低所得層は小麦、中流はカリフォルニア米、上級国民だけが日本の米を食べる時代?

低所得層は小麦、中流はカリフォルニア米、上級国民だけが日本の米を食べる時代?

東南アジア・南アジアで食べられている米はあふれかえって価格は暴落しているのに、日本は米が足りなくて暴騰している。しかし、アジアのインディカ米は日本人の大半は食べない。とすれば、「低所得層は小麦、中流はカリフォルニア米、上級国民だけが日本の米を食べる時代」を生むのかもしれない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

インドの米輸出量は今年、過去最高の約2250万トン

インド政府は2025年3月、長らく続けていた米の輸出規制を全面的に解除し、主要品種の輸出枠を大幅に拡大している。これにより、インドの米輸出量は過去最高の約2250万トンに達することになった。

世界全体の米生産量が約5億4360万トン、総供給量が約7億4300万トンとなり、需要を大幅に上回る需給環境が形成されたことで、国際市場は今、インド産の安価な米があふれる状況となった。

この供給過多が、タイやベトナムなど東南アジアの主要輸出国に深刻な打撃を与えている。

タイの米の輸出価格は、前年同期から約33%も急落し、ベトナム産の米も9年ぶりの低水準に沈んだ。輸出量も落ち込み、タイは第一四半期の輸出数量が前年同期比で約30%減少してしまった。

その結果、生産コストを下回る価格での販売を強いられる農家が相次ぎ、肥料費や燃料費の高騰も相まって、多くの稲作農家が収益悪化の深刻化を訴えている。一部地域では、農家が電力料金の支払いにも窮する事例が報告されている。

農家の苦境を重く見たタイ政府は、最低価格の支持政策を再検討し、政府買い取りプログラムの再開を視野に入れざるを得なくなった。ベトナム政府のほうは今、中東やアフリカ市場への販路拡大を必死で進めている。

ただし短期的には、世界的な在庫積み増しとインド産米の安価供給による価格下落圧力が継続し、タイ・ベトナムの価格回復には時間がかかる見通しだ。今後もインドの輸出が大規模に続くのであれが、東南アジアの米農家は厳しい状況になりそうだ。

何が起きているのかというと、今、世界は米で満ちあふれている。

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ジャポニカ米とインディカ米はまったく違う米

ところで、日本に目を向けるとまったく違った光景となっている。日本国内の米需給は逼迫して、コメ価格は過去最高水準まで暴騰している。

2024年度の収穫不足は、長雨や台風被害による作付面積の減少が主因であり、政府は年末までに320万トンの不足を見込んでいる。その結果、コメ店頭価格は1kg当たり500円を超え、前年同期比で20%の上昇を記録した。

消費者は家計の負担増を訴え、業務用需要への影響も顕在化している。政府は備蓄米を放出しているが、それがどこに消えたのか、さっぱり市場に回ってこない。結果として、米価格は暴騰したままとなっているのだった。

東南アジア・南アジアで食べられている米はあふれかえって価格は暴落しているのに、日本は米が足りなくて暴騰している。

それならば、アジアの米を日本に輸出すればすべて丸く収まるのかと言えば、まったくそうではない。ご存じの通り、アジアの米と日本の米は、同じ「米」でもまったく違った種類だからだ。

日本の米は「短粒のジャポニカ米」だが、東南アジアの主要輸出品は「長粒のインディカ米」なのだ。両者は食感や形状や風味がかなり異なる。そのため、大半の日本人はインディカ米を受けつけない。主食であるがゆえに、味が違うと馴染めないのだ。

1993年、日本で「タイ米騒動」として知られる出来事が起きたのは、今でも語り継がれている。

このとき、日本は80年ぶりの大冷夏に見舞われて米が足りなくなり、政府は急遽タイからインディカ米を輸入した。ところが、である。日本人はあまりの触感の違いに驚き、拒絶し、抱き合わせ販売されたタイ米は不法投棄される事態となった。

あれから日本人の米に対する味覚はまったく変わっていない。そのため、日本は不足するジャポニカ米を海外から調達するとしたら、アメリカのカリフォルニア米、もしくは中国米くらいしかない。

東南アジアの余剰インディカ米を輸入することは現状では選択肢に入らない。

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インディカ米特有のドライ感と風味は郷愁でもある

インディカ米は細長い粒で、炊き上がりはパラパラとした食感を特徴とする。

南アジアや東南アジア、アフリカなどで広く消費されており、フライドライス、カレー、ビリヤニなどの料理に適合する。対してジャポニカ米は粒が短く丸みを帯び、粘り気が強い。その粘りがあるからこそ、寿司やおにぎり、和食全般と親和性が高い。

私はどちらの米も好きだが、若い頃にタイでインディカ米を口にして以来、この米にも強い愛着を感じてきた。もちろん、日本の米とは匂いも違えば食感も違う。だが、一度それに慣れると、すっかり舌が馴染んで離れられなくなった。

2000年代からは南アジアにも行くようになったのだが、当時は現地の屋台でビリヤニやターメリックライスを食べてきた。パラパラと軽やかな食感とスパイスの香りが身体に染みわたった。

インドで食されるインディカ米は、東南アジアのものと違ってさらに粒が長かったりすることもある。それで驚いたりしたこともあった。

「米」と一言で言っても実はいろんな種類の米がある。それを、現地で食べながら知るのは面白い経験だった。スラムの女性たちと一緒に床に座り込み、互いにインディカ米の食事を分かち合った。あの味や経験が忘れられない。

日本で食べるジャポニカ米の安心感とは異なる、インディカ米特有のドライ感と風味は、私にとっては郷愁でもある。

日本のレストランでもインディカ米を使ったアジアン料理は増えているが、家庭で日常的に食べる文化は根づいていない。好みの問題だけでなく、家庭調理の手順や炊飯器の機能が対応していないことも障壁となっているのかもしれない。

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貧困家庭はすでに主食が小麦になっている

日本の主食観は「ご飯=ジャポニカ米」という意識が強くて、インディカ米を「ご飯」として受け入れることはないかもしれない。現に、これだけ米不足になって価格が暴騰しても「インディカ米でもいいから出せ」と言い出す人はひとりもいない。

これほど、多彩な味覚を受け入れる日本人なのに、米だけはかたくなにジャポニカ米しか主食にしたくないと思っているのだから、それはそれで興味深い。インディカ米を食べる文化が日本に根づく気配はなさそうだ。

では、米が決定的に不足して価格が高騰し続け、ジャポニカ米が高すぎて食べられないという事態が継続すると、どうなるのだろう。おそらく日本人は、インディカ米よりも「小麦」を主食にするようになるのだろう。

すでに小麦は、パン、うどん、ラーメン、パスタといった形で、日常生活のあらゆる場面で食べられている。朝食のトーストから昼食のスパゲティ、夕食の餃子やピザに至るまで、すべて小麦である。

小麦は安い。そのため、低所得層の家庭はすでに主食が小麦になっている。極端な話、米が高くても小麦が安ければ別に困らないという家庭すらもあるはずだ。朝は食パン、昼はラーメン、夜はパスタとかピザとか食べていれば事足りる。

小麦はジャンクフードの根幹にある。そのため、今やジャンクフードが主食みたいになっている私も、米も好きだが完全に小麦が主食みたいになっている。私と同じように、いつのまにか小麦が食の中心になっている人もいるだろう。

今後、日本はもっと低所得層が増えていき、ジャンクフードを好む層が増えていくが、そうなると、社会の底辺は小麦とジャンクフードを食べ、中流はカリフォルニア米や中国米を食べ、上級国民だけが日本で作られた日本米を食べるという時代になるのだろうか?

日本の米が高級米になって低所得層の家庭で買うのが厳しくなったら、間違いなくそうなっていくのだろう。

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