ジャカルタの北部コタの街は真夜中になると怪しげな男たちが溢れ始める。
肩を怒らせて歩くギャング、野放図なチンピラ、ぼったくりタクシーの運転手、高級外車に乗ったマフィア、ドラッグに飲まれた中毒者、そして何者なのか分からないヒマを持て余しているような男たち。
ディスコの前には煙草売りの若者がたむろして、タクシーでやって来る男たちにまとわりついて何とか煙草を売りつけようとしたり、帰ろうとする客を強引に仲間のぼったくりタクシーに乗せようとしたりしている。
そんな男たちを横目で見ながら、この見知らぬ街をゆっくりと歩く。コタの街は広い。零時を過ぎた真夜中にあちこち歩いていると、方角を見失って自分がどこを歩いているのか分からなくなる。
闇にぼんやり浮かぶ建物の中には、1998年5月の暴動でめちゃくちゃにされたまま残されているものも多かった。不気味だった。
まさにここは暴虐の嵐の吹き荒れた「崩壊の街」だった。コタの街を支えていた中国系の人々は略奪と暴行に見舞われてジャカルタを捨てて逃げてしまった。
そして、一度逃げた人々がこの街に戻って来る可能性は限りなく少ない。当時の暴動は、中華系の人々に修復不可能なほどの深い傷を負わせてしまったのだ。
しかし、この街はゴーズト・タウンではない。どこにも逃げる当てもなくインドネシアに残った中国人もいるし、インドネシア人も多く住む。
コタはチャイナ・タウンであり、歓楽街でもあったが、歓楽街という要素は中国人が激減した今も変わらないようだ。コタのホテルの多くはコーヒー・ショップやパブに女性を詰め込んでいる。
ネオンのぎらつく何らかの店(ディスコであったり、カラオケであったり、パブであったりする)にフラフラ入ってみると、大抵は売春女性を……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア』。本編に収録できなかった「はぐれコンテンツ」を掲載。電子書籍にて全文をお読み下さい)
これはいつの出来事でしょうか。
1999年あたり?
コタ、まだまだアツい街です。
レシーとのやりとり、にやりとしてしまいました。
ウムルニャブラパ いくつ?
チャンティックスカリ!可愛いね!
ナマアパ?名前なに?
ブルアサルダリマナ 出身どこ?
エナッ!気持ちいい
アクチンタカムゥ 好きだよ
この拙いネシア語で、嬢と何となく意思疎通を図っています。
コタに残ってる売春地帯と言えば線路脇ですが、15万ルピアです。ロングはあるかわかりません。
自分は念の為リマブラス(15)?と値段を確認してから入ってます。
千人規模の女たちがひしめき、爆音ダンドットが漆黒の闇を切り裂く中、ギラついた男たちがさまよい歩くコタの売春地帯。
ああ、早く舞い戻りたいです。