悲劇は突然やってくる。前触れなどまったくない。この日もそうだった。
まだ堕落の街が堕落を剥き出しにしていた一九九九年頃、健在だったライブ・バーに寄ってみようと考えた。かつてはライブ・バーも、その頃は行かなくなっていた。しかしどういうわけか、その日は無性に寄ってみたくなった。
パッポンのハードコアと言えば、二階のライブ・バーになる。一階のゴーゴーバーが決してバタフライ(ビキニの下)を脱ぐことはない。しかし、二階はオールヌードで踊り狂い、性器を使ったさまざまなショーが繰り広げられている。
それが好きだというよりも、その退廃の雰囲気が好きだった。
かつては男女によるセックス・ショーまでもが公然と行われていたが、こちらの方はたび重なる警察の手入れによってすっかり自制されてしまっていた。
まだセックス・ショーが隆盛を誇っていた一九八〇年代の後半。二階のライブショーには立錐の余地もないほど男たちが詰めかけて、燃え上がるような熱気にあふれていた。
かつてのパッポンは一階のバーは単なる休憩所で、本当のお楽しみや狂態はすべて二階のライブ・バーにあった。
美しい女も楽しい女もぶっ飛んだ女も、すべてはそこに集結していた。一階はパッポン初心者専用のコーナーで……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア タイ編』にて、全文をお読み下さい)
切ないですね。
寝るつもりはなくても、ペイバー代だけ払って帰るという友達がいたのを思い出しました。
ガウ