◆ヤワラーの荒んだ旅社で知り合った貧しい女性と赤ん坊

◆ヤワラーの荒んだ旅社で知り合った貧しい女性と赤ん坊

タイ編
2011年3月末に私は日本を出て台北に行った。そして、4月の初めに台北からバンコクに向かった。

そのチャイナ・エアラインの中で、私は必死で吐き気をこらえていたが、とうとう我慢できなくなってトイレで吐いた。

今まで何十年も飛行機に乗っているが、飛行機の中で気分が悪くなって吐くのは初めてだった。

憔悴した顔と入国審査

最近は気分が悪くて吐くのはしょっちゅうだからそれはいいが、たかが数時間の飛行機ですら我慢ができない自分に動揺した。

台北で大人しくしていれば良かったのかもしれないが、どうしても勝手知ったタイに行きたいという気持ちを抑えることができずに、体力的な無理を承知でバンコクに向かっていた。

タイの歓楽街をうろうろしたいという気持ちはまったくなかった。バンコクでもコラートでもどこでもいいから、できるだけ夜の街とは関係のないところにいて静かにしたかっただけだ。

今回は夜の女とは関わらないというのが私の固い決意だった。

これほどまで体調が悪いのにそこに荒淫まで加わると緩慢なる自殺と同様だ。絶対に私はそれに関わるべきではないし、今の体力では最初から歓楽街をうろつき回るのも無理だろう。

狭いトイレの中で鏡をのぞきこむと、自分の顔に内臓を悪くしている病人独特の目の下の濃い隈(くま)がはっきりと刻まれている。

顔色も驚くほど悪い。憔悴しきっている感じだ。

また、ずっと頭痛に苦しみ続けているせいか、もともと人相が悪いのにさらにひどい様相になっていて、「これはひどい」と我ながら思わずにはいられなかった。

そんな怪しい男が機内をよろよろと歩いているのだから、さぞかし周囲の人間も気味が悪かったはずだ。

スワンナプーム国際空港に到着したのは例のごとく真夜中だったが、入国検査では尋問のようにいろんな質問をされた。どこから来たのですか。なぜ気分が悪いのですか。タイに来た目的は何ですか。麻薬は持っていませんか。

麻薬と言われたとき、私はぶっきらぼうに”No have”(持っていない)と答えたが、それからかなりの沈黙があった。

そのとき、自分が病人ではなく、麻薬中毒者と間違えられる可能性があることにも気がついた。しかも、かなり疑われている。

しかし、どう弁解していいのかも分からずに私は黙り込み、入国審査官もまた私をじろじろと見つめながら、どうしたものかと考えていたようだった。

今までタイに入国できないかもしれないなど思ったこともなかったが、このときは冷や汗をかいた。しかし、かなり怪しまれながらもスタンプを押してもらえた。

私は安堵してパスポートを受け取り、何とかタイに入国したのだった。

2つのホテルを門前払い

タクシーに乗る前に、”Where are you going?”(どこに行きたいんだい?)と尋ねられて私は無意識にスクンビットと答えたが、思い直してヤワラーと言い直した。

スクンビットは馴染みのホテルがたくさんあるが、あまりに歓楽街に近すぎる。

今回は女と戯れるつもりはないし、なるべく誘惑から逃れたかった。念を入れて堕落を自分から遠ざけたかった。

ところが、ヤワラーについて適当なホテルにチェックインしようとすると、フロントの男はじろじろと私を見つめたあげくに「部屋はない」と言い始めた。

この時期のこの中規模程度のホテルが満室(フル)だというのは信じられない。

明らかに私の死人めいた顔や危なっかしい歩き方や弱った声に、危険なものを感じたのだろう。もしかしたら自殺されると困るとでも考えていたのかもしれない。

金はあると言ったが無駄だった。

久しぶりにタイに来たのに、しょっぱなから拒絶されるような態度に接して気も萎えた。ホテルなどどこにでもあるので別のホテルに向かったが、そこでもまた私は断られるハメになった。

こちらでは、私をちらりと見ただけで、二度と私に視線を合わせようとしないほど徹底した拒絶である。

こんなに冷たい接客されたのはそう何度もないが、体力のないときはことさらその冷たさが心に染みた。

2つめのホテルを門前払いされたあとに「弱った犬は叩かれる」というのは本当のことなのだなと私は身を持って実感した。

病人・自殺志願者のような雰囲気の客・麻薬中毒者のように見える客は、最初から断る方針なのだろう。ホテル側としては当然の処置なのかもしれないが、病人にはつらい状況ではある。

寝るところがないまま、静まり返った街に立って途方に暮れてどうしようかと考えた。

本当はそこそこ安くてエアコンと清潔なシーツのある部屋で眠りたかったが、そういうホテルが飛び込みで断わられるのであれば、今の私を受け入れてくれるのは旅社(華僑経営の安宿)しかない。

旅社はどんなヤバい人間でもカネさえ払えば誰でも受け入れてくれる。

ぼったくりと化しているトゥクトゥクに目をつぶって100B払ってヤワラーからパフラットに入り、適当な旅社の入口をくぐった。

フロントらしき場所では、シャツを腹までまくった男が台に足を上げて眠りこけていたが、その雰囲気に私は安堵した。私よりも胡散臭いのだから、私を追い返すとも思えない。

男を起こして”One night”(1泊)と言うと、男は面倒臭そうに起き上がってじろじろ私を見たあと、”200baht”(200バーツ)とだけ答えた。

金を払うと、男は背後の壁のフックから適当に鍵を取ってテーブルに投げてよこした。ひとりで勝手に部屋に行け、ということらしかった。パスポートを見せろとも言わなかったし、Paid(支払済)のレシートもなかった。

夜泣きする子供。みすぼらしい女

荒んでいた。廊下も埃だらけで廊下の照明も壊れているので自分の部屋がどこなのかも分からないほどだった。

暗闇の中で赤ん坊が激しく夜泣きしているのが聞こえてくるが、泣きやむ気配もない。私の部屋は子供が泣き叫んでいる部屋の廊下を挟んだ真向かいであることに気がついた。

旅社はほとんどそうだが、部屋の上部は換気と熱逃がしのために、筒抜けになっていて密室にはなっていない。だから、部屋の中の音は完全に外に漏れるのである。

ヒステリックな子供の泣き声は耳をつんざくほどだったが、親が介抱している気配は感じなかった。気にはなったが、それよりも私は自分の体力のほうが限界だった。

鍵を閉めてベッドに身体を投げ出すと、もう私は睡魔に襲われてそのまま深く寝入っていった。赤ん坊の泣き叫ぶ声を不吉な子守唄にして、私はそのまま眠りに落ちた。

起きたのは翌日の昼ごろだった。

部屋が蒸し暑くて気が狂いそうだったので天井のファンを回そうとしたが動かなかった。

建物の外の喧騒がそのまま部屋に入り込んできていたが、よくよく見ると窓は全開になっていて破れた網戸がひらひらと風に揺れていた。窓は開いたまま錆び付いていて動かすことすらできない。

部屋は想像以上に古くて粗末で場末を通り越している。壁にはアリやヤモリが這い回っているのが見える。アリはベッドの上にも上がってきていたので私はそれを払って溜め息をついた。

浴室兼トイレに行くとタイ式のもので、しかも公衆トイレ並みに汚れており、カビと汚水の臭いがひどい。200バーツと言われたが、本当はもっと安いのかもしれない。

私は全裸になって浴室で水を浴びたが、気がつくとバスタオルもなかった。そういうところだった。

しかし、他のホテルを捜し回る体力はまだないので、私はあと数日ここに泊まることに決めた。

部屋代を払うために部屋を出ると、廊下にはよちよち歩きの2歳ほどの幼児が下半身裸のまま座り込んでいる。昨日、夜泣きしていたのはこの子だったのかと思いながら廊下を横切って階段に向かった。

すると、階段の踊り場にはひとりの若いタイ女性が座り込んでタバコを咥えていた。

物憂げな顔をしていた。化粧っけのないゴツゴツとした顔、ぼさぼさの髪、荒んだ目つき、痩せた身体、よれよれになった古いTシャツ。

彼女は振り返って私を見たが、興味なさそうに顔をそらして挨拶もしなかった。タイ女性がここに泊まるのは、田舎から出てきたからだ。

恐らくイサーン(東北)あたりから出稼ぎか何かでやってきた女性なのだというのは想像がついた。

私はさらに一泊分の金を払い、近くのコンビニでお菓子と水を買って宿に戻り、それからまだタバコを吸っている若い女に買ったばかりのお菓子を渡した。

“For baby.”(子供に)

私がそう言うと女は驚いた表情をして私を凝視していたが、やがてそれを受け取って”Khob khun”(ありがと)とぶっきらぼうに言った。

子供も相変わらず廊下で無邪気に遊んでいたが、私はじゃれて遊ぶ気力もなかったので、そのまま自分の部屋に潜り込んでベッドに倒れ、ただ息を吸って、吐いて、また意識を失うように寝た。

貧しい女が夜に出かける理由

目が覚めたのは部屋の外で男と女が激しく言い合っている声と、赤ん坊の叫ぶような泣き声が聞こえてきたからだ。私はベッドから半身を起こして耳をすましたが、タイ語の罵り合いが私に理解できるはずもない。

女はあの廊下でタバコを吸っていた母親に間違いない。男は誰だか知らないが、怒鳴りながらも怒鳴り返される女に負けているのは雰囲気で分かる。

唐突に静かになって、また赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。それから、それもやんで外の喧騒だけになった。外も相当な騒音だったはずだが、男女の罵声がやむと静寂に感じるのは不思議なものだ。

夕方、私は部屋を出て久しぶりのタイ料理を屋台で食べて、またセブンイレブンでお菓子と水を買って旅社に戻った。あいにく女はおらず、赤ん坊の泣き声もしなかった。

私は彼女の部屋をノックしようかどうか迷ったのだが結局ノックした。

部屋には気配がなかったので誰もいないのかと思ったが、やがて着替えるような物音がして、ゆっくりとドアが数センチ開いた。

女が片目でこちらをのぞきこんでいたので私がまたお菓子を渡すと、女はそれを受け取るために、さらにドアを開いた。

そのとき彼女の部屋のベッドに上半身裸の男がこちらをじっと見ていることに気がついた。

タイ人にも中国人にも見えたが、どちらかはよく分からない。私は何も気がつかないふりをして、彼女にまた「赤ん坊に」と言ってお菓子を渡す。

彼女はまた「コップン(ありがと)」とぶっきらぼうに答えてそれを受け取りすぐにドアを閉めた。

しかし、私はそれで彼女が何をやっているのか、すべてを理解した。

昨日、真夜中に赤ん坊がいつまでも夜泣きしていたのもなぜなのか分かった。あの夜、彼女は赤ん坊を放置したまま外に出かけていたのだろう。

貧しい女が夜に出かける理由はなぜか。半裸の男がベッドにいる理由はなぜか。私が廊下を歩くとなぜ気配を隠したのか。

売春しかない。

彼女がノックしてくる確率

子供を抱えて困ったようにタバコを吸う美しくもない女性が孤立無援で売春稼業をしているが、とにかく困窮しているのは傍(はた)からも見て取れた。

ならば、それは時間の問題だった。

彼女は間違いなく、私のドアをノックしてくるはずだ。それは遅いか早いかの違いだけでもはや確実だ。まして、彼女は自分が何者なのかもうバレていると思ったはずだった。

ただ、私は彼女自身に興味を示していない。彼女の赤ん坊に興味を示しているだけだ。だから、彼女は私に営業をかけていいのかどうか迷っているはずだった。

私が明らかに体調の悪い病人であることも彼女をためらわせているだろう。売春女性もまたホテルのフロントと同じで、病人・自殺志願風・麻薬中毒者は嫌う。

何でも確率を計算する癖のある私は、彼女がノックしてくるか来ないか、その確率を計算していた。

難しい賭けではないように思えた。困窮している美しくもない売春女性にはとても選択肢が少ない。早くて今日、遅くて明日にでも彼女は私に売春営業をかけてくるという方に私は賭けた。

それはいいのだが、私は売春する女たちから逃れるために、わざわざスクンビットを外してパフラットを選んだのではなかったか。それなのに、彼女に来られたら全然意味がない。

もし彼女が来たら、まったく売春女性と縁が切れていないということになる。彼女が来たら、彼女が望む金を渡して、少し話をして帰すことにしようと考える。

そんなことを考えながら、タイの薄汚れた旅社のベッドで汗に濡れた身体を横たえていたが、ノックは思ったよりも早かった。

ドアを開けると、子供を抱えた彼女が少し緊張した面持ちで廊下に立っていたので私は彼女を招き入れた。

欲しければ上げる

彼女はまったく英語が分からず、私は久しぶりにタイにやってきて、ほとんどのタイ語がうろ覚えで思い出せなかった。

それでも何とか私たちの会話は成り立って、10分も話さないうちに私たちは”Puan”(友達)だと互いに言うようになっていた。

2歳の赤ん坊は無邪気に笑っていて、私が「かわいいね」と顔を撫でると、彼女は「欲しければ上げる」と真顔で言った。「買ってくれない?」とも言った。

それは冗談だったのかどうか私は未だに分からない。しかし、私が「欲しい」と言ったら、彼女は間違いなく子供を置いていっただろう。そんな雰囲気があった。

タイに限らず東南アジアでは、いまだに生体腎移植の臓器売買目的で子供がよく売られたり誘拐されたりするケースがある。

今私の目の前にいるかわいらしい子供も、ギリギリの状態で生きている母親がそれを決めたらその運命から逃れられない。私に「欲しければ上げる」というくらいだから何が起きてもおかしくないのだ。

この子がそうなるかどうかは、この母親にかかっているが、今の彼女なら何でもやってしまうような気もした。

子供を売ったり捨てたりすると彼女は当然だが批判される。では彼女を助ける人が今いるのかと言われれば、どこにもいない。

圧倒的な孤独感と窮乏の中で女性が何を選択するのかを完全に無視しておいて、女性が間違えた選択をしたら自らは安全な場所で「女性は間違っている」と責めるのが世間だ。

彼女がそんなワナに落ちなければいいのだが、確率は五分五分だろうと私は心の中で思った。

しばらく話をしていると、彼女は”Massage, you”(マッサージしてあげるわ)と私に言った。

“feel, no good”(気分が悪いからいいよ)
“Massage, good”(マッサージ、気持ちが良くなるわ)
“Tao rai krap?”(いくら?)
“200baht”(200バーツよ)

私の決意を粉砕する女

私が了解すると、彼女は立ち上がって子供を向かいの部屋に連れて行き、しばらくして戻ってきた。

彼女は私に上半身を脱ぐように言って、それから私をうつ伏せにすると、足の裏から本当にマッサージをするのだった。

それは年季が入ったもので、私は彼女がそういった類の店にも勤めていたことがあることも悟った。

もっとも、気分が悪いときにマッサージをされてもまったく心地良さはなく、私は適度に切り上げて彼女に帰ってもらうことを考えていた。

そうしている間に彼女のマッサージは徐々に上に上がってきて、やがてマッサージがやりにくいから下も脱いで下着だけになってくれと私に言う。

私が「気分があまり良くないから」と終わらせて金を払おうとすると、彼女は”No, No!”(まだ。まだよ)と慌てて私をとめた。

それから私のズボンを脱がせて私をブリーフだけにすると、彼女は足の付け根を抑えて血液の流れを抑えては開放させるトラディショナル・マッサージを始めるのだった。

女性が、半裸になった男の股間だけを見つめながら、その周囲を執拗にマッサージしているが、それで何を誘っているのかはもちろん私も理解していた。

やがて、彼女は私を見つめて”400baht, Bombom, O.K.?”(セックスは400バーツでいい?)と尋ねてきた。

やれやれと私は思う。

売春地帯から逃れてここに来ているのに、翌日にはもう私の部屋には売春女性がいて、有無を言わさず私を誘っているのだった。

しかも、最悪の体調、最悪の気分の中でそれは行われていた。今回は夜の女とは関わらないと決めたのに、タイに着いたその翌日に彼女は私の決意を粉砕しようとしていた。

ヤワラーの裏通り。再開発の波に乗り遅れたこの地区は、今も古い建物がたくさん残る路地がある。

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