フィリピンへの道。2005年3月15日、絆が断ち切られていた

フィリピンへの道。2005年3月15日、絆が断ち切られていた

「フィリピンの女というのは、ひまわりだね」と私に言った男がいる。

日本人女性と違って、ひまわりのように|燦々《さんさん》と明るいという意味だ。いつも太陽を向いて明るく大きな花をつけているような、そんなイメージがするフィリピン女性を愛する日本人は多い。

底抜けの明るさ、自由奔放な振る舞い、信心深く家族思いな性格……。

フィリピンは、一九九〇年代にフィリピンパブが勃興する前から日本人の男たちとの関係も深いことがよく知られていた。

一九七〇年代がセックス・ツアーの行き先がフィリピンだったことを覚えている人も多い。

フィリピンのイメージが売春に染まっていったのは一九七三年からだ。外貨獲得を狙ったフィリピン政府の方策と、フィリピン女性をネタにして男たちを誘致しようとする旅行会社の企画が一致したからである。

この年一九七三年から、大手のツアー会社の企画するパッケージ・ツアーで日本人の男がフィリピンに行くようになった。その手には、高度成長期に乗って手に入れた金が握られていた。

この男たちの目的はただひとつ、フィリピンの女たちである。

一匹狼のハイエナが入り込んでいたのではなく、団体旅行者がいきなり入り込んだ。大手ツアー会社が企画して、農協団体の慰安旅行や大企業の社内旅行にフィリピンを|勧《すす》め、そして現地では女性たちをセッティングした。これは当時の性道徳からしても、かなり目立つものだった。いつしか、このツアーは公然と「セックス・ツアー」と呼ばれるようになっていった。

このセックス・ツアーは数年後にフィリピン国内でも問題になり、国内外で大批判されることになった。それもそうだ。農協団体がホテルのロビーで大声を上げながら女性を捕まえて部屋に連れていき、「あの女は良かった、この女は悪かった」とホテルのロビーや飛行機の中で大きな声で批評するのである。

この傍若無人《ぼうじゃくぶじん》な振る舞いに当時の大統領夫人イメルダが激しく激怒して……

(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア フィリピン編』にて、全文をお読み下さい)

『ブラックアジア・フィリピン編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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