ホームレスについて思うこと。自分は絶対的に無関係でそこに落ちないのか?

ホームレスについて思うこと。自分は絶対的に無関係でそこに落ちないのか?

日本の社会保障が崩壊したら、一気にホームレスの群れが増大する。「ホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?」という男は、ホームレスまみれになった日本で生きていけないに違いない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

読者の中で、路上で寝たことがある人はいるだろうか?

あるエリート意識を持った若いインフルエンサーが、このように本音を言って炎上した。

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。どちらかというと、みんな思わない?どちらかというといない方がよくないホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?」

「いない方がよくない?正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。猫はでもかわいいじゃん、って思うけどね、僕はね」

この若いインフルエンサーの言葉を報道で読みながら(この男の動画は死んでも見たくない)、なるほどこの成功した若者は、路上で転がって野良犬のように寝るような経験は絶対にないし、自分がそこに落ちるかも知れないという発想もないのだな、という一種の優生思想を垣間見た。

そういうことを考えていると、今までの人生で野良犬のように路上に転がって寝ていた時のことをあれこれ思い出したりする。

読者の中で、路上で寝たことがある人はいるだろうか。

どこかの建物の隙間で、あるいは高速道路の下で、あるいは公園のベンチで寝たことのある人はいるだろうか。ホームレスとは、それが日常になっている人たちだ。

普通の人は、路上で寝た経験のある人は少ないのではないだろうか。恐らく一度もそんなことをしたことがないという人の方が圧倒的だろう。

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朝になったときの身体の節々の痛みを覚えている

ただ、放浪のような旅をしていた人は、誰しも一度はそんな目に遭ったことがあるはずだ。そして一度でも路上で寝たことのある人は、それがどんなにつらいものなのか、文字通り「骨身に染みて」分かるはずだ。

かくいう私も、旅の途中で何度か路上で寝る羽目になった。放浪するような旅に出れば、明日の宿どころか、今日の宿すらも見つからないときが往々にある。あるいは大雨ですべての予定が狂うこともある。

そうすると、本当にどうしようもなく、異国で「野宿」する事態に陥ってしまう。

今でもよく覚えている野宿がある。タイ南部を放浪していた時のものだ。列車に乗っていたのだが、激しいスコールで列車が運行できなくなり、数時間も車内に閉じ込められ、結局降ろされて雨の中を近くの駅まで歩いて行った。

その駅にはバイクタクシーが来ていたのだが、要領の良い客が先に捕まえて行ってしまった。雨はさらに激しくなって道が川のようになり、もうバイクタクシーも来てくれなかった。結局、大勢の人たちと駅の構内で一夜を明かした。

半濡れのまま寝たが、その時の心細さや、眠りの浅さ、そして朝になったときの身体の節々の痛みを、今でも鮮明に思い出すことができる。起きようとすると、身体がガチガチに固まっていて、しばらくはうまく歩けない。

とても寝たような気分にはなれず、どこでもいいから、いくらでも金を出すから、とにかく近くのホテルに泊まり、ふかふかのベッドと、白いシーツの上で、安心して眠りたかった。

まだ若かったので体力はあったが、それでも路上で寝るとはこんなにつらいことなのかと思った。その後も、あちこちの国で、バスが来ない、飛行機が来ない、宿が取れないで、空港で寝たこともあれば、どこかの広場のベンチで寝たこともあった。

今でも、真夜中にどこかの国に入ると、街に入ってから宿が取れるのかどうか不安になることがある。もう若い頃のような体力はないし、野宿などしたくないという気持ちがあるので、なおさら不安になる。路上で寝るとは、それほどキツい体験だ。

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空港を降りて街に入るまでの区間はスラムに覆い尽くされていた

私は東南アジアの貧困街をフラフラと巡り歩いて生きていたようなものだが、そのような人生だったことからホームレスは見慣れている。

しかし、どんなに見慣れていても、路上で寝ている大勢の人たちを見ると、「つらいだろうな」と我が事のように思う。

特にホームレスの夫婦を見たりすると、本当に打ちのめされて心が離れない。

ホームレスの夫婦はバンコクでも見た。自分の妻が路上に横たわり、それを夫が少しでも暖を取れるようにとビニールをかけたりしている。そんな光景を見ると、とても痛々しくて哀しく思う。

白昼の歩道に、女性がゴザを敷いて子供と一緒に寝ている姿もある。途上国では華やかな都会の陰で、そういった人たちがいる。

フィリピンでもマニラでホームレスの母子が街の片隅で疲れ果てて眠り込んでいる姿があった。2000年前後のプノンペンでも日常だった。そして、インドでは街全体がホームレスに覆われていて言葉を失った。

私は東南アジアのスラムをずっと見てきたし、スラムで寝泊まりもしてきたので、ホームレスの集団には慣れていると思った。その私ですらも、インドの大都市であるムンバイやコルカタに入って衝撃を受けたほどだ。

どちらの都市も、空港を降りて街に入るまでの区間は壮大なスラムに覆い尽くされていた。特にムンバイはひどかった。ムンバイ郊外はアジアでも有数の広大なスラム「ダラピ」があって、まさにホームレスたちがインド中から集まっていたのである。

コルカタも空港からタクシーに乗ってずっと外を見ていると、行けども行けどもホームレスの群れである。「インドは貧しい人たちが多い」という基礎知識があったとしても、その実態を見ると想像以上のひどさに目を奪われる。

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日本の社会保障が崩壊したら、一気にホームレスの群れが増大

冬になるとコルカタは凍えるほど寒い。しかし、路上の人々は暖かい家の中で毛布にくるまって寝ることはできない。冬の夜、インドのスラムに向かっているとき、方々で木片やゴミを燃やして暖を取っている人々がいた。

火を囲んで誰もが陰鬱な顔をしていた。陽気なインド人の顔はそこにない。無口になるのは、火に当たっていても背中側が寒くてしかたがないからだろう。足を見ればサンダルに素足だ。真冬に裸足は過酷で切ないに違いない。

後進国では誰もが消費する電力の恩恵にあずかれるはずもなく、それどころか住居もない。住居がなければ、当然のことながら安全もない。そして、安全がなければ、遅かれ早かれ健康を害することになる。

「ホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?」と公言する若く傲慢な日本人インフルエンサーは、こういう光景もきっと想像できないのだろうと思う。

世界を知らない、世間を知らない、現実を知らないまま、偉そうなことを言うような人間になって、上から目線であれこれ思いついたことを言っているのだろう。

しかし、この気持ち悪いインフルエンサーだけがそう思っているのかというと、きっとそうではないはずだ。先進国の人たちは貧困に対して鈍感なところがある。それは自分たちには絶対的に無関係だという姿勢からくるものだろう。

しかし、日本が先進国とは言えども、将来も先進国でいられる保証はまったくない。すでに日本は少子高齢化で内需も停滞しイノベーションも起こせずバイタリティもエネルギーも失って萎縮するばかりの国である。

そんな中で非正規雇用者が増えて生活が不安定なまま貯金もなく生きていて、自暴自棄になって「俺はクソみたいな人生を送っているのに、幸せそうな人を見ると殺したくなる」と見境なく刃物を振り回す男まで出てくる始末だ。(ブラックアジア:対馬悠介。勝ち組や成功者に「強い憎悪」を持って見つめる人間は彼だけか?

日本の社会保障が崩壊したら、一気にホームレスの群れが増大する。

「ホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?」という男は、ホームレスまみれになった日本で生きていけないに違いない。

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『ブラックアジア・インド・バングラデシュ編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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