
2000年代、一度は東ティモールに行きたいと思ったが、治安が悪すぎることもあって断念したのをよく覚えている。この国が独立したのは、私がまさにインドネシアに足しげく通っていた2002年である。2025年10月、この国はASEANの第11加盟国として正式に迎え入れられた。これは大きな前進でもある。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
暴力が吹き荒れていた国、東ティモール
私が興味深く見つめた出来事がある。2025年10月、東ティモールが東南アジア諸国連合(ASEAN)の第11加盟国として正式に迎え入れられたことだ。東ティモールと言っても、ほとんどの人はこの国がどこにあるのかまったく知らないはずだ。
私自身がこの国に注目したのは、殺戮とレイプが吹き荒れていた数十年前のことだった。(ブラックアジア:東ティモールの、拷問やレイプで死んだ女性は闇に消された)
2000年代、一度はこの国に行きたいと思ったが、治安が悪すぎることもあって断念したのをよく覚えている。この国が独立したのは、私がまさにインドネシアに足しげく通っていた2002年である。
あれから東ティモールはほとんど国際ニュースになることもなかったが、ゆっくりと平和への道を歩んでいたようだ。そして今回、2002年の独立からわずか23年で地域最大の経済ブロックに参加することになった。
かつて暴力が吹き荒れていた国からすると、これは大きな前進である。
ASEAN加盟は象徴的意味だけでなく、経済的にも東ティモールには重要な意味を持つようになるはずだ。加盟国には域内の自由貿易協定や投資の枠組みが適用される。つまり、東ティモールは約7億人規模の市場と経済連携を直接享受できる立場に入ったということだ。
東ティモールは本当に小さな国で、小規模な経済である。それがゆえに、広域経済圏への統合は国家運営において欠かせない戦略となる。ASEANに属さないままでは、地域の発展から取り残される危険性があったのだ。
しかし、俯瞰してこの国を見ると、ただASEANに加盟したからと言ってすぐに経済発展するようには見えない。おそらく、それには長い長い時間がかかるのだろう。期待感が先行しているが、国家の現実は依然として脆弱である。
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国民の約42%がいまだに貧困線以下
東ティモールは、かなり貧しい国だ。世界銀行や国連開発計画(UNDP)の統計によれば、国民の約42%がいまだに貧困線以下で生活している。これはASEAN諸国の中でも、もっとも高い水準でもある。
たしかに2002年でインドネシアとの独立を巡る長く厳しい紛争は終わったが、それから経済成長したわけではない。
例によって、都市部と農村部の格差も深刻である。首都ディリ周辺では外国資本の流入や政府機関の集中により一定の雇用が存在するが、地方の大多数の人々は「ほぼ」自給的農業に依存している。
農業は天候や市場価格の変動に大きく左右されるため、収入は安定せず、教育や医療に十分な投資ができない家庭が多い。子供たちの栄養不良率も高く、国際機関は慢性的な栄養不足が国全体の生産性を押し下げていると警告している。
若年層の失業問題も顕著だ。人口の半数近くが30歳未満を占めるにもかかわらず、正規の雇用は限られている。多くの若者は仕事を得られず、都市に移住して非公式経済に従事するか、出稼ぎ労働者として海外に渡っている。
教育もかなり低い水準にある。これがまた貧困を固定化させている。成人の識字率は約68%にとどまっているのを見てもわかるが、私たちが想像している以上に生活の向上には厳しいものがある。
文字が読めないのだから高度な仕事に就けるはずもない。
教育を受けられないことで労働市場での競争力を失い、低賃金労働から抜け出せない。教育と雇用の停滞は、貧困を世代間で引き継ぐ構造を温存しているのだ。
このように数字をつぶさに見れば、たしかにASEAN加盟という外交的成果はあるかもしれないが、東ティモールがそれを機に一気に豊かになっていくとは到底思えない。国民の大多数は、依然として貧困に苦しみ続けるだろう。
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競争力の弱い地元産業が押しつぶされる?
東ティモール経済の最大の特徴は、石油・ガス資源への依存である。
独立後に設立された石油基金は、国家財政の柱となり、国内総生産(GDP)の大部分を占めてきた。政府歳入の約80%以上がこの資源収入に頼っているが、資源は有限であり、価格変動にも左右されやすい。
もはや石油とガスだけで安定した成長を維持するのは不可能であり、産業の多様化が進まない現状は深刻なリスクをはらんでいる。
非資源分野に目を向けても、産業基盤は極めて脆弱だ。製造業はほとんど存在せず、農業は自給的性格が強い。輸出品の大半はコーヒーなど一次産品に偏っており、国際価格の変動に影響を受けやすい。
農業生産は天候やインフラ状況に大きく依存しており、輸送網の整備不足は市場へのアクセスを妨げている。道路や港湾といった基盤が未発達であるため、生産された商品が効率的に流通せず、地域経済の拡大を阻んでいる。
雇用の構造も課題が多い。国内で賃金が支払われる正式雇用の割合は、労働人口の20%前後にとどまっている。残りの大多数は非公式経済に従事しており、安定性も社会保障もない。
ASEAN加盟は本来、域内投資や貿易の拡大を通じて雇用を増やす契機となり得る。
ところが東ティモールの場合、受け皿となる国内産業が未発達であるため、域内市場のメリットをすぐに享受できる状態にはない。むしろ他国からの輸入が増加し、競争力の弱い地元産業が押しつぶされる懸念すら存在する。
雇用拡大どころか、既存の仕事すら守れない状況に陥る危険があるのだ。
このように、資源依存と未成熟な産業構造が、東ティモールにとって成長の大きな足かせとなっている。
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ASEAN加盟で手に入れたものがあるとしたら
個人的には、東ティモールという国には強い関心がある。私はもともと貧困国や貧困スラムや貧困の売春地帯に沈没してきた人間だ。
私はそうした土地で暮らす人々、とくに女性たちの生き様を数多く見てきた。貧困は苦しみを生み出す一方で、人々の中に強さや優しさを宿すこともある。おそらく、東ティモールも例外ではない。
街の市場で働く人々、農村で汗を流す家族、子供たちの無邪気な笑顔、素朴な東南アジア特有の空気感がきっと東ティモールにも残っているだろう。こうした喧噪の中に佇むことで私はいろんなことを感じてきた。
40年前に初めてタイに降り立ち、タイ南部(ディープ・サウス)を巡ったあの濃厚な空気、あるいは1990年代後半に立ち寄ったカンボジアの貧しいけれどもバイタリティが充満していた空気が忘れられない。
きっと、今の東ティモールも同じような空気感があるのだと思う。それを思うと、わくわくする。
東ティモールは、歴史の中で大きな犠牲を払い、ようやく独立を手にした「若い国」である。今は人々は何も持っていない。しかし、ひとつだけ何も持っていない人たちがASEAN加盟で手に入れたものがあるとしたら、それこそが「希望」だと思う。
国家がASEANに加盟したくらいで明日から何が変わるわけではない。だが、正式に自国が経済ブロックの「仲間入り」をして、ゆっくりだけれども確実に「今よりも豊かになれる可能性」が見えてきたというのは、新たな希望なのだ。
1980年代のタイにも、1990年代後半のカンボジアにもそういう希望があった。それが、国のバイタリティやエネルギーを生み出していた。奇しくも私は、タイとカンボジアで二度も経済的成長に向かう「高揚感」を味わった。
そういう高揚感が今後、東ティモールで生まれるのかもしれないと思うと、ぞくぞくする。東ティモールの成長は容易ではないのはわかっている。また紛争や暴力にまみれることなく、うまく舵取りをして国を成長させていって欲しいものだと思う。







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