◆私の「美しい女性に対する不信」は最終的に奇妙なものを生み出してしまった

◆私の「美しい女性に対する不信」は最終的に奇妙なものを生み出してしまった

若い頃、私がタイの歓楽街パッポンで追いかけていたのは、同年代の飛びきり美しいゴーゴーバーの女たちだった。当時の私には「美しい」というのは重要だった。歓楽街は美しい女たちが山ほどいる場所であり、私は美しさを貪欲に消費した。

しかし、やがて私は違和感を感じるようにもなった。「美しい」だけで評価するのは違うと叩き込まれた。実際に、誰もが振り返るほど美しい女と一緒にいても、外見だけではカバーできない欠点や性格的な不一致が目に見えてくる。

すさまじく気分屋だったり、わがままだったり、私を騙して金を引き出すことだけを考えていたり、冷酷だったり、自分本位かつ自己中心的であったり、会話が浅かったり、何か裏があったり、何でも他人のせいにしたりする性格だと、もはや外見が多少美しくても一緒にいるのはリスクが大きすぎる。

中には、私の貴重品や財布の中身をすべて盗んで消えていった美しい女も実際にいた。今では名前も顔も忘れてしまったが、彼女に金を盗まれたことに気づいたときの感情はよく覚えている。

「I like you」とかいいながら私をうまくおだてて、最後には金を盗んで消えていった。あのときは彼女の美しさが逆に腹立たしく感じ、しばらくは自分の感情をコントロールするのに苦労した。

それに懲りたらいいのに、私はその後も「美しい」女とかかわって、何度も同じ経験をするハメになった。

「そういうことか……」と、若かった私はやっと悟ったのだった。美しさは一時的な感情を刺激するが、それだけでは持続的な関係を築くには不十分だ。そういう当たり前のことを噛みしめた。20代の最初の数年で、私は歓楽街パッポンの海千山千の女たちを通して、それを叩き込まれた。

美しくて性格の良い女性もいるが、そうでない女性もいる。それに気づくのは何度も痛い目に遭わないとならなかった。思えば、私も歓楽街で高い勉強代を支払っていた。

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