
フィリピンの留守児童は、海外労働に依存する社会の中で必然的に生まれてきた存在である。親が国外で働き、仕送りによって家計を支えるという仕組みが広く定着した結果、数百万規模の子供が親の不在を抱えたまま成長する。これは貧困が広がる社会ではどこでも起こりうることだ。日本でも……。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
海外で働いているフィリピン人は約216万人
フィリピンでは、親が海外へ出稼ぎに出ることが特別な出来事ではなく、日常の一部として定着している。国際労働機関の統計によれば、海外で働いているフィリピン人労働者は約216万人と報告されている。これは人口の約2%に相当する規模だ。
空港では出発する親を見送る家族の姿が日常的に見られ、涙ながらの別れが繰り返されている。家族にとっては悲しみであると同時に、生活を維持するための避けられない選択でもある。
海外に出る親の多くは、湾岸諸国や香港、シンガポールなどで家事労働や介護に従事する女性である。男性の場合は、船員や建設労働者として世界各地に散らばる。
彼らの労働によって稼がれる外貨は、国内に送金され、生活費や教育費に充てられる。2024年の送金額は国内総生産の約8.7%に達しており、この数字はフィリピン経済において極めて重要な意味を持つ。国家全体がこうした海外送金に依存している事実は否定できない。
しかし、残された家族にとって海外出稼ぎは複雑な感情を伴う。
特に子供はそうだ。食卓に座る人数が減り、誕生日や学校行事でも親がいない。小さな子供であれば、親の不在は心に傷を残すだろう。仕送りは毎月欠かさず届いても、親と子供のあいだに生じる物理的な距離は埋まらない。
残された子供は、父や母が「海外で働いている」ことを理解しながらも、日常生活の中で親の不在を痛感する。親がいない夕食の席や、電話越しにしか聞けない声は、家族にとって継続的な欠落を意味している。
これは、フィリピン国内で当たり前に見る「貧困の光景」でもある。
ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々・フィリピン編。フィリピンにある売春地帯を鈴木傾城がさまよい歩く。ブラックアジア・フィリピン編はこちら
留守児童(left-behind children)
フィリピン社会は海外労働者に依存しているのだが、その結果として「親がいない家庭」が広く存在するという構造が出来上がっている。
地域社会においても、出稼ぎに出る親を送り出す家庭が多数を占めることで、子供同士が共感し合う一方で、世代全体が「親と離れて育つ経験」を共有することになる。親の不在が社会の標準的な現象として根付いているのは、異常なことである。
こうした子供たちを、留守児童(left-behind children)と呼ぶ。
かつてのマルコス大統領の時代からそうなのだが、フィリピンでは海外出稼ぎが一種の「経済戦略」として組み込まれてきた歴史がある。1970年代のマルコス政権期に労働輸出政策が本格化して以来、労働者を海外へ送り出すことは政府にとって安定的な外貨獲得手段となった。
結果として、海外労働は単なる一時的な手段ではなく、長期にわたり制度化された仕組みとなり、現在に至るまで続いている。私がフィリピンで知り合った女性の何人かも、中東でハウスメイドをしていた。(アマゾン:ブラックアジア売春地帯をさまよい歩いた日々フィリピン編)
このフィリピン社会特有の政策的な背景が、親を欠いた家庭という形で子供たちの日常に深く影を落としている。親が海外で働くことで生活は成り立つかもしれないが家庭は成り立っていない。この矛盾が積み重なっているのが貧困国である。
フィリピンの国内には仕事がない。仕事があっても賃金はとても少ない。一日100円、200円を稼ぐのがやっとの家庭すらもある。そのため、海外に出て海外で稼ぐというのはフィリピン人にとっては当たり前の決断となっている。
フィリピンでは英語がよく通じるが、これも出稼ぎを輩出する要因ともなっている。農村部や地方都市の家庭にとって、海外からの送金は衣食住をまかなうだけでなく、子供の教育費や医療費を支える重要な資金源だ。
実際、送金によって地方の学校進学率が向上していることは統計からも確認されている。制服や教科書を買うことができるのは、親が遠く離れた国で働いているからにほかならない。表面的には、生活の質は明らかに改善されている。
しかし、残された子供たちは、経済的に不足なく育ちながらも、日常生活で親の存在を欠いたまま成長する。愛情やしつけの多くを祖父母や親戚に委ねられるが、それは親の代替にはならない。
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子供たちが求める親の存在感は取り戻せない
心理学的な調査でも、留守児童と呼ばれる子供たちは不安、孤独、抑うつの傾向を抱えやすいことが示されている。親から送られてくる写真や電話の声は一時的な安心を与えるが、日々の生活の中で感じる「不在」の重さはけっして解消されない。
もっと深刻なのは、父母のどちらかが長期間不在となることで、夫婦関係が希薄化し、最悪の場合は離婚や家庭崩壊につながることも往々にしてあることだ。子供は単に親を恋しく思うだけでなく、家庭が破壊される危機にもさらされる。
長期の不在を経て親が帰国した際、子供とのあいだに距離感が生まれ、かえって関係を再構築できない場合もある。金銭的な安定は得られても、子供たちが求める親の存在感は取り戻せない。
フィリピンの海外出稼ぎ構造は、この根本的な矛盾を抱え続けている。
本当であれば、フィリピンが経済的に成長していけばいいのだが、汚職が蔓延するフィリピンは、その根が断ちきれない限りは豊かになることはできないだろう。フィリピンの汚職と貧困についてはこちらでも取り上げた。(ブラックアジア:フィリピンがいつまでたっても貧困国から脱却できない3つの理由とは?)
結果的に、フィリピン経済にとって海外労働者からの送金は欠かせない柱となっている。世界銀行の統計では、2024年の海外送金は約400億ドルに達し、国内総生産の約8.7%を占めた。これは教育や社会保障に投じられる国家予算規模を上回る額であり、フィリピン経済を支える基盤である。
政府はこの送金を外貨準備の安定要因と見なし、1970年代から「労働輸出政策」を制度として維持してきた。国家全体が家庭の崩壊と犠牲を前提にした構造の上に成り立っている。
女性も国外に出ていく。若手も国外に出ていく。もちろん、優秀な人材も国外に出ていく。国家は外貨収入を得て経済を維持しているが、その維持の裏側ではフィリピン社会の基盤が弱体化して元に戻せない。
経済的な数字だけを見れば国を潤しているように見えても、実際には人材流出と社会の空洞化という深刻な代償を支払っているのが現実である。そして、親を知らず、親の愛で満たされなかった寂しい子供たちが大勢生まれていく。
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貧困が広がれば日本でも「留守児童」は増える
フィリピンの留守児童は、海外労働に依存する社会の中で必然的に生まれてきた存在である。親が国外で働き、仕送りによって家計を支えるという仕組みが広く定着した結果、数百万規模の子供が親の不在を抱えたまま成長する。
これはフィリピン社会の特殊な現象ではなく、経済格差が広がる社会ではどこでも起こりうる現実だ。
国内に十分な働き口がなく、低賃金や失業が広がれば、人々はより良い収入を求めて国外に流出する。そうなれば、残される子供の世代が増え、「留守児童」という現象が拡大する。
これは東南アジアだけでなく、過去の日本でも農村部から都市へ働きに出た親の子供たちに似た状況が存在した。
現代の日本でも、もし経済格差が深刻化し、地域に働き口が失われれば、同じように海外就労が一般化し、子供が親の不在を抱えることになる。
「親と暮らせない子供」という現象は、経済的な構造の中で必然的に生み出される。フィリピンで見られる留守児童の問題は、今の日本は「貧しい異国の話」のように対岸の火事に見えるかもしれないが、うかうかしているとすぐに日本の問題になる。
つまり、貧困が広がればどの国であっても留守児童は生まれる。日本も例外ではない。
フィリピンの事例は、出稼ぎ労働の拡大が子供や家庭にどのような影響を与えるかを示す明確な証拠である。そこにあるのは「どこかの貧しい国の悲劇」ではなく、どの国にも潜むリスクの姿だ。
経済的に追いつめられた家庭が増えれば、親はよりよい仕事を探すために遠方へ遠方へと出ていくしかない。田舎にいる親は都会に出て、都会でも仕事が見つからない親は海外に出る。
こうやって、貧しい家庭には残された子供たちの存在は確実に広がっていく。貧困は、留守児童を増やし、家庭を壊し、家庭の温かさを知らない子供たちを増やし、親の愛を知らない子供たちを増やし、最終的には殺伐とした社会を生む。




コメント
留守児童、ですか….
日本では、うーん、どうでしょう??
そもそも、日本では子供の数が急激かつ加速的に減ってきており、かつ、今後はより加速的に減っていきます。留守番させられるかさせられないか以前に、そもそも日本から「児童」がいなくなるのではないかなと。
また、フィリピンでは公用語がタガログ語と英語とされていて、国民のほとんどが英語ネイティブです。
従い、(理由は何であれ)ある程度の熱意と、それなりの技能・能力(と、若干の渡航費用、等)を用意できれば、外国に出て外国で働く、という選択が可能かと。
一方、日本人はというと….
恥ずかしながら、現時点では「多くの日本人が、外国で仕事をこなすレベルの英語力を既に身につけている」とは、到底判断できないなと。また、たとえ出稼ぎ日本人が外国のいわゆる「汚い」「キツい」「危険」の3K職場(しかも、外国語の能力を要求されない肉体労働、等)でカネを稼いだとしても、「言葉の通じない国で、言葉が通じない金融機関や仲介人を使って、稼いだカネを日本に送金する」ということが可能かどうか、大いに疑わしいです。
結論としては、
・子供だけでなく、その親も、一緒に貧しくなる。
・または、結婚・出産適齢期にある日本人は、そもそも結婚・出産をしなくなる(結果として、日本人の数が今まで以上に急激に減る)
という未来しか、見えてこないなぁ。。