日本人女性が、アフガニスタンの女性たちを見て危機を覚えないといけない理由

日本人女性が、アフガニスタンの女性たちを見て危機を覚えないといけない理由

タリバンを見ても分かる通り、彼らにはいまだ人権意識が低くて「女性は男の所有物」扱いなのだが、人間の歴史から見るとむしろタリバンの風習のほうが主流であったとも言える。人類の長い歴史の中で、「人権時代」はここ数十年のことだと言っても過言ではない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

人権や男女平等という「概念」は当たり前のものではない

2021年8月15日、カブールは陥落した。アメリカが撤退していく中で、タリバンは再び蘇ったのだった。アメリカはアフガニスタンを民主化することに失敗し、この国は再びタリバンの「イスラム原理主義」に覆われることになっていった。

すでに女性たちは職場から追い出されて家に押し込められている。学校では再び男子生徒と女子生徒が分けられた。同席の教室ではカーテンが引かれて、教室の一室に押し込められることになった。

「タリバンは以前と違うのだ」と主張するイスラム学者もいるのだが、私はまったくそう思っていない。タリバンは9月4日には私立大学に通う女子学生に対して「ニカブを着用すること」という命令をも出している。

時間が経てば経つほど、タリバンの女性蔑視は加速していく。

こうした現状の中、現代の先進国の女性が覚えておかなければならないことがある。それは女性が自由に物を言えるようになったのは、ごく最近のことだということだ。

人権や男女平等という「概念」は当たり前のものではなく、これからも維持できるかどうかも分からないものだ。信じられないかもしれないが、時代はいつでも現代のアフガニスタンのように暗黒地帯へと逆戻りすることもあり得る。

人権や平等概念など考慮されない「暗黒の世界」に戻ることすらも「絶対にない」といは言い切れない。

かつて人間は、戦争に負けた民族を「奴隷」として売買していた。1800年代でも、まだ世界中で人間が売買されていた。そしてその当時は、世界中のあちこちで、女性も性奴隷《セックス・スレイブ》として売られていた。

女奴隷を買ったら、レイプしようが殺そうが転売しようが、ご主人様の勝手だった。奴隷の所有権は、すべて買った人間にあったからだ。そういう時代が来ないとでも?

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人間は、人権という概念をつい最近になって思いついた

アメリカでリンカーン大統領が奴隷解放宣言をしたのは1862年だが、それ以降も世界中で実質的に奴隷制度は続いていた。

欧米は植民地を持っていたが、この植民地時代では現地の人たちが列強諸国の「奴隷」だった。この欧米の列強諸国が植民地を次々と手放すことになったのが1945年以降だ。それまでは植民地の人たちが奴隷扱いされていた。

そう考えると、奴隷制はごく最近まで当たり前だったとさえ言うこともできる。

これは何を意味しているのか。人間は「人権という概念」を、本当に最近になって思いついたということだ。人類の長い歴史の中で、「人権時代」はここ数十年のことだと言っても過言ではない。

タリバンを見ても分かる通り、彼らにはいまだ人権意識が低くて「女性は男の所有物」扱いなのだが、人間の歴史から見るとむしろタリバンの風習のほうが主流であったとも言える。

欧米先進国で人権が重視され始めたのが、アメリカの公民権運動以後、すなわち1960年代からだとすると、このように考えることもできる。

「人類が誕生したのが500万年前」
「やっと人権意識が根付いたのは60年前から」

500万年前から60年前までずっと、人類は「人権」という概念を理解していなかった。まして、女性の人権という意識もなかった。男女平等は1970年のウーマンリブの運動でやっと定着したのである。

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高齢者、子供、女性。「最も弱い者」が最も大きな被害に

人間社会は戦争の歴史であり、現在も世界中で武器弾薬が満ち溢れている。日本にいるとあまり感じないが、世界を見回すと常にどこかで戦争が起きていたり、内戦が起きていたり、紛争で殺し合いをしている。

人類は殺し合いをやめられない。いずれ国際紛争がこじれて巨大な戦争が起きる。日本も巻き込まれるような戦争が起こるだろう。そうなれば、今の人権を柱とした社会秩序など吹き飛んでもおかしくない。

社会秩序が崩壊していく時は、「人権時代」「平等社会」も同時崩壊していく。巨大な破壊で法治体制が崩壊したら、大混乱の中で暴力が台頭して人権も平等も踏みにじっていくのは目に見えている。混乱は常に物理的な暴力をもたらす。

1960年代以降の先進国の人々が当たり前に思っている人権が、暴力の時代に入った途端に危機に陥る。

そうなると、当然のことながら「最も弱い者」が最も大きな被害を受けるというのは誰でも分かる理屈だろう。高齢者、子供、そして女性が一気に弱者となる。高齢者は「役に立たない」と見なされて殺される。子供は奴隷として連れて行かれる。

女性はどうなるのか。

女性の人権はなくなり、暴力の時代の勝者の戦利品の扱いとなる。それは別に不思議なことでも何でもない。今まで人類はそうやって女性を「戦利品」として扱ってきたのだから、暴力の時代になればいつでもそれが復活するのである。

タリバンもカブールを陥落してからすぐに、少女たちに強制結婚を強いている。戦闘で夫を失った女性も、タリバン戦闘員の妻にされている。それに逆らうことなどできない。逆らえば妊婦でさえも殴り殺されるのだ。

暴力がモノを言う社会がやってきた時、女性がどう扱われるのかリアルタイムで私たちは見ている。

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時代が変転したとき、一瞬にして女性が危険になる

人権意識が高まって最も自由を享受するようになったのは、かつて奴隷だった人たちだ。しかし、同時に大きなメリットを得たのは「女性」でもあった。

1960年以降のアメリカの公民権運動、1970年以降のフェミニズム運動で、女性の地位は飛躍的に向上した。

女性は言いたいことが言えるようになり、職場でも男性と対等に仕事ができるようになり、欧米では女性幹部や女性CEOも珍しくなくなった。

腕力や暴力がモノを言う時代ではなく、知力や才能がモノを言う時代になると、女性にもチャンスが生まれてきた。だから、先進国に生きている現代の女性は、人間の歴史の中で最も恵まれた時代に、恵まれた場所にいる女性だと言うこともできる。

「現代の女性たちは、あまりにも強くなりすぎて逆に男が虐げられている」と嘆く男たちもいる。しかし、それは平和な社会の中だけだ。

アフガニスタンの女性は「女性が強くなった」など、まったく思わないだろう。絶望的なまでの男尊女卑の中で、女性らしさを抑圧された女性たちの姿は悲惨としか言いようがない。

アフリカでも、戦闘が続く一部の国では激しいレイプ禍が渦巻いている。国の中で暴力が渦巻くと、まるで当たり前のように女性が犠牲になっていくのである。

女性が自由に物を言えるようになったのは本当にごく最近のことで、それも「平和な国だけ」なのだ。平和が今後も続くかどうかなど誰にも分からない。時代が変転した時、一瞬にして女性は危険な世界に立つことになる。

日本女性はどうなるのだろうか。

もちろん、日本女性も例外ではない。日本が弱体化して日本人の男が国を守らなくなり、外国の軍隊に侵攻されて支配されるようになった時、日本の女性はタリバン政権下のアフガニスタン女性と同じ運命を辿ることになるだろう。

ブラックアジア
『ブラックアジア・インド・バングラデシュ編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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