最近、開き直ったかのような「太った人たちの美」が強調されるようになってきている。同時に「オーバーサイズ」という言い方の一般化が試みられている。オーバーサイズは肥満とか過体重の最新の「言い換え」である。
リベラルの人間が積極的に言い換えをしているので、もしかしたら今後は「肥満という言い方は差別」と認定されるかもしれない。それくらいの勢いで肥満・過体重をオーバーサイズという言い方に換える運動が広がっている。
そして、オーバーサイズの認識に対しても変化を求めていて「オーバーサイズは美しい」「スラリとしたモデルばかりを持てはやすのは差別」と、オーバーサイズ肯定と賞賛の運動も進められている。
オーバーサイズを肯定させる動き……。それは意図的なものだ。気づいている人は薄らと気付いているが、それはリベラル的価値として組織的に進められている。
最近、アメリカのあるミス・コンテストは大波乱だった。ブライアン・グェンという人物が優勝したのだが、ブライアンという名前から見ても分かる通り、この19歳の人物はトランスジェンダーであった。
しかも、かなりの過体重《オーバーサイズ》であり、これまでの人々の「常識的な美の基準」からは大幅に外れていた。
リベラルの人たちは「これぞ多様性だ」と結果に賞賛していたのだが、普通の人たちは「女性でもなく、しかも体重が一般的でもない」として、この結果に大きな不満を表明している。
確かにこの結果はほとんどの人は違和感を抱くものであった。しかし、この結果に異議を唱えると「オーバーサイズの人を差別している」「レイシスト」という話になってしまうのである。
かなり強引な「押し付け」なのだが、オーバーサイズ賞賛運動はマスコミが先行してやっているので、あと10年もしたら「オーバーサイズも美しい」という概念は若者を中心にして定着しているのかもしれない。