
ジャカルタ市の行政は、オンデル・オンデルを正式に「首都の文化的アイコン」として位置づけ、観光パンフレットやイベントポスター、さらには交通機関のデザインなどにもその姿を使用している。だが、このオンデル・オンデルが今、存続の危機に立たされている。何が起きているのか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「生きた巨大人形」が街を練り歩く
インドネシアに行くと、たまに巨大な人形がホテルの入口の両脇に置いてあったりして驚くことがある。私は見たことがないのだが、ジャカルタでは、この巨大人形がゆっくりと道を歩く光景が見られることもあるようだ。
赤い顔に大きな目、金色の冠をかぶった男の人形と、白い顔に涼やかな目元、華やかな衣装をまとった女の人形がペアで登場することが多い。この2体の人形こそが「オンデル・オンデル」と呼ばれる、インドネシアの伝統大道芸で用いられる象徴的な存在だった。
オンデル・オンデルは、身長2.5~3メートル、幅は1メートル以上にもなる竹と紙、布などで作られた大型の人形である。その内側には人が入り、まるで着ぐるみのように動かす形式をとっている。
重さは20キロを超えるという。炎天下のなかでこれを操るのは体力勝負だろう。
特にジャカルタ中心部で開催される祝祭やイベントの際には、いっせいに数十体が通りに現れることもあり、まさに「生きた巨大人形」が街を練り歩く異様で魅力的な光景が広がる。
地元の人々にとって、このオンデル・オンデルは単なる見世物ではない。これは長年にわたりジャカルタの象徴として親しまれてきた文化的存在であり、祝祭に欠かせない重要な役割を担ってきた「象徴的」な意味を持つ。
本来、オンデル・オンデルは首都ジャカルタを含むベタウィ(Betawi)民族の伝統芸能に根ざしている。
ベタウィ人はジャカルタの先住民族とされ、その文化はマレー系、アラブ系、中国系、ポルトガル系など多様な要素を内包している。そうした多文化的背景のなかでオンデル・オンデルは生まれ、都市の変遷とともにその姿と役割を少しずつ変えてきた。
このオンデル・オンデルの存続が、揺れている。
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魔除けとしての役割を果たしていた伝統
ジャカルタ市の行政は、オンデル・オンデルを正式に「首都の文化的アイコン」として位置づけ、観光パンフレットやイベントポスター、さらには交通機関のデザインなどにもその姿を使用している。
2014年にはギネス世界記録にも登録されるイベントがおこなわれ、最大数となる263体のオンデル・オンデルが同時にパレードをおこなった。これは単なる伝統芸能の枠を超えて、市のアイデンティティそのものを体現する存在になっていることを示している。
もっとも、このオンデル・オンデルの外見は一見して親しみやすいとは言いがたい。男性像は真っ赤な顔をしており、口は半開きで不気味に笑う。女性像は逆に白い顔で、表情は穏やかで静かだが、どこか無機質でもある。
オンデル・オンデルには元来、悪霊や災厄を追い払うという役割が込められていたのだという。そのため、威圧感のある外見が意図的に与えられている。人形はただ踊るのではなく、周囲をねめつけるように揺れ、頭を左右に振りながら進む。
この独特の動きが、魔除けとしての役割を果たしているという。
オンデル・オンデルのもっとも古い記録として確認されているのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのものだ。当初オンデル・オンデルは主に「魔除け」として使われていた。大きな顔、鋭い目つき、不気味な笑み、揺れる頭部や体は、すべて悪霊や疫病を追い払うためのものだった。
インドネシアはイスラム国家だが、アニミズム的な信仰が現在でも根強く残っている。伝統儀礼や地域の慣習のなかに、病気や不運を霊的存在の影響とみなす価値観が含まれている。
オンデル・オンデルはそうした価値観に則った「護りの人形」であり、村や町を巡回して清めをおこなう役割を持っていた。
ところが今、個人または小グループがこのオンデル・オンデルを即効的に行うようになり、これが問題になりつつある。彼らの目的は「投げ銭」を得ることだ。要するに物乞い的行為にオンデル・オンデルを利用するようになっていたのだった。
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オンデル・オンデルを使った物乞いの存在
パフォーマーの多くは経済的に困窮した若者や家族であり、一定の訓練を受けた芸能者ではない。オンデル・オンデルの衣装や構造も、本来の竹製ではなく、安価なプラスチックやアルミパイプなどで自作されているケースが多い。
数千円相当の材料費で簡易的に作られたそれは、正式な舞台芸術ではなく「生活のための手段」となっている。この状況が悪化したのは、2020年に発生したパンデミックからだという。
この影響でイベントや観光業が軒並み中止となり、多くの大道芸人やフリーランス労働者が職を失った。この結果、オンデル・オンデルを使った路上パフォーマンスに参入する人が急増し、ピーク時には1日で市内に数十体が出現するほどになった。
これは街の景観や交通の妨げとなり、市民の苦情を招くようになった。
問題となっているのは、オンデル・オンデルを使った物乞いの存在である。人形をまとって踊るふりをするが、実際には演技性もなく、ただ通行人に金を求めるだけというケースも多発している。
パフォーマンスは信号待ちの車両に近づいて踊る形式が多く、車内に手を差し入れて金銭を求める行為が問題視された。また、スピーカーで大音量の音楽を流しながら練り歩くことで騒音トラブルも発生している。
その結果、いよいよジャカルタ特別州政府はオンデル・オンデルを使用した路上パフォーマンスの規制を強化した。公式声明では、「オンデル・オンデルは伝統文化であり、路上での投げ銭目的で使用するのは本来の意義を損なう」と明言されている。
条例によって公共空間でのオンデル・オンデルの使用には事前許可が必要とされ、違反した場合は罰金や没収の対象となるようになった。
ところが、生活の糧を失うことになるパフォーマーたちは、激しい反発の声を上げている。ある路上パフォーマーの証言によれば、「仕事がない中でオンデル・オンデルだけが唯一の収入源だった。規制が強化されたことで生活が立ち行かなくなった」と政府に訴えている。
「本物」が激減してしまっている状態
文化的遺産なのか、それとも物乞い的行為のための大道芸なのか。オンデル・オンデルはたしかに伝統芸能なのだが、すでにジャカルタも都市化の進展で伝統芸能にかかわる若者の数が激減し、「本物」が激減してしまっている。
ジャカルタ市文化局によれば、正式にオンデル・オンデルを製作・演出できると認定されたグループは現在10団体程度しかないという。しかも、その多くが高齢化してしまって今後の存続が危うい。
あとのオンデル・オンデルは、伝統の皮をかぶった「大道芸的見世物」になって、どんどん本来のものとズレてきてしまっている。そもそも若い世代が、昔ながらのオンデル・オンデルに関心を持っておらず、保全するとしても観光のためでしかなくなってしまっているようだ。
ただ、観光としてもオンデル・オンデルを積極的に残そうという動きはまだ限定的であり、広範な展開には至っていない。
伝統と現代、芸能と生計、文化と観光。その複雑なしがらみの中で、オンデル・オンデルは「どのように生き残れるのか」を模索する動きになりそうだ。
日本を含めてどこの国でも、伝統文化があってその継承については苦慮している点があるのだが、だいたい「観光用」になってしまうと、その文化の本来の意味や機能が失われてしまう。
演じる側も、見る側も、ただの見世物として消費するようになり、そこにあった信仰や共同体との結びつき、儀式としての重みが希薄になる。結果的に、伝統は残るが「形式」だけが残り、「精神」は抜け落ちてしまう。
もっと、わかりやすく言えば「ただのカネ儲け・観光客用」になる。
オンデル・オンデルも例外ではない。魔除けとしての力、地域を守る存在としての威厳が、ただの「インスタ映え」になった時点で、その文化は死に体になる。
そうなったら、観光客のニーズに応えるために内容が改変され、派手な演出や演技が優先されるようになってしまう。現地の人々自身が、自分たちの文化を理解しないまま「観光客のための売り物」にしてしまう。
「それでも生き残ればいいじゃないか」という意見もあれば「それじゃ意味がない」という意見もある。そのせめぎ合いに、オンデル・オンデルは立たされている。

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