ホワイト・ウォッシングという言葉がある。小説や脚本の原作ではアジア人やエスニック系の役になのに、その役を白人が演じる「不適切な配役」を指す。
白人ではない人たちの役も白人が仕事を取ってしまって映画を白人で独占する。それが、長い慣行として映画界ではずっと続いていた。
最近ではホワイト・ウォッシングが人種差別に当たるという意識が芽生えて、徐々に改善させるようになってきている。
そして、ここ10年の間ではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トラン スジェンダー)の存在も認知され、その権利が主張されるようになってきているのだが、そうした中で「LGBTの役はLGBTが演じるべきではないのか?」という問題提起が為されている。
そして、「LGBTの役はLGBTが演じるのが自然なのだ」という意見は肯定的に捉えられ、大きな支持を得ることになった。
一方で、「それを言うなら殺人鬼の役は殺人犯がやるべきなのか。レイプ犯の役は本物のレイプ容疑者がやるべきなのか?」という反論なども出ていて、こちらも一定の支持を得ている。
実は今、インドのボリウッドでも同じ問題が発生している。
「心は女性、身体は男性」のトランスジェンダー活動家ガウリ・サワント氏を描いた映画の主役が、トランスでない女優に与えられたのである。ガウリ・サワント氏はインドでは非常に著名なトランスジェンダーの活動家でもある。
そのガウリ・サワントの役を「女性」が演じるというので、インドでは議論沸騰となった。それは、良かったのか、悪かったのか……。
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