
タイの歴史や祭りで外国人のカネを吐き出させ、歓楽街のセックスで外国人のカネを吐き出させ、マリファナで外国人のカネを吐き出させていたタイ政府だが、今度はギャンブルを合法化して、これで外国人のカネを吐き出させるつもりだ。タイ政府は外国人にカネを吐き出させるためには見境がない。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
扱いを間違うと人生を破滅させてしまう
ギャンブルにのめり込んで、初対面の私にも熱くギャンブルを語る人にまた最近になって出会った。かなり高齢になっているのに、四六時中ギャンブルのことを考え、生活費もそこに注ぎ込んでいる気配があった。
ギャンブルは、深入りしたら強い快楽と依存を生み出す。そして損がかさんでも、借金が膨らんでも、生活が破綻しても抜け出せなくなる。彼女もどうやらそのようなタイプのようだった。
ギャンブルにのめり込めば危ない、下手したら人生が破滅する、というのは誰でも知っている話だ。にもかかわらず、のめり込んでしまう人がいる。本人も深みにハマっていることを自覚していて、「このままでは人生が破滅する」と思っている。それでもやめられない。
本来であれば、ギャンブルは「ほどほどの距離感」を持ってつき合うべきものなのだが、その「ほどほど」が難しく、理性が働かなくなる。どうしても一定数の人が、どっぷりとのめり込んで抜け出せなくなってしまうのだ。
感情や欲望に流されやすく、瞬間的な快楽を優先してしまう人、日常の不安やストレスを抱えやすい人、快楽によって一時的な満足感や承認欲求を満たそうとする人、周囲の影響を受けやすい人……。
脳内のドーパミン回路が過敏で依存形成がしやすい体質の人、失恋・離婚・死別・失業などで大きな喪失感を抱え、その穴埋めを求めている人、感情の波が激しく、人間関係でも不安定さを抱えやすい人……。
生活に張り合いがなく、空虚感を埋めるために刺激を必要としている人、苦しい現実から目を背けるために何かを必要としている人……。
人間が動物と違うのは理性があるか否かである。動物は本能のまま生きていけばいいが、人間は理性を持って行動しなければ社会から逸脱して生きていけなくなる。
ギャンブルに溺れると理性を破壊してしまい、もはやブレーキが効かなくなってしまうのだ。そういう意味で、ギャンブルは「ドラッグ」と呼んでも過言ではない。扱いを間違うと人生を破滅させてしまう。
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前のめりで「ギャンブル・カジノ解禁」するタイ
ところで、タイの話をしたい。タイはインバウンドで稼ぐ方向に振り切っているのは、よく知られている話だ。
観光で外国人を呼び込み、歓楽街のセックスで外国人を呼び込み、同性愛者歓迎で外国人を呼び込み、マリファナで外国人を呼び込み、タイでカネを散財させるように仕向けている。
そして、ペートンタン政権は、前のめりで「ギャンブル・カジノ解禁」で外国人を呼び込もうとしている。ギャンブルは、それがどんなものであれ強烈な依存を生み、社会問題化するのはわかりきっている。そのため、野党はこれに大反発している。
だが、ギャンブルを合法にして外国人のカネを吸い取れるのであればそれでいいとペートンタン政権は考えているようだ。さすが「インバウンドで稼ぐためなら何でもする国」と揶揄されるだけある。
特定のギャンブルにハマった外国人は、人生を破綻させるまでタイでカネを落とし続けるようになるのだろう。歓楽街のセックスで外国人のカネを吐き出させ、マリファナで外国人のカネを吐き出させ、ギャンブルで外国人のカネを吐き出させる。
タイ政府も、外国人にカネを吐き出させるためには見境がない。
もっとも、水牛レース、ボクシング、レスリング、輪投げ、ビンゴ、麻雀、タイルゲーム、カードゲームなど、合わせて23種類のギャンブルが合法化されるので、外国人だけでなく、タイ人も一緒にギャンブル依存症に転がり落ちていくだろう。
タイ人はもともとギャンブル好きな国民であることで知られている。タイの国技であるムエタイも賭博文化と密接に結びついているし、地方や村では闘鶏や闘魚の試合で賭けをする伝統もある。
バンコクで見られる政府宝くじは、実に国民の約60%以上が定期的に購入しているほど日常的で、抽選日は市場や街角で宝くじが飛ぶように売れている。
違法なものとしては、地下カジノもあれば、オンライン・ギャンブルもあれば、サッカー賭博もある。タイはギャンブルまみれの国なのだ。そこに23種類を合法化するのだから壮観だ。
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タイの社会全体が憂慮すべき状態になってしまう
ギャンブル依存症になると脳が変わる。長くギャンブルをやって、その興奮がずっと維持されると、脳がギャンブルしている状態に最適化されるようになり、朝から晩までその興奮を求めるようになっていく。
これが「ギャンブル脳」と呼ばれるものだ。
ギャンブル脳になってしまうと、ギャンブルの興奮と快楽のためにはすべてを犠牲にしても、なんとも思わなくなってしまう。脳が変質して、もう意思の力ではどうにもならなくなっていく。
分別の付いているはずの大人が、すぐにバレるのを承知で自分の会社の金を横領してそれに注ぎ込んでしまうのも、もはや自分で自分をコントロールできなくなっているからだ。
ギャンブル依存症になるというのは、有り金をすべてそこに注ぎ込むだけに生きる「奴隷のような存在になる」ということなのだ。まさに『どん底に落ちた養分たち』である。
タイが大々的にギャンブルを合法化していくのであれば、長い目で見るとタイの社会全体が憂慮すべき状態になってしまうのは誰もが指摘するところでもある。
まだ計画段階ではあるが、合法カジノの設立候補地として、バンコク、パタヤ、プーケットなどが挙げられている。これらの施設は、ホテルやショッピングモールと併設される予定である。
世の中はどんな時代でも一定数のギャンブラー気質の人間が世界中にいて、彼らは公営だろうがヤミだろうがギャンブル依存に堕ちる性質がある。
どうせ、ギャンブル依存の人間が出てくるのであれば、タイ国内でどんどんカネを落としてもらおうというのがタイ政府の目論見なのだが、外国人のカネのためにここまでする国というのはタイくらいなものではないだろうか……。
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「もしかしたら、勝てるかも。次こそ勝てるかも」
ギャンブルが日常にあふれる国になると、当然のことながらハマっていく国民も続出して、ますますタイ国内ではギャンブル依存が社会問題になるだろう。何も持たない貧困層がなけなしのカネを持ってギャンブルに高じるようになるはずだ。
タイ南部のヤラー県、パッタニー県、ナラティワート県は貧困率が20%を超え、タイ全体でも2400万人が大きな不況などがくれば一瞬で深刻な貧困に陥るリスクを抱えている。ギャンブルは、こうした貧困層に忍び寄って広がっていく。
学歴も職歴もない貧困層が必死で働いていても金持ちになる確率はゼロに近い。だが、ギャンブルは違う。確率的には少なくても「一発大逆転を成し遂げられるかもしれない」という一縷の望みがそこにある。
場合によっては、一瞬にして大金持ちになるかもしれない。
ギャンブルでは、学歴も、職歴も、知的レベルも、容姿も、年齢も、犯罪歴も、性別も、人種も、出自も、まったく何も関係ない。ただ「運」さえ良ければ、大金持ちになれる可能性はわずかに残っている。
政府宝くじを買って、白けた顔で歓楽街のオープンバーに座っている女性も、私はよく覚えている。彼女は当たりもしないと思いつつ「買わなければ当たらない」と考えて宝くじを買っていた。
鉄火場でカネを張るギャンブル依存症は、その積極版であると言える。「やらなければ当たらない」ので、彼らはギャンブルをするのだ。「もしかしたら、勝てるかも。次こそ勝てるかも」と彼らは小さい希望を抱え、祈りながらカネを賭ける。
ギャンブルにのめり込んでしまった人からギャンブルを取り上げるのは、夢と希望を取り上げるのと同じなのだ。
ギャンブルにハマった夫を止める妻がしばしば家庭内暴力の対象になるのは、自分から夢や希望を取り上げる妻が憎いからだ。夢を叶えてくれるかもしれないギャンブルよりも、絶望しかない現実に引き戻す妻の方が憎い存在と化す。
今後のタイではそうした人たちが増えるのかと思うと、何か殺伐とした気持ちになっていく。

経営陣が正しいことを言う部下を嫌うのも
もしかしたら今後不正が世間にばれて商品が全て回収されてしまい
倒産するという現実を
直視するのが嫌だからでしょう。