
ちょうど私がインドネシアを足しげく通っていた頃、この国でも即席食品、小分け包装、安価なプラスチック容器が全国に広がり、廃棄物の量は急増していった。ここで貧困層は「拾えば売れる資源」に気づいたそれがペムルン(ゴミ拾い:廃棄物ピッカー)の誕生だったのだ。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
ペムルン(ゴミ拾い)が支えている社会の底辺
インドネシアは、世界でもっとも深刻なごみ問題を抱える国のひとつである。島嶼国家という地理条件、急速な都市化、安価な使い捨てプラスチックの氾濫が重なり、都市部では日々大量の廃棄物が発生している。
OECDの推計では、インドネシアのプラスチック廃棄物は2022年に約650万トン、対策を取らなければ2050年には約1800万トンに達するとされている。これは政策の失敗であり、政府の無策でもある。
ところが奇妙なことに、それでも都市は動き、リサイクルも成立している。
その理由は明確だ。ペムルンと呼ばれる人々が存在するからである。ペムルンとは廃棄物ピッカーとも呼ばれているのだが、わかりやすく言うとゴミ拾いで生計を立てている人たちのことである。
彼らは行政の職員でも、民間企業の従業員でもない。制度上は存在しない非公式労働者だ。それにもかかわらず、彼らは毎日、家庭ごみや路上、最終処分場から再利用可能な資源を拾い集めている。
ジャカルタ首都圏だけでも、数万人規模のペムルンが活動しているとされる。正確な人数は誰も把握していない。国家が数えていないからだ。彼らはプラスチック、金属、段ボールを選別し、中間業者に売却する。
その量は、自治体の正式な分別回収を上回るとされている。事実上、インドネシアのリサイクルは彼らの労働によって下支えされている。
それでも、彼らの名前は政策文書の片隅にしか登場しない。ペムルンは都市の機能に不可欠でありながら、市民としても労働者としても扱われない。国家は彼らの存在を前提にしながら、責任を引き受けない。
ペムルンがいっせいに消えた場合、都市は数日で麻痺する。それは誰の目にも明らかだ。それでも彼らは、今日も存在しないものとして扱われている。
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それは、社会が生み出した必然だったのか?
ペムルンは、貧しい人々が他の仕事に就くことができずにおこなう仕事であると理解されている。インドネシア社会もまた福祉が脆弱で、貧困層が放置されてきた。そのために彼らもまた生きていくために地を這うしかない。
インドネシアでは2000年代以降、都市化が急速に進んだ。農村部では小規模農業が成り立たなくなり、多くの人々が仕事を求めて都市へ流入した。だが都市側は、その人口を吸収できるだけの正式雇用を用意できなかった。
製造業やサービス業は拡大したが、低学歴・無資格の労働者を大量に受け入れる余地は限られていた。その隙間に生まれたのが、非公式労働である。
ちょうど私がインドネシアを足しげく通っていた頃、この国でも即席食品、小分け包装、安価なプラスチック容器が全国に広がり、廃棄物の量は急増していった。
ごみは増え続けるが、自治体の収集能力は追いつかない。ここで貧困層がたどり着いたのが「拾えば売れる資源」だった。プラスチックや金属は、分別されていなくても現金に換えられる。それがペムルンの誕生だったのだ。
ペムルンは慈善でも環境意識でも動いていない。生活のために、それしか仕事が見つかりそうにないからそうしている。カネになる資源は決まっている。だから、彼らはそれを選別しているのだ。皮肉にも、それが正確なリサイクルになっていたのだ。
国はこの現状を把握している。だが、正式な雇用として認めることはしていない。なぜなら、認めた瞬間に責任が発生するからだ。労働保護、社会保障、最低賃金、安全対策を保証しなければならない。
政府はこれらを回避したい。そのため、ペムルンの過酷な環境や低賃金を放置しているのだ。政府がこの調子なので、ペムルンは減ることはないだろう。廃棄物が増える限り、この仕事は消えない。
インドネシア社会は、ペムルンを必要としながら、公式には存在しないことにしてきた。なかなか、ひどい環境である。

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社会全体が彼らの存在を見て見ぬふり
ペムルンの1日は早い。多くは夜明け前に動き出し、家庭ごみが回収される前や、市場や商店が閉まった直後を狙って路上や集積所を回る。回収の対象は、ペットボトル、軟質プラスチック、アルミ缶、鉄くず、段ボールだ。
価値のないものは即座に捨て、売れるものだけを袋に詰める。競争相手は多いので、早く回らなければならない。悪臭が漂う中での仕事となる。
収入は完全な出来高制である。価格は中間業者が決め、市況や需要によって日々変動する。だが、ペットボトルは1kgあたり数千ルピア程度にしかならない。1日中働いても、都市部の最低賃金には遠く及ばない。
それでも働き続けるのは、他に現金収入を得る手段がないからである。
多くのペムルンは手袋やマスクを持たず、素手でごみに触れる。医療廃棄物、割れたガラス、錆びた金属、腐敗した食品が混在する。感染症、皮膚疾患、呼吸器疾患のリスクは常に存在するが、労災も健康保険もない。
けがや病気は、そのまま収入の断絶を意味する。
子供も仕事にかかわる例もある。学校に通えずに、分別や運搬を手伝う子供も多い。これは例外的な話ではない。家庭全体がこの労働に依存している。すると、子供たちは教育を受ける機会が失われ、同じ生活が次の世代へ引き継がれる。
ペムルンの作業がなければ、都市の廃棄物は処理しきれない。彼らはリサイクルを実質的に成立させている。しかし、その貢献が評価されることはない。危険を引き受け、都市の裏側を支えながら、職業として認められることもない。
まさに、社会全体が彼らの存在を見て見ぬふりなのだ。

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こういう状況は今後も長く続くとは思えない
ペムルンの存在は、国家にとって都合が良い。社会にとっても都合が良い。
廃棄物は減り、リサイクル率は見かけ上維持され、財政的な負担も発生しない。彼らは自発的に働き、自己責任で危険を引き受ける。そのため、行政は何もおこなわなくても都市は回ってしまう。この状況が長年続いてきた。
ペムルンには法的な地位は与えられず、労働者として登録もされない。存在は認識されているが、責任は回避されている。国家は沈黙を選び続けてきた。結果として、問題は解決されず、固定された。
とは言っても、こういう状況は今後も長く続くとは思えない。
いくらペムルンを黙認して低賃金で仕事をさせたとしても、すでに廃棄物の量そのものが限界を超えつつある。インドネシアでは都市人口の増加と消費拡大により、廃棄物発生量が致命的なまでに増えてきているのだ。
プラスチック廃棄物はすでに回収能力を上回り、埋立地は各地で飽和状態に近づいている。ペムルンが拾える量には物理的な上限があり、増え続けるごみを吸収しきれなくなっている。
環境被害も隠せないほどになってきている。河川汚染や海洋プラスチック問題は国内外で注目され、観光、漁業、都市機能に直接的な損失を与えている。(ブラックアジア:チタルム川。ジャカルタ北部にあるこの川はなぜ有名なのか)
これはもはや貧困層の問題ではなく、国家経済の問題だ。社会全体が無視できる段階を過ぎた。もはや、ペムルン自身が限界に近づいている。危険な労働、低収入、不安定な生活を次世代が引き継がなくなりつつある。
担い手が減れば、この非公式な仕組みは自然崩壊する。
インドネシアのごみ問題は、もはや部分的な改善では止まらない。回収、処理、労働を含めた抜本的な対策を取る以外に道は残されていない。インドネシア政府は、いつまでその現実から目を背け続けるのだろうか。






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