閲覧注意
10年ほど頃、カンボジア・プノンペンで、タット・マリナという美しい女性が、付き合っていた男の妻から硫酸を浴びせられるという痛ましい事件があった。
ちょうど私がカンボジアをさまよっていた頃に現地で起きた事件だったのでよく覚えている。
それは、顔面から上半身まで体面積の43%が焼けただれる重度の火傷だった。一歩間違えれば死んでいたほどの瀕死の重傷だったが、それでも彼女は何とか生きながらえた。まだ16歳だった。
女性の身体に酸を浴びせる。それは凄絶なまでに残酷な攻撃である。
タット・マリナの被害を受けた写真を見ても分かるが、あまりの痛々しさに言葉を失うほどだ。耳などは炭化して黒焦げてしまっている。
「私はあの時に死ぬべきでした」
「私は死んだほうがよかったのだ」と絶望的に嘆いていたのを記事で読んだが、それが私の脳裏から離れなかった。別のサイトにも、私はそれを記している。
硝酸はタット・マリナの美しい髪を焼き、整った顔面を焼き、皮膚を溶かした。2リットルの硝酸が、彼女の上半身を舐め尽くしてしまった。皮膚が焼き焦げる苦痛に気絶から覚め、彼女は絶叫を上げて苦悶した。そんな姿を見て、暴漢たちは逃走した。
この凄まじい凶悪な事態にどう対処していいのか分からず、まわりの人々は呆然と苦しみのた打ち回る彼女を為す術もなく見ていたようだ。硝酸のかけられた箇所は、最初は白くなり、それから赤く膨れ上がったという。
後にインタビューを受けた彼女は、泣きながらこう言った。「私はあの時に死ぬべきでした」
しかし、彼女は奇跡的な一命を取りとめた。彼女の激しく深い火傷は、第3度レベルのものである。つまり、皮膚層のすべてが損壊してしまったのだ。
一年経った現在、彼女はベトナムの病院に収容され、いまだに個室で集中治療を受けている。彼女の頭・ 首・ 後部・ 胸、 および手首は硝酸によって、ほとんど回復不可能な損傷を受けてしまった。
耳朶は手術によって切除され、唇は膨らんだままにされている。鼻孔は閉じてしまわないようにプラスチックのチューブが挿入された。
いまだにタット・マリナは焼けた皮膚の苦痛にうめき、カンボジアの暴力にとめどもない涙を流している。
アシッド・アタック(硫酸攻撃)
タット・マリナの事件を見ていて思ったのは、自分が生きている世の中とは、こんなにも残虐な世界なのかということだった。
人間という生き物が自分の理解を超えるほどまで残酷になれることにも底知れぬ恐怖を感じた。
女性に対する暴力についてはすでにタイの売春地帯での監禁からカンボジアの売春地帯での収奪まで見てきていたが、このタット・マリナの事件で、女性が受けている「激しい暴力」に私は強く関心を持つようになった。
もう私はずっとアジアの女性と一緒にいたので、彼女たちに振るわれる暴力が自分の痛みのような感受性になっていたようだ。
私はその後から東南アジアからインド圏に旅の軸足を移していくことになるのだが、そこで私はインド圏の女性たちが信じがたい暴力の中で生きていることを知ることになった。
そこでは、女性たちが次から次へと酸で顔を焼き潰される事件が起きていたのである。それも一国ではなく、数カ国にまたがって流行していた。
アシッド・アタック(酸攻撃)とそれは言われる。
インドでも、バングラデシュでも、パキスタンでも、アフガンでも、当時は1年に100件以上もアシッド・アタックが起きているのが現地でも報道されていた。
事件のたびに写真も確認したが、その残虐性は見るに耐えないものでもあった。
しかし、私が驚いたのは、報道されたそれが氷山の一角でしかなかったということだ。アシッド・アタックは、どこでも当たり前に見られる「珍しくない事件」だったのである。
硫酸がいくらでも安く手に入る
そして、バングラデシュで私もまた実際にアシッド・アタックされた何人かの人々と出会っている。ひとりは女性、ひとりは男性だ。
女性は背中が焼け爛れたままケロイドになって固まっていた。男性のほうは頬の皮膚が溶解して垂れ下がったまま固まっていた。男性のほうはビデオに撮って残している。
当時、このアシッド・アタックがバングラデシュやインドでは流行していた。男が攻撃されることもあったが、ほとんどの被害者は女性だった。
1995年からそれはインド圏で流行を見せるようになって、2000年に入る頃にはバングラデシュだけで1000件以上ものアシッド・アタックが起きていたが、有罪判決にまで至ったのはたった20件だった。
当時のカレダ・ジア首相は「これらの硫酸事件はバングラデシュの恥だ」と激怒して、罰則を厳しいものにしたが、それでどうなったのだろうか。
たしかにアシッド・アタックは下火になったが、いまだにそれは続いている。先日も交際を断られた男が、自分の名誉を傷つけられたとして女性の顔面に硫酸を浴びせて逮捕されている。事件は連綿として続いている。
硫酸は自動車工場から簡単に安く手に入るからである(今は非合法になったようだ)。
インドでもアシッド・アタックが当たり前に存在すると書いたが、インドのコルカタのあるスラム売春地帯の中に自動車解体工場があるのを私は確認している。
深刻な諍いが起きたとき、硫酸がいくらでも安く手に入る。それで何が起きるのかは火を見るよりも明らかだ。
アメネ・バーラミ。19回も整形手術
最近、話題になったアシッド・アタックの事件はイランのものだ。事件は2004年にアメネ・バーラミという女性が、マジッド・モヴァヘディという男の求婚を断ったことから始まっている。
男はプロポーズを断られたことに腹を立てて、アメネの顔に硫酸を浴びせ、彼女は容貌と視力を失った。
マジッド・モヴァヘディは逮捕されて有罪になるのだが、イランはシャリーア(イスラム法)があるので、刑の執行は「女性が男の目に硫酸をかけて失明させる」というものだった。
それが物議を醸し出していた。
人権団体があまりにも非人道的すぎるとして刑の執行を中止を求めたのだが、イランの裁判所はこれを強行しようとした。「数週間以内に刑は執行される予定だ」
しかし、イラン政府はしばらくして態度を変えて刑を延期した。
実際のところは分からないが、この当時はちょうどアメリカがイラン攻撃をする口実を探していたこともあり、この残酷な刑によって欧米の世論がイラン攻撃に傾くのを阻止したかったせいもあったと言われている。
しかし、再度刑の執行が行われようとしたとき、今度は被害者のアメネ自身が男を許すことにして刑の執行が中止された。
彼女はすでに19回も整形手術を受けているが、今後もさらなる手術が必要になる。
宗教が極限まで男性優位を増長させた
アシッド・アタックではないが、この中東圏・インド圏の女性に対する暴力は苛烈なものが多い。
恒常的なドメスティック・バイオレンスは当然で新聞沙汰にもならない。
暴力がエスカレートすると、鼻を切り落としたり、顔面をナイフで抉ったり、燃やしたり、女性の容姿を崩壊させるような事件が次から次へと起こる。
こういった事件を見ていくと、いったいなぜこの地区に限って、このような事件が起きるのかと考えてしまうが、すでに原因は分かっている。
イスラム教やヒンドゥー教の根底にある家長主義・男尊女卑・保守思想である。宗教が極限まで男性優位を増長させ、反発する女性を許せない。
だから、暴力でモノを言わせるのだ。神の名において、女は家畜のように従わなければならないと思い込んでいるのである。
それなのに付き合いを断ったり、プロポーズを断ったり、口答えしたりすると、男は家畜の分際にプライドを傷つけられたと思って激しい憤りを持つ。
男が傲慢になる素地がそこにあって、規格に合わない生意気な女を黙らせたいのだ。だから「男に逆らうと、どういうことになるのか」という他の女に対する見せしめもあって女を破壊する。
女性に酸を浴びせて顔を損壊させる事件の裏に何があるのか。それは「見せしめ」である。
アシッド(酸)は、女性がもっとも大事にしている容姿を一瞬で破壊することができる。女は苦しみ、もだえ、そして二度と容姿が復活することがない。
そして、多くの女たちが被害者の惨状を見て、もう萎縮して口を開くことはない。イスラムの女は、同じ宗教の中で生きている被害女性のことを国境を超えてよく知っている。
イスラムの女性たちにとって、彼女たちに起きた身の毛もよだつような惨劇は、まさに親しい友達が遭遇した悲劇のように切実感を持って捉えている。
当然だ。イスラムの女性はみんな同じ境遇にある。明日は我が身だと分かっているのである。
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