
タイとカンボジアの国境問題は長年にわたって続いてきた。その結果、両国のあいだで「敵国の通貨を処刑する」という演出がSNSで広がるようになってきており、両国の人間が互いに相手の紙幣を燃やしたり、破壊したりしている。その行動には、深い敵意と民族的な憎しみが込められている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
タイとカンボジアの国境問題がエスカレート
タイとカンボジアの国境問題は長年にわたって続いてきたが、最近、両国民のあいだで憎悪感情が露骨なかたちで表面化している。その象徴的な行動として注目されているのが、「互いの通貨を破る、燃やす」という行為だ。
考えて見たら、紙幣は国家の象徴でもある。相手国の信用と尊厳を具現化する「紙幣」という存在を、敵対心の対象として破壊する行動には、深い敵意と民族的な憎しみが込められている。
2025年5月以降、カンボジア人がタイバーツ紙幣を破いたり、ライターで燃やしたりする動画がFacebookやTikTokに多数投稿された。そこには「我々の土地を奪ったタイを許さない」といった叫びが添えられている。
一方、タイでもその報復のように、若者を中心とした一部のグループがカンボジア・リエル紙幣を破る動画を投稿して、国境をまたいだ憎悪の応酬が続いている。
両国のSNS上では、これらの動画が何十万回も再生され、共感や憎悪、嘲笑といった感情が交錯している。
紙幣を破壊するという行為は、本来、刑事罰の対象にもなりうる公的通貨の毀損行為である。それにもかかわらず、多くの投稿者は顔を隠すこともなく堂々とおこなっている。法の意識よりも民族的感情が上回っている。
2025年6月には、バンコク市内でカンボジア人労働者を罵倒するパフォーマンスが報告された。一方、プノンペンではタイ製品の不買運動が活発化しており、スーパーからタイ製即席麺が撤去されている。
この憎悪の連鎖は、ネット空間で加速度的に増幅されている。かつてなら、個人の敵意が地域的・一時的にとどまったものが、現在では動画やコメントという形で「模倣可能な怒り」として再生産され続けている。
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「敵国の通貨を処刑する」という激しい感情
なぜ、こんなことになってしまったのか。きっかけは、プレアヴィヒア寺院周辺での小競り合いだった。カンボジア側が寺院周辺に新たな監視小屋を建設し、それに対してタイ側の武装警備隊が越境を理由に警告射撃をおこなったという報道が、SNSで拡散された。
この報道には、現地住民による映像や、互いに非難し合う当事者の発言が大量に付け加えられたことで、国民の感情を一気に高ぶらせた。
この事件が契機となって、カンボジアの若者グループが「タイの侵略に抗議する」としてタイバーツ紙幣を燃やす動画を投稿した。映像はあっという間に拡散され、支持コメントと同時に、タイ人からの強い反発を呼んだ。
その結果、タイ側でもカンボジア紙幣を破る行為が模倣されるようになり、相手を嘲笑し、恨み、罵る言動が続出した。やがて動画投稿は過激化し、「敵国の通貨を処刑する」といった過剰な演出が目立つようになった。
一連の怒りは、単なる国境紛争を超えて、「文化の略奪」「歴史の捏造」「民族の侮辱」といった感情的な領域にまで拡大した。この短期間の流れが、タイ人とカンボジア人のあいだに潜在していた敵意を表面化させ、あらためて両国の対立が深く根を張っていることを可視化する結果となった。
プレアヴィヒア寺院は「プラーサート・プラ・ウィハーン」とも呼ばれているが、カンボジアとタイの国境地帯に位置する11世紀のヒンドゥー教遺跡であり、かつてのクメール王朝の栄光を物語る建築物である。
1962年、国際司法裁判所(ICJ)はプレアヴィヒア寺院の主権をカンボジアに認める判決を下した。しかし、これには重大な問題があった。裁判所は「寺院本体」の領有権を認定したが、その周辺の土地については明確に言及しなかった。
それが、のちに両国の軍事衝突と民族的対立の火種となる。実際、2008年にカンボジア政府がプレアヴィヒア寺院の世界遺産登録を単独で申請し、UNESCOがこれを認めたことが、タイ側の反発を決定的に強めた。
タイ国内では、この登録が「カンボジアによる不当な領土拡張」であるという認識が広まり、タイの市民団体が抗議行動を展開した。さらに2008年から2011年にかけて、両国の軍隊が国境地帯で断続的な銃撃戦をおこない、死傷者も発生した。
一方、カンボジアにとってプレアヴィヒア寺院は、ポル・ポト政権による破壊からの文化的復興を象徴する存在でもある。
アンコール・ワットに次ぐ国家的遺産として、観光資源でもあり、また民族的アイデンティティの柱でもある。そのため、タイからの抗議や武力行使は「文化的侵略」として捉えられ、国民感情をさらに刺激してきた。
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自国の軍と軍司令官をめちゃくちゃにけなす
寺院自体は現在、平穏に観光地として維持されているが、周辺地域では依然として国境線が未画定であり、両国の軍がにらみ合いを続けている。これは、物理的な衝突こそ減少したものの、感情的対立が解消されていない証拠である。
やっかいなのは、両国の教育制度における「歴史の語られ方」の違いである。
タイでは、プレアヴィヒア寺院は「もともとタイ領だったが、国際社会に不当に奪われた」と教えられる一方、カンボジアでは「古代クメール文明の正統な遺産であり、タイによる侵略から取り戻した」と教えられている。
そのため、プレアヴィヒア寺院をめぐる争いは、単なる不動産の所有権争いではなく、「歴史の正しさ」や「民族の誇り」といった、妥協しにくい価値観が複雑に絡み合うようになったのだった。
2025年6月15日、タイのペートンタン首相は、国境線上の軍事衝突をめぐり、カンボジアのフン・セン元首相(上院議長)との非公式な電話会談を15分ほどおこなった。
そのなかで、ペートンタン首相はフン・セン氏を「おじさん」と呼び、タイ東北部の軍司令官を「狂人」「タイ政府の敵」「軍の反対勢力」と表現して、カンボジアの首相フン・センに「彼らよりも、あなたに味方してほしい」など発言した。
この録音はカンボジア側により録音・公開され、6月18日に公開されたのだが、一国の首相が相手国に向かって自国の軍と軍司令官をめちゃくちゃにけなすのだから前代未聞の出来事である。
ペートンタン首相は後にこの音声が本物であることを認め、私的な会話であったと説明しつつ、流出に対して強く非難し謝罪したが、国民の怒りは収まらなかった。これが原因でタイ国内で大規模な抗議活動が起こり、首相に対する辞任圧力が高まった。
現在、ペートンタン首相はタイ憲法裁判所によって首相職の一時職務停止を命じられている。
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民族的敵対感情は火がつけば鎮火しない
タイとカンボジアのあいだで広がる敵意と対立の構造は、単なる政治的争いではない。教育、報道、宗教、文化、そして日常生活のなかにまで深く入り込んでおり、もはや一朝一夕で解消できるものではない。
ただ、両国は経済的、人的、文化的に強く依存しあっているという現実もある。過去にも対立が激化した時期、この経済的損失が可視化されたことがあった。
2003年にプノンペンで起きたタイ大使館焼き討ち事件の際、タイ政府は即座に経済報復措置をとり、投資凍結や援助停止をおこなった。その結果、カンボジア側の経済活動は短期的に大きな影響を受けた。
同様に、2008年のプレアヴィヒア寺院をめぐる緊張が高まった際には、両国間の観光客の往来が激減し、国境近くの経済圏に打撃が走った。要するに、対立がヒートアップするたびに、両国は自国の経済を傷つける結果となるのだ。
それでも憎悪は簡単にとめられないので、こうした合理的判断は二の次になる。
こうした民族憎悪は、地理的に近接した民族同士のあいだで繰り返し発生している。現在、世界を揺るがしている戦争である「イスラエルとパレスチナ戦争」「ウクライナとロシア戦争」も、民族憎悪からきているものだ。
そのいずれも、民族的敵対感情は一度火がつけば簡単には鎮火しないことを示している例だ。宗教、言語、文化、歴史の解釈といった複数の軸で対立と衝突が生まれると、それは常にエスカレートしていく。
憎悪の歴史が長くなればなるほど、憎悪は世代を超えて継承され、子供の頃から敵として相手民族を認識する構造が教育や宗教の中に組み込まれる。その結果、たとえ一時的に和平合意が成立しても、社会の内部に蓄積された不信や怨念がかならずどこかで表出し、衝突が繰り返される。
民族憎悪は、個人の努力や善意ではとめられない構造的問題である。
それは国家という装置によって制度化され、維持され、そして拡張される。歴史がそれを何度も証明してきた。つまり、民族憎悪はつねに再発し、つねに最悪の結果を引き起こす。
これが現実であり、悲劇はつねに繰り返されてきたし、これからも繰り返される。どこかで断ち切れると考えるのは、楽観的すぎる見通しでしかない。

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