
タイ経済の屋台骨を支えてきた観光業が苦境に落ちている。タイ観光・スポーツ省によれば、2025年1月から5月までの中国人観光客は約230万人と、前年同期比で33%も落ち込んでいる。これは過去12年間で最低水準に近く、コロナ禍前の水準に遠く及ばない。なぜ、こんなことになっているのか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
今、タイ経済が揺らいでいる理由とは?
タイの株式市場は7月に入って上げているのだが、関係者の多くは今後の上昇は厳しいのではないかという意見で一致している。なぜか? タイ経済の屋台骨を支えてきた観光産業が、いま大きく揺らいでいるからだ。
とくに深刻なのは、中国人観光客の激減である。
2019年には約1100万人の中国人がタイを訪れ、全外国人観光客の4人に1人が中国人だった。ところが2025年に入り、その数は急速に減少した。数年前から中国に傾斜していたらアテが外れるという危惧がささやかれていたが、今まさにそれが的中する形になっているのだ。
タイ観光・スポーツ省によれば、2025年1月から5月までの中国人観光客は約230万人と、前年同期比で33%も落ち込んでいる。これは過去12年間で最低水準に近く、コロナ禍前の水準に遠く及ばない。
航空便数の減少、団体旅行の中止、旅行代理店の取り扱い縮小など、構造的な変化が各所で同時多発的に起きている。この変化は単なる一時的な現象なのだろうか?
バンコク市内やプーケット、チェンマイといった主要観光地では、ホテルの稼働率が低迷し、土産物店や飲食店の売上も減少している。多くの店が中国語対応のスタッフを削減しているが、訪問者数の減少が現場に直結していることは明白である。
観光庁の統計では、2025年上半期(1月〜6月)の外国人観光客全体の数は約1661万人にとどまり、前年同期比で約4.5%減少していた。
これは表面的には小さな落ち込みに見えるかもしれない。だが、非常に購買力が高く、滞在日数も長かった中国人観光客の大幅減は、観光収入全体に対してはより大きな打撃を与えている。
タイの観光産業はGDPの12〜15%を占める。その基盤が弱体化していることは、国家経済全体に直接的な影響を及ぼす。
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なぜ中国人はタイに来なくなったのか?
中国人が戻ってこないのを見て、タイの観光業界は慌てて代替市場としてインドや中東諸国、ロシアなどに期待が寄せたが、支出額や旅行回数の点で中国人観光客を補える水準には至っていない。
皮肉なことに中国人がいなくなったらASEAN域内からの観光客は伸びたのだが、全体の単価が低く、回復の足しにはなっていない。
今後も中国人観光客が戻らない状態が続けば、観光産業を中心とする都市部のサービス経済は今後も冷え込む。さらに、観光業に連動する不動産、インフラ、地方財政にも悪影響が波及していく。
それにしても、なぜ中国人はタイに来なくなったのか。
昨今になって中国人観光客がタイを避ける大きな要因となったのが、タイ国内の治安不安と政策の不透明さである。特に決定的だったのが、タイで起きた中国人俳優・王星の誘拐事件だった。
王星は映画撮影の仕事を装った人物により空港から連れ去られ、ミャンマー国境付近に監禁され、詐欺グループによる「特殊詐欺要員」として訓練を受けさせられていた。事件は中国のSNS上で広まり、タイは「危険な国」という印象を一気に持たれるようになった。
中国国内の調査によれば、2024年にはタイを「安全でない」と答えた中国人は38%だったが、2025年4月時点では過半数を超えた。折しもタイの政権はタクシンの七光り無能娘であるペートンタン・シナワットが首相になって、国家としての治安管理能力にも疑問を抱かれている。
2022年にタイ政府がアジアで初めて医療用・産業用マリファナの合法化をおこなったことも、中国人には意外に評判が悪かった。
当初は医療目的の規制つき使用が前提だったが、実際には規制のあいまいさから観光客向けのマリファナ・カフェや販売所が急増し、都市部では若者や外国人が公然と吸引する光景が目立つようになった。
これに対しては国内外から批判が強まり、タイ政府はあらためて規制強化に乗り出したが、その対応の遅さと場当たり的な姿勢がかえって混乱を広げた。
中国人観光客の多くは家族旅行が中心である。こうした層にとって、街中でマリファナの吸引者がいるような環境は明確な忌避要因となる。加えて、マリファナ解禁が一時的な経済活性化の手段として利用されたという印象が残り、タイ政府に対する信頼の低下にもつながった。
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中国人観光客の本格的な回帰は見込めない
タイの観光産業が直面している危機には、タイ国内の問題だけでなく、発地側である中国の構造的な経済変化も大きく影響している。
2023年以降、中国経済は不動産市場の調整、地方債務の拡大、若年層の高失業率といった複数の問題を抱え、回復の兆しが見えないまま2025年に突入した。とくに消費者心理の冷え込みは深刻だ。海外旅行どころではなくなってしまったのだ。
2025年現在、中国政府は内需の回復を優先している。国民に対して「国外にカネを落とすのではなく、国内観光で国内にカネを落とせ」と呼びかけ、「地域経済への貢献」の政策を強化している。
その一環として、地方政府が補助金を出して国内旅行を促進するキャンペーンが複数実施され、安価で安全な国内旅行を選ぶ動きが加速している。
海外に出るにしても、かつてのような団体ツアーではなく、個人旅行(FIT)や富裕層向けのラグジュアリーツアーが主流となった。そして、旅行先の選定において「安心」「清潔」「秩序」といった要素がより重視されるようになっている。
この新しい傾向において、タイは選択肢から外されつつある。
航空便の直行便数も減少傾向にあり、航空各社も収益性を考慮してタイ路線の再開を見送るケースが出ている。
タイはこれまで「安くて近い」「気軽に行ける」旅行先として中国人観光客を惹きつけてきた。
しかし、経済状況の変化と政策の方向性、中国人旅行者の価値観の転換が重なり、その地位は揺らいでいる。現在の中国人旅行者は、昔のように「どこにでも行く」存在ではなくなった。
タイ側がどれだけ誘致策を強化しても、供給側の努力だけでは中国人観光客の本格的な回帰は見込めない状況にある。
すでにタイ経済は停滞期に突入している
中国人観光客の激減を受け、観光業界は躍起になって「新たな市場」の開拓に取り組んでいる。具体的にはインド、中東、ロシア、ASEAN諸国などからの観光客誘致を強化している。
ペートンタン首相も観光業界から突き上げられて、入国手続きの簡素化や航空便の拡充、ビザ免除措置などを取り入れた。
さらに、医療ツーリズムや高齢者向け長期滞在ビザ、デジタルノマド向けビザ制度など、高付加価値層を対象とした施策も打ち出されている。しかし、これらの取り組みが短期的に中国の穴を埋めるほどの効果を上げているとは言えない。
たとえば、インド人観光客は近年急増しているものの、平均滞在日数が短く、1人あたりの支出も限定的である。それだけでなく、歓楽街でいろいろ問題も起こしている。(ブラックアジア:「胸が小さいから警察を呼んだ」歓楽街パタヤでトラブルを起こしまくるインド人)
中東からの訪問者も伸びているが、人数は依然として少なく、季節性の変動も大きい。また、ロシア人観光客はウクライナ侵攻以降の国際情勢により移動が不安定で、為替や制裁の影響も受けやすい。
ASEAN諸国からの観光客についても、地域内移動が活発な一方で、単価は低く、観光業全体の底上げにはつながりにくい。
国内では、観光産業を軸とする都市部経済が弱まり、地方経済への支援も限定的なままである。不動産市場では、かつて中国人投資家が集中していた高級コンドミニアムの売れ行きが停滞し、物件価格の下落が目立ち始めている。
バンコクやチェンマイの中心部では、建設計画が凍結されたままの商業施設も少なくない。観光業だけでなく、それに連動する建設、物流、サービス業の収益減退が、雇用や賃金にも影響を及ぼしはじめている。
つまり、タイ経済がかなり厳しいことになっている。
2025年上半期のタイの実質GDP成長率は2.4%前後で、東南アジア主要国の中でも鈍い水準だ。インフレの抑制には成功しているものの、内需は低調で、輸出も主要市場である中国とアメリカの減速を背景に伸び悩む。
現時点で、タイ経済は明確な成長モデルを持たないまま、過去の成功体験に依存した戦略を続けている。「観光立国」という看板が色あせる中で、構造転換をおこなわない限り、タイは中期的な経済停滞から脱することはできない。
今後も外部環境の変化に翻弄され続けるようであれば、タイ経済は「低成長・低投資・低信頼」の三重苦に陥る可能性が高い。短期的な政策対応ではこの構造的停滞を打破することはできず、すでにタイ経済は停滞期に突入している。
もう、こうなったら玉砕覚悟で、ふたたびマリファナを解禁して、セックス・アルコール・ドラッグ大国にしてしまうのではないだろうか。




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