楽観主義や成功哲学を信じて実行しても成功できなかった人は山ほどいるはずだ

楽観主義や成功哲学を信じて実行しても成功できなかった人は山ほどいるはずだ

楽観主義や成功哲学を信じている人は多い。しかし、誰よりも努力し、誰よりも動き、誰よりも真摯に成功を追求しても、成功できないことがあるのが世の中なのだ。楽観的に考えて念じただけで成功できるとか本気で思うのは現実的ではない。成功できなかった人は山ほどいるはずだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

時代が逆風であれば、成功は苦難の道となる

1965年から1969年は「バブル世代」と呼ばれる。私は典型的なバブル世代であり、20代のはじめには、もう株の売買にどっぷり浸って暮らしていた。思えば素晴らしい時代でもあった。

当然だが、時代が順風であれば成功しやすく、時代が逆風であれば成功をつかむのに苦難の道となりやすい。

1980年代のバブルの時代は、どんな甘い見通しの事業でも時代に勢いがあったのであっと言う間に成功した。投資家も、どんな理由で何の株を買っても全員が儲かった。不動産もどんな僻地でも価格が上昇した。

個人の能力が劣っていても、時代に勢いがあったら成功しやすかった。ところが、バブル崩壊以後は、どんな有能な人が事業をしても破綻する確率が高まり、投資家も敗退し、不動産を所有する人は借金で首が絞まった。

楽観主義やら成功哲学のような本が大量に出回りはじめて、それが広く読まれるようになったのはバブル崩壊以後だ。

その心理は手に取るようにわかる。バブルが崩壊したあとの日本人は、もうすっかり自信を喪失してしまった。世の中はどんどん悪化し、経済的に何をしてもうまく回らない世の中で苦しむようになった。

1990年代後半からは自殺者も急激に増えていた。さらに2000年代に入ってからは格差問題や貧困問題が続出するようになった。その結果、いったい何を頼りに生きるべきなのかと日本人は途方に暮れていた。

そこに、不安な心の奥底に忍び寄るように、楽観主義やら成功哲学のようなものが広がるようになっていた。若者たちは特にそれに「すがる」ようになり、何とか現状を変えられないかと足掻いたのだ。

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荒唐無稽な哲学が人生を救うことは絶対にない

バブル崩壊以後、楽観主義や成功哲学の本が次々と売れるようになっていき、あきれるほど無責任な楽観主義を煽る本や成功哲学が満ちあふれた。

「強い情熱で、良いことだけを考えれば良いことが起きる」
「どんな人でも、心の中で強く願えば願いは叶う」
「誰でも強く念じるだけで成功することができる」

成功哲学の著者は無責任にそうした内容を煽り、驚いたことにそれを頭から信じてしまう無邪気な人まで出てくるようになった。

私はバブル世代だったが楽観的なことは何ひとつ信じていなくて、つねに「人生いつでも破綻する」と思って生きていたが、それでも時代が時代だったので、何をやってもうまくいった。まるっきり楽観的ではない私でさえ、そうだった。

ところが、バブルが崩壊してからは、私よりも楽観的で、私よりも勤勉で、私よりも頭が良くて、私よりもまじめな人でさえ、バブル世代で無責任に生きていた私と違って経済的に苦しんでいた。

それで、彼らは楽観主義や成功哲学にすがるようになっていたのだった。

もちろん楽観主義でいることや、成功に意欲を持つことは悪いことではない。人生においてそれは積極的に追及されるべきでもある。だが「強く考えただけで成功する」とか「信じ切ることで絶対に成功する」というのはあまりにも荒唐無稽すぎる。

常識で考えれば、強い願いがあっても、行動や能力や運が伴っていないと成功できるわけがないのは誰でもわかる。

ギャンブラーが連戦連勝したいと強く願っても、宝くじが当たって欲しいと強く思考しても、運動能力がない人間がスポーツ選手になりたいと強い情熱を持っても無駄に終わる。

現実的でないものは、強く願っても叶わないというのは子供でも理解できることである。ところが時代が悪化していくと、そういった理性が吹き飛んでしまった人が多かった。

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楽観主義や成功哲学と宝くじはよく似ている

「信じる者は救われる」と、バブル崩壊後の若者たちは宗教のように考えたのかもしれない。それほど、精神的に追いつめられていたということなのだろう。

それまで日本人は「まじめに働いていれば報われる」「終身雇用は崩れない」「土地はずっと右肩上がりだ」と信じ込んでいた。それがすべて崩れ去ったのだから、何かすがるものを求めたとしても責められない。

とは言え、非現実な楽観主義や成功哲学は、ほとんどの若者たちを救うに至らず、単なる娯楽として消費されるか、失望と共に忘れられるしかなかった。楽観主義や成功哲学をいくら真剣に学んでも成功しない人が続出しているのは、それが「毒にも薬にもならない」からだというのが誰も言わない真相である。

それでも、こんな時代になっても、まだ懲りずに楽観主義やら成功哲学やら、次から次へと信奉者が出てくるのはなぜなのだろうか。

やはり、いつの時代でも、そういう荒唐無稽なものにすがりたい人がいるからなのだろう。「楽観的でいたら成功する」とか「念じたら成功する」とか、そういうインスタントなものは一定の需要があるので出版物も大量に存在し、広告でも大量に打たれて宣伝される。

楽観主義や成功哲学は、それ一冊では目立たないかもしれない。だが、数百、数千もの楽観主義や成功哲学の本が満ちあふれると、それ自体が大きなジャンルとなって無視できなくなり、何か救いを求めている人がそこに逃避する。

溺れる者は藁でも成功哲学でもすがりつきたい。効果があろうが、なかろうが関係ない。「それにすがりついたら、万が一でも成功するかもしれない」と無意識に自分を洗脳する。

宝くじなど当たらないと思いながら宝くじを買い、やはり当たらないで失望しながらも、また次の宝くじを買う心理に似ている。たまに当たる人がいるという部分も楽観主義や成功哲学と宝くじはよく似ている。

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私は一度も世の中を楽観的に考えたことはない

「いや、そうは言っても楽観的なほうが成功するはずだ」「成功すると念じている人のほうが成功するはずだ」という意見も根強いが、私たちが見なければならないのは、楽観的でも失敗した人たちの膨大な数と、成功すると念じていても成功できなかった人たちの存在である。

本当はそうした人たちのほうが多いはずなのだが、人々は水面下の不都合な真実を見ないで、ほんの小さな「氷山の一角」を見てそこに希望を託している。

人々がすがりつきたいものは、効かなくても存在が許されている。楽観主義や成功哲学は口当たりが良いので、それはいつしか大量の情報となって、失望に落ちている人を取り込んでいく。

大量に出回っているものは、それが嘘でも間違いでもカルト的な信奉を得ることもある。「嘘も百回言えば真実になる」という錯覚がそこに働く。楽観主義になったら成功するとか、成功哲学を読めば成功すると勘違いするのも、きっと大量宣伝のせいだ。

滑稽なものが真実のように謳われる。

時代の荒波に押し潰され、苦しみ、藁をもつかもうとする人々が救いを求めてそれにすがりつく。だが、荒唐無稽な哲学が人生を救う確率は限りなくゼロに近い。

結局、成功できるかどうかは、本人の絶え間ない努力であったり、もともとの才能であったり、超絶的な運であったり、人脈であったり、具体的な計画であったりする。楽観的に考えて念じて寝てても何も起きない。

そもそも、誰よりも努力し、誰よりも動き、誰よりも真摯に成功を追求しても、成功できないことがあるのが世の中なのだ。楽観的に考えて念じただけで成功できるとか本気で思うのは現実的ではない。

私自身はそういうのを聞くと、それで成功した人ではなくて、それで成功しなかった人のほうに関心が向く。

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