
インドネシアでは大学卒業者や専門学校卒業者の失業が増加しており、学歴がかならずしも安定した仕事に結びつかない状況に若者たちの失望が広がっている。このような雇用環境の中で、若者たちは「こんな国にいてもしかたがない」と思うようになって自国脱出を真剣に考えるようになっていた。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
若者の不安を映す「#KaburAjaDulu」
インドネシアの若者のあいだで、「#KaburAjaDulu(まずは逃げろ)」というハッシュタグが急速に拡散しているという。この言葉は、若者たちの「今すぐにこんな国を離れたい」という切実な願望を象徴するものだ。
今、国内で将来に希望を見いだせないインドネシアの若者たちが、自国からどこか他の国に「逃げたい」と思っているのだった。
2025年2月頃からXなどのプラットフォームでトレンド入りし、今では若者たちが海外移住や就職、留学の情報を共有する場となっている。これは、つまりインドネシアの経済も構造的にうまくいっていないことを意味している。
インドネシアも若年層の失業率が高い。インドネシア統計局(BPS)のデータによれば、2024年時点で15歳から24歳の若者の失業率は17.3%に達している。これは全体の失業率4.82%と比べて極めて高い数字でもある。
大学卒業者や専門学校卒業者の失業が増加しており、学歴がかならずしも安定した仕事に結びつかない。そんな状況に若者たちは失望し、「もう、こんな国にいてもしかたがない」と思うようになってきている。
そもそも、政府が教育を軽視している姿勢も露骨に見えてきていた。
プラボウォ・スビアント政権は経済成長率8%を目標に掲げ、インフラ開発や無償給食プログラムなどの大型政策を推進している途上だ。ところが、その財源を確保するため、教育予算を大幅に削減してしまったのである。
2024年度の高等教育予算は前年比で約15%減少しており、奨学金の支給枠縮小や大学施設の老朽化が進んでいる。学生たちは授業料の値上げや研究環境の悪化に直面し、質の高い教育を受けられない不満を募らせている。
この教育機会の喪失が、若者の将来設計に暗い影を落としているのだった。
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国を出て新たな可能性を見出せないか?
たしかに、プラボウォ政権は「2045年までに先進国入り」を掲げ、新首都ヌサンタラの建設や無償学校給食プログラムといった目玉政策を矢継ぎ早に打ち出している。
インドネシア統計局によると、2024年10~12月期の実質GDP成長率は前年同期比5.02%を記録し、堅調な経済拡大が続いている。表層的には、インドネシア経済はうまくいっているように見える。
ところが、そう思っているのは外部の我々だけで、インドネシア国内の若者たちはまったく違った受けとめ方をしているのが興味深い。彼らにとってインドネシアは「不安と失望しかない国」なのだ。
「#KaburAjaDulu」は、こうした不安と失望の共有でもある。若者たちはこのハッシュタグを通じて自身の心境を吐露し、同時に国を出て新たな可能性を見出せないかと本気で模索している。
たとえば、X(旧Twitter)上では「日本で介護職に就くためのビザ情報」や「オーストラリアのワーキングホリデーの申請方法」といった具体的な投稿が目立つ。
同時に「インドネシアに未来はない」「政府は若者を切り捨てた」といった政府批判も、この界隈で散見される。興味深いのは、このハッシュタグが一部の若者だけでなく、インドネシアの若者全体の声となっていることだ。
「#KaburAjaDulu」には、都市部の大学生から地方の低所得者層まで、異なる背景を持つ若者が参加している。要するに、インドネシア社会全体が若者に夢も希望も与えることができていないことを意味する。
国立大学の奨学金枠は2023年の約20万件から2024年には15万件に減少した。私立大学では授業料の値上げも相次いだ。普通の家庭にとっても高等教育は手の届かない存在となりつつある。研究施設の整備予算も削られた。実験設備の老朽化や図書館の蔵書更新が滞っている。
社会に出たら出たで、雇用も若者に厳しい現実を突きつけている。
インドネシアの若年失業率は17.3%と高どまりしており、特に大学卒業者や専門学校卒業者の失業が増加している。2024年の労働省データによれば、大卒者の失業率は10.2%に達し、全体平均の2倍以上だ。
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「逃亡先」は、オーストラリア、日本、ドイツ
ジャカルタ首都圏ではITや金融分野の求人が増えているが、これらの職に就けるのは英語力や専門スキルを備えた一部のエリート層に限られる。一方、地方では農林業の衰退が進み、低賃金の非正規雇用しか選択肢がない若者が多い。
プラボウォ政権の政策がこの状況を悪化させている。
経済成長を優先するあまり、公共サービスの予算を大幅に削った。2024年度予算では、保健や公共事業とともに教育関連支出を削ったので、教師の解雇が続出し、教育の質の低下が続いている。
政府は成長率8%を達成すれば雇用が増えると主張するが、現在は若者の失業問題を早急に解消する手段はないように見える。
そうは言ってもインドネシアのGDPは成長しているのだが、その富はいったいどこにいってしまったのか? GDPの伸びの主要な牽引役は輸出と投資だが、その利益は例によって大企業や富裕層に集中していた。
2024年の貿易統計では、鉄鋼や電気機械の輸出が前年比6.72%増と好調だった。これらの産業は資本集約的であり、労働力への依存度が低い。対照的に、若者が多く働く小売業や飲食業はインフレ圧力に苦しみ、賃金上昇が抑えられている。
このように、プラボウォ政権のゆがんだ成長重視政策が、教育と雇用の基盤を弱体化させている。そして、若者は自国に愛想を尽かして、「#KaburAjaDulu」のハッシュタグとともに海外への脱出を模索する流れとなったのだった。
では、どこに逃げようとしているのか。
彼らが検討している「逃亡先」は、オーストラリア、日本、ドイツだ。特に日本は、介護や製造業での就労機会と結びついた技術研修プログラムが人気で、2024年には約1万人のインドネシア人学生が日本に渡ってきている。
就職を目的とした海外移住も増えている。厚生労働省の2024年統計では、日本で働くインドネシア人の数は5万人を超え、前年比20%増となった。今後も、その数はどんどん増えていくだろう。

この国は「ゆがんだ経済成長」に突き進んでいる
「#KaburAjaDulu」のムーブメントが広がっているが、プラボウォ政権は若者の声に対して目立った反応を示していない。2025年3月時点で、大統領や閣僚からの公式声明はなく、危機感もない。
若者が流出していくことに対して、かなり鈍感なように見える。インドネシア政府の優先順位は、経済成長とインフラ開発である。若者の困窮だとか、貧困だとか、若者の失業率17.3%だとか、国外流出などは、政権にとっては「取るに足らない問題」にすぎない。
2024年末から2025年初頭にかけて、ジャカルタやバンドゥンで学生デモが頻発し、教育予算削減の撤回や雇用対策を求める声が上がった。政府は対話に臨むのではなく、警察を使ってデモ参加者を逮捕して黙らせた。
プラボウォ政権はジョコ・ウィドド前政権の開発路線を継承しているのだが、民主的な対話はしない。アジア経済研究所は、「この対応が民主主義の後退を加速させている」と指摘している。
インドネシアは人口ボーナス期にあり、2030年代まで生産年齢人口が拡大するのだが、
こうした状況を見てみると、もしかしたらインドネシアはそのアドバンテージを生かせないのではないかと感じる。
人口が増えても若者が自国ではなくて他国に定着して戻ってこないのであれば、インドネシア国内の競争力は地盤沈下していくだけでしかない。新首都ヌサンタラの建設には高度なスキルを持つ労働力が必要だが、その担い手も不足するだろう。
プラボウォ政権が対応を改めないのであれば、いずれこうした若者の不満は怒りのマグマとして社会の底部で溜まっていき、大きな反政府デモや暴動や政変につながっていく可能性もある。
今、インドネシアは「ゆがんだ経済成長」に突き進んでいる。この国には「iシェアーズ MSCI インドネシア ETF(EIDO)」などで投資できるのだが、投資するならこのあたりの不安定要素に注意したほうがいいのかもしれない。

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