インドの貧困エリアではいまだ児童婚が続いている。18歳未満の妻との性行為を強姦とみなすとの判決を下した。つまり、法律はすでに児童婚を厳しく取り締まる方向へ舵を切っている。それにもかかわらず、深く根づいた慣習は容易には消えない。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
児童婚で5,000人以上を逮捕
貧困と伝統が交錯する地には、今も児童婚が残っている。幼い少女や少年が、自らの意思に反して結婚を強いられる。インド北東部アッサム州で約5,000人以上が逮捕されたという一報は、まさにこの隠された闇を暴き出す出来事であった。
2023年2月以降、同州当局が大規模な取り締まりを強化した結果、政府の発表によれば新たに416人が拘束され、違法な児童婚にかかわる容疑者の総数はさらに膨れ上がった。
こうした貧困地区では、親が貧困ゆえに未成年の子供を「経済的手段」として扱い、早期の嫁入りを求めることが多い。家族が娘に望むのは「結婚」という伝統的なしきたりによる家系の存続もあるが、本当の目的は「金銭の確保」にほかならない。
娘を早く結婚させれば、養育費や生活費の負担が減る上に、嫁入り先からの支援金も期待できる場合もある。
だが、インド最高裁は2017年に、18歳未満の妻との性行為を強姦とみなすとの判決を下した。つまり、法律はすでに児童婚を厳しく取り締まる方向へ舵を切っている。それにもかかわらず、深く根づいた慣習は容易には消えない。
児童婚の背後に潜むのは、第一に貧困だ。しかし、それだけでなく、教育格差、伝統と宗教の押しつけ、女性蔑視の文化など、さまざまなものがすべて入り交じっているといえる。
国際連合児童基金(ユニセフ)の報告書では、インド、アフガニスタン、バングラデシュ、パキスタンなどで、未成年時に結婚した女性の数がおよそ2億9,000万人にのぼるとされる。
アッサム州が下した「断固たる措置」が、この地域の人々の考えかたを変えるのかどうか、注目に値する。
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「私の娘と結婚しろ」と迫る女性
ところで、私がインド・コルカタのスラムの宿にいたとき、ひとりの母親が私の部屋を訪ねてきたことがある。
この母親はまだ10代前半だと思う娘を連れてきていたのだが、何ごとかと思っていると、「私の娘と結婚しろ」というのだった。「結婚して日本へ連れていっていい。自分も一緒に日本にいく」と母親は私を説得した。もちろん、娘は嫌がって半泣きになっている。
スラムのようなところにいると、しばしばこうした異常な取引が持ち込まれる。こんな話に乗るような人は皆無だと思うが、こういうのも話に乗ったら児童婚になってしまう。
児童婚とは、法定年齢に達しない子供たちが結婚を強要される行為を指し、世界的に厳しく禁じられたはずの行動である。しかし、実際には貧困地域を中心に温存され、文化・宗教・家族の都合が相互に絡み合い、その根絶を困難にしている。
インドや南アジア諸国に限らず、アフリカや中東、ラテンアメリカの一部の国々でも散見される。やはり、貧困を背景に、早期婚が一家の生計を支える一手段として利用されている。
結婚によって嫁入り先から得られる金銭的・物質的な支援、あるいは婚家への引き渡しによる一家の負担軽減が、貧しい家族には魅力的に映るのだ。少女の幸せや人権は二の次か、完全に無視される。
少女たちは教育の機会を奪われ、社会的な知識や技能を習得することなく、母親としての役割だけを押しつけられる。これが、途上国の貧困層の中で起きている。健康管理の知識はなく、医療サービスへのアクセスも限られている。そのため、若年出産に伴うリスクは非常に高い。
さらに、児童婚による夫婦間の力関係は圧倒的に不均衡であり、家庭内暴力や性的搾取のリスクも大きくなる。
国際社会や各国政府は、法令や国際条約によって児童婚を禁止・抑制しようとしてきた。だが、法律が制定されたからといって、根本的な貧困や社会構造が即座に変化するわけではない。
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児童婚ではどのような問題が起こり得るか
アッサム州では、長らく児童婚は「普通に」おこなわれてきた。そのため、法の厳格な適用が進められる一方で、地方の住民のあいだでは「なぜ違法なのか理解できない」という認識ギャップも生じている。
長らく家長主義と貧困の中に生きていた人たちにとって、低年齢での結婚は「常識」として機能している。
実際、アッサム州でおこなわれた逮捕劇も、地元住民の困惑を伴いながら進んでいる。多くの人びとが「子供の結婚は昔から当然のこと」と受けとめており、伝統と法律の衝突が起きているのだ。
おそらく必要なのは、児童婚がなぜ悪いのかを、説得し、理解させ、やめることのメリットを説くことではないのかと思う。
児童婚におけるもっとも深刻な問題のひとつは、子供たち自身の身体的・精神的な成長機会が奪われることだ。少女が学齢期のうちに嫁がされれば、学校を退学し、家事や出産・育児に追われる生活が始まる。
読み書きが不十分なまま社会に出ても、経済的自立は困難を極め、逆にさらに貧困の連鎖に組み込まれてしまう。しかも、育児や家事の負担を支える術を持たないまま、夫や夫の家族からの支配を受けやすくなる構造がある。
夫婦間の力関係は明白で、年齢が離れていれば離れているほど、若年の妻に選択の自由などほとんど残されていない。そこでは意見を言うことすら制限され、暴力や性的搾取につながるリスクも高まる。
さらに、若年での出産は非常に深刻なリスクだ。身体が完全に成熟していない状態で妊娠・出産すれば、産道の損傷や妊産婦死亡率の上昇、低体重児の出産といった問題が起こりやすくなる。
こうした状態は次世代にも影響を及ぼす。子供が十分な教育や栄養を受けられないまま育ち、ふたたび貧困の連鎖を強化してしまう。こうした問題点が理解されて、これを変えることによって、地域社会が豊かになっていくという理解が得られれば、自ずと社会は変わっていくように思える。
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児童婚は減っているが消えたわけではない
国際的な調査によれば、インド全体で18歳未満の女性が結婚する割合は、2005年~2006年の47%から2019年~2021年に23.3%まで減少した。これは、社会的な啓発活動や教育制度の拡充、法的な取締りが一定の成果を上げていると評価される。
だが、この減少は一部の都市部や比較的豊かな地域「だけ」で進んだ側面が大きい。
貧困が深刻な地方部に目を向けると、児童婚は根強く残り続けている。たとえ統計上での割合が下がっても、貧困地区では依然として大量の児童婚が存在しており、その一端を象徴するのがアッサム州での5,000人を超える逮捕劇だったのだ。
南アジア諸国やアフリカの一部地域など、多くの発展途上国の、極貧の中の極貧に生きる地域では、どこも同じだ。法制度の整備や公共の警戒が高まると、あからさまな児童婚は影を潜める傾向がある。
しかし、法的に規制されても、宗教的・文化的に許容されているのであれば、児童婚は地下に潜り、さらに複雑化する。家父長制の威光が依然として強い地域では、法律よりも伝統や慣習が優先される風潮が残り、社会の底にくすぶる児童婚の火種は容易に消えない。
家族同士の口約束や宗教的慣習に基づく秘儀的な儀式を通じて、周囲に知られないかたちで結婚が成立することも珍しくない。こうした隠蔽体質は、摘発や逮捕だけでは撲滅が難しいことを物語る。
アッサム州の取り締まりが象徴するように、法執行が厳しくなるほど、潜在的な事例を表に引きずり出すことが可能になる一方、地域社会の抵抗や衝突をも生み出す。
結局、数字の向上だけをもって「児童婚はほぼ終わった」と断ずるのは性急であり、むしろ今なお温存される闇を浮き彫りにするには十分な材料となり得るのだ。児童婚は減少していても、消えてはいない。
貧困が消えていないのだから、「子供を結婚させたら金銭が確保できる」という一点だけでも児童婚は生き残るだろう。
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