
無期懲役になる事件は残虐な殺人事件が多い。被害者遺族にしてみたら、殺された身内は一生帰ってこないのに犯人は15年から20年で復帰するのは許せないという気持ちが強いだろう。重大犯罪に対する厳罰化を支持する世論は一貫して強く、被害者や遺族の心境を表社会は共有している。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
無期懲役1600人のうち仮釈放は1名
フィリピンが拠点の特殊詐欺「ルフィ」グループによって計画された闇バイト事件で、東京都狛江市の女性を死なせたとして強盗致死罪などに問われた27歳の男が、無期懲役となっている。
闇バイトでおこなった殺人とは言えども、この男は凶器のパールなどを買って参加していたことから「強い金銭的欲望に基づいて積極的に役割を担った」と判断されたのだった。闇バイトで、この男は一生をフイにした。
現在の無期懲役は事実上の「終身刑」に近いものとなっているので、この男は一生を刑務所で過ごすことになるのだろう。
無期懲役という刑罰は、法律上は「終身ではない」と規定されている。刑法は無期懲役受刑者が10年を経過すれば仮釈放の対象になると定めているが、この数字は制度上の建前にすぎなくなっている。
かつては模範的な行状を示した受刑者であれば15年前後で社会に戻る事例が多かった。だが、今はもうそんな状況ではない。現在の無期懲役は、名称こそ「無期」であっても、実際には終身に近い拘禁を意味するものになっている。
法務省が公表するデータでは、令和4年に仮釈放が認められた無期刑受刑者の平均在所期間は45年3か月だった。10年どころか30年の水準すら通過点にすぎず、50年近い拘禁が標準化している。
この数字は過去10年でもっとも長く、短縮する兆しはない。
かつての「15年で社会復帰」という昔話と比較すると、犯罪政策の重心がどれほど変わったかが明白である。仮釈放の審査も厳しくなってきている。許可される人数は毎年数人にすぎない。2024年は無期懲役1600人のうち、仮釈放されたのは1名だった。
表社会がそれを望んでいる。
病み、闇。: ゾンビになる若者 ジョーカーになる若者
リストカット、オーバードーズ、自殺、自暴自棄、闇バイト、社会に対する復讐感情、荒れていく社会の裏側。日本社会の裏側は、どうなってしまったのか?
「無期懲役でも20年以内」は昔話に
かつて無期懲役は現在のような長期拘禁ではなかった。
2004年の刑法改正以前、有期刑の最長は20年であり、刑罰体系全体の構造が現在よりもはるかに短期的だった。事実、1970年代から1990年代前半にかけて、服役15年前後での社会復帰が一般的だった。
実際、1975年には114名の無期刑受刑者が仮釈放されているが、そのうち服役20年を超えていた者はわずか5名だった。数字が示す通り、当時の無期懲役は現在とはまったく違う制度運用だったのだ。
たしかに私の知り合いも「無期懲役でも20年以内に出てくる」と言っていた。だが、もう昔の話だ。今は平均在所期間は45年になっているのだから、昔と同じだと思ったら大間違いなのだ。
無期懲役が変わったのは、1998年6月18日に最高検察庁が発出した非公開通達が発端だとされている。この通達には「マル特事件」と指定した無期刑受刑者について「終身か、それに近い期間、服役させるべき」と明記されていた。
さらに、2004年の刑法改正で有期刑の最長が20年から30年へ延長されたことで、無期刑の位置づけも変動した。この結果、仮釈放の審理基準は制度上の変更と行政内部の方針が複合的に重なり、無期懲役の実態は急速に長期化した。
無期懲役の長期化には異論も存在するが、現在の運用が社会の要請と整合していることは否定できない。
無期懲役になる事件は残虐な殺人事件が多い。被害者遺族にしてみたら、殺された身内は一生帰ってこないのに犯人は15年から20年で復帰するのは許せないという気持ちが強いだろう。
重大犯罪に対する厳罰化を支持する世論は一貫して強く、被害者や遺族の心境を表社会は共有している。社会が求めているのは、加害者を長期間社会から隔離し、再犯の不安を抑制する確実な仕組みである。
無期懲役の長期化は、その要求にもっとも直接的に応える制度設計であったのかもしれない。
圧倒的「病み垢」女子
圧倒的な「闇」を体現するのが「やむやむさん」だった。オーバードーズを「人生そのもの」と語り、幻覚に心地よさを感じ、度重なる救急搬送にも「怖くない」と笑う。
無期懲役が適用される事件とは?
無期懲役が適用される事件は、単に結果が重大であるというだけでは説明できない。裁判所は事件の性質、動機、態様、被害の広がり、社会への影響など複数の要素を総合して判断されている。
近年の判例を確認しても、無期懲役が選択されるのは、殺人、強盗殺人、放火殺人など、生命侵害が中心となる事件が大半を占めている。
生命が失われているか否かは重要な基準だが、それだけではなく、犯行の計画性や残虐性、被害者数などが量刑を大きく左右する。
典型的なケースは、複数の被害者が死亡した事件である。同時に二人以上が命を奪われた場合、裁判所は死刑と無期懲役の境界線を慎重に判断する。死刑には至らないと判断された場合でも、無期懲役を選択することが多い。
特に犯行が冷静かつ計画的におこなわれ、逃走や証拠隠滅を図った事例では、社会的危険性が高いと評価されるため、無期懲役が妥当とされる。被害者遺族の感情も軽視されず、その受けた損失の大きさが量刑に反映される。
次に、強盗殺人のように他の犯罪行為に付随して生命侵害が発生した場合も無期懲役が選択される。強盗目的での侵入や襲撃は、動機の利己性が強く、社会的悪質性が際立つからだ。
ルフィに絡む狛江の強盗殺人事件は、まさにその一例だった。カネのために他人の命を奪うというのは、利己的以外の何者でもない。利得目的の犯罪と殺意の結びつきは、量刑で厳しく処理される領域なのだ。
放火殺人も無期懲役になりやすい。放火は周囲の居住者や通行人など、多数の無関係な人々を危険にさらす。火災は加害者が想定しない範囲にまで被害を拡大させるため、その危険性の広がりが重視される。
ひとたび火が建物を包めば消火までに時間を要し、複数の死者が出ることも珍しくない。放火行為に殺害の意図が明確であれば、無期懲役は当然の帰結とされる。
邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる
邪悪な世界が私たちにワナを仕掛ける。それは1つ2つのワナではない。いくつものワナが同時並行に多重に連なりながら続く。
犯罪は合理的な選択になりえない
無差別殺傷事件は死刑判決の割合は高い。死刑を免れても無期懲役だ。通行人を狙った突発的な殺傷事件や、公共空間での襲撃事件は、多数の生命を危険にさらす点で社会的影響が大きい。
それゆえ刑事政策としても厳正な対処が求められ、死刑と隣接する量刑領域に置かれる。犯行に計画性が乏しいとしても、危険性の高さが強く評価されるため、無期懲役が選択されることが多い。
このように無期懲役の対象となる事件は、生命侵害の中でも特に重大で、悪質性が突出した領域に限られている。そうした悪質性があるがゆえに、遺族は「15年から20年で出所するなんて納得できない」という話になる。
その心境が事実上の終身刑に向かわせているのだった。
強盗殺人や連続殺人、無差別殺傷事件といった行為は、人間の生命を奪い、多数の人々に恐怖と喪失を与えている。動機が金銭であれ怨恨であれ突発的であれ、被害者や遺族が受けた損害は回復しない。
加害者側の事情で残虐な結果が正当化されることはなく、社会の側もその行為を許容できない。こうした事件に対して十数年の拘禁で社会復帰を認めることは、刑罰としての責任の重さに見合わないと考える遺族の気持ちはわかる。
無期懲役が終身的に運用される状況は、重大犯罪の重さに対して刑罰が適切に応じている結果であり、見過ごすべきものではない。重大犯罪に対する社会の姿勢として、この流れは自然な帰結なのだ。
ここで言える結論はひとつしかない。
犯罪は、「ますます」割に合わないものになっている。短期的な衝動や利己的な判断が引き起こす結果と比較すると、犯罪がもたらす不利益は圧倒的に大きい。犯罪は合理的な選択になりえない。
完全なる「ハイリスク・ローリターン」の世界である。







コメント