうなるのか、憂慮しつつ注視している。

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