タクシン、9.11。2001年のタイ売春地帯で何が起きていたか

タクシン、9.11。2001年のタイ売春地帯で何が起きていたか

タイは今でも「快楽の地」であるのは間違いない。ブラジル、コロンビア、スペインと並んで、タイの歓楽街にはアルコールとセックスが満ち溢れている。

このタイの売春地帯が最大の危機に陥ったのが2001年だった。

この頃、タイは覚醒剤(ヤーバー)の蔓延と、東南アジア最大のセックス観光地という汚名は広がるばかりだった。

タイの売春地帯は、パッポンからスクンビットのナナ地区、そしてパタヤにまで広大に点在していた。

さらに北部チェンマイ・チェンライでは児童売春までが行われていた。この歓楽街を通してドラッグも、白昼堂々と売買されていた。

そこで、この2つを同時に払拭するため、時のタクシン・シナワット首相は、「ドラッグとセックスをタイから追放する」と宣言したのだった。

これが、数年に渡ってタイ歓楽街を震撼させる事態となっていった。幸いにしてこの試みは挫折したが、2001年のタクシン政権の試みが成功していたら、今はもうタイの歓楽街はきれいに消えてしまっていたかもしれない。

そんな事態が、2001年に起きていた。

しかし、どの政権も「口先だけ」だった

タクシン政権が首相に就任したのは2001年2月9日だった。

タクシン政権は、すぐに2時過ぎの深夜営業を禁止し、未成年がアルコールを飲むことも禁じて厳しく取り締まるように警官たちに指示した。

さらに娯楽店のワイロを受け取らないように厳命して、違反する店については問答無用で経営者を逮捕するという方針を打ち出した。この方針は、すぐに周知された。

本来であれば、売春地帯の経営者も蒼白になる事態だが、当初の反応は鈍かった。その理由は簡単だ。「口だけだ」と誰もが思ったからである。

時の政権は1970年代からみんな同じことを言っていた。しかし、どの政権も「口先だけ」だったのである。

タイの新聞『ザ・ネイション』では、タクシン政権がぶちあげた「クリーン作戦」は「目的を達成するのは難しいのではないか」と皮肉を書いた。その皮肉の数々は以下の通りである。

「今まで何度も取り締まりが行われたのにも関わらず効果を上げていなかったではないか」

「いくら警官に取り締まらせると言っても、店側が賄賂を渡して2時過ぎの深夜営業をしているではないか」

「いかがわしい場所に20歳以下の者が出入りすることも禁止しているが、国民の多くは18歳でアルコールを嗜むことを覚えており、今後議論の的になるに違いない」

「18歳は投票もできる『大人』であるとタイ政府は言っているのに、一方では夜に繁華街へ出かけるには成熟していないと納得させられるのか」

『ザ・ネイション』では、今回の措置が夜の娯楽産業の経営者から「自由の侵犯である」「経営に損害を与える」と抗議が上がっていることも簡単に触れられていた。

こういったことから、誰もがタクシン政権も口先で終わると見ていたのである。

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目の前にあるタイの不品行を叩き潰す方針を採った

そもそも、タイで売春地帯が大隆盛となっているのは、なぜだったのか。その原因は言うまでもなく貧困に尽きた。タイは豊かになったとは言え、経済格差は都会と地方で広がっており、それが問題になっていた。

バンコクだけを見ていると、タイの根本の部分は分からないと言う人もいる。

髪を染めて清潔な服を着た男女がバンコクのカフェテラスで友人たちと談笑している姿がバンコクにあるとすると、土や泥にまみれて農薬の害で湿疹だらけになりながら働いている娘の姿が地方にある。

現実はイサーンや北部の貧困地帯の方にあり、多くの女性たちはそんな貧困地帯からバンコクに出て来る。そして、そんな彼女たちの存在が、一大売春地帯を形成する要(かなめ)となっている。

タイにはびこる恒常的なセックス産業を減らすには、貧困問題を解決しなければならないというのは誰もが分かっていることだったのだ。

タイのみならず、売春地帯の行方を占うのは、貧困問題が解決するかどうかで決まるのだ。

しかし、タクシンは貧困問題をすっ飛ばして、まずは目の前にあるタイの不品行を叩き潰す方針を採ったのだった。

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プラチャイ・ピアムソンブーン内相は本気だった

このクリーン作戦の陣頭指揮を執っていたのが、プラチャイ・ピアムソンブーン内相(Purachai Piumsombum)だった。プラチャイ内相は「抗議があろうがなかろうが、取り締まりをする」と公表した。

「抗議があろうがなかろうが関係ない。しかし、どこかで閉店時間を過ぎても開いている店が見つかったとしたら、一時的な閉鎖、あるいはライセンスの失効も有り得る」

それはとても強い調子でだった。タイ政府にビジネスを邪魔される側のオープン・バーやディスコの経営者は、すぐに抗議をしたが、プラチャイ内相は断固として引かなかった。

タイ政府は本気であることを充分に見せつける態度であり、ここではじめて夜のビジネスをしている経営者や従業員は、今までと何かが違うということを意識するようになった。

「本気かもしれない……」

2時に閉店しなければならないというのは、ゴーゴーバーだけの問題ではない。深夜営業が許可されているすべての店舗が対象である。

「オープン・バー、ソムタム売り場、カラオケ・バーに至るまで、すべての店は午前2時には完全に閉店しなければならない」とプラチャイ内相は言った。

プラチャイ内相は、タクシン首相と同じ警察士官学校出身であり、チナワット大学の学長でもある博士である。

当時、タクシン首相が最も信頼するパートナーがプラチャイだと言われており、彼の発言はつまりタクシン首相の発言を補佐するものだった。

警察士官学校出身者のエリートが、いよいよタイ最大の恥部であるセックス産業そのものに標的を絞って攻撃を開始したのである。

マスコミに対する報道規制の強要、不良外国人一掃の宣言、売春地帯の地域限定策、閉店時間の厳守、性的倒錯者(主に男娼)の取り締まり、麻薬密売人に対する死刑……。

これは、すべてはタイのクリーン作戦の一環だった。

「国益や子供たちのことを最優先事項にしたい」

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セックス産業に関わっている経営者たちは、これらの措置が厳格に執行された場合、この産業は破壊され、従業員は解雇されることになるだろうと警告した。

しかし、プラチャイ内相は「取り締まりについては、話し合う余地はない。法は施行されるだろう」と突っぱねた。そして、次のような言葉を付け加えた。

「私はセックス産業に関わっている経営者以上に、国益や私たちの子供たちのことを最優先事項にしたいのだ」

また摘発によって「未成年が客にいた場合には経営者は逮捕する」ことや、摘発時は逮捕者(もちろん客も含む)全てに尿検査が徹底されることなども公表された。

そして、それはすぐに実施となった。

さらに今後は「夜の娯楽産業」が許可される地域(ゾーン)を3つほど(パッポン地域、RCA地域、ラチャダーピセーク地域)に絞って、その他の地域には一切営業許可を与えない方向で計画を進めることを伝えた。

タクシン政権がこの当時に行おうとしていた政策をまとめてみると、以下の通りとなる。

(1) 売春地帯を地域限定(ゾーンニング)にする。
(2) 街娼・男娼を徹底的に排除する。
(3) 深夜営業時間を午前2時までとする。
(4) 未成年が店にいた場合は経営者を逮捕。
(5) 売春地帯にいた未成年者は補導・再教育する。
(6) アルコールは12時で禁止する。
(7) 摘発時は麻薬の検査を徹底する。
(8) 麻薬を売買する人間は死刑に処する。
(9) 麻薬の原産地(ミャンマー等)を徹底的に叩く。
(10) 不良外国人の排除を旅行会社に徹底させる。

見事なまでにタイを浄化(クリーン化)する政策に溢れている。

この当時、パッポンやナナを歩いていると、この国がいかにセックスと麻薬とアルコールに毒されてしまったかが分かるほど堕落が蔓延していた。

そこには退廃しかない。多くの人々がそんな退廃の中に身を置き、退廃に染まり、退廃に生きていた。タクシン政権はそれを一気に変えようとしていたのである。

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タクシン政権を支持する人たちも多かった

タイ国内では、セックス産業とは関わりのない、ごく普通の人たちがタクシン政権のこの政策を強く支持をしていた。

彼らにとって、自分たちの国が「堕落まみれ、セックスまみれ」と思われるのは非常に心外であり、屈辱でもあったからだ。

よく知らない金持ちの国から、男たちがやって来る。彼らはビキニで踊るタイ女性を見ながら、ダンサーを品定めする。そして、気に入った女性を呼び寄せてベッドに連れて行く。

他の国の女性を、まさにジャングルのハイエナのように手当たり次第に食い散らかしているのだから、彼らにとっては耐え難い事実でもあったのだ。

「頼む、もうタイにセックスやドラッグを求めて来ないでくれ。私たちの国の娘たちを金で弄ばないでくれ。自分たちの国の娘たちが同じ目に遭ったらどう思うのだ」

そんな普通の人たちの「切実な悲鳴」がタクシン首相の政策に込められていた。そして、タクシン政権は2001年に入ってから、こういった流れに宣戦布告し、タイを浄化しようとする動きを加速させたのだ。

この当時、ABACの調査では、バンコク市民の60パーセントは「社会の変革」に同意しているという調査結果をまとめている。

女たちの嬌声、酒を飲んで奇声を上げる得体の知れない外国人、派手な恰好でうろうろする売春婦、路上の買春交渉や抱擁……。

そういうものにバンコクの居住者は嫌悪感を示していたのだ。

投票者の71%は2時閉店に賛成、58%の人間が、真夜中以降にアルコールを販売禁止にすることも賛成している。

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「関連する事業の経営を圧迫し、経営者を苦しめる」

一方で専門家たちの間では、タクシン首相の強引な政策に意見が割れた。

「子供たちの将来のことを考えると長期的には好ましいことだ」という賛成派意見と、「この措置によってタイの経済は打撃を受け、良くない結果になるだろう」という反対派意見が拮抗していたのだった。

反対派の根拠は以下の通りだ。

「ウェイター、ウエートレス、ミュージシャン、コメディ俳優、シンガー、タクシー・ドライバー、そしてバー・ガールを含む何万人もの人間の雇用を脅かす」

「関連する事業の経営を圧迫し、経営者を苦しめる」

「タイ観光に悪影響を及ぼす」

タクシン首相の措置によって、「いくつかの夜で売り上げが30%も落ちてしまった」というバーの経営者もいた。30%どころではなく、早々と閉店に追いやられた店もあった。

そのため、歓楽街に関係し、歓楽街で生計を立てているすべての人がタクシン政権に激しい抗議を行った。

彼らが真夜中からのアルコール飲料禁止や2時閉店の強制に抗議するのは当然だった。

パッポンやソイ・カウボーイの経営者は、「この地域ではアルコールは流通しているがドラッグは稀だ。それに未成年も関係ない」と抗議している。

つまり、ドラッグや未成年の堕落を考えているのなら、パッポンやソイ・カウボーイは関係ない、とばっちりだ、と言うわけである。

また今回の措置に関連して、バンコクの売春地帯を愛する外国人の間からも、「仕事や収入を失った者は、犯罪率が上昇するに違いない」という意見が出された。

しかし、プラチャイ内相は聞く耳を持たなかった。大勢の警官を投入した取り締まりが厳重に行われ、それが継続された。

タクシン首相の政策に賛同する教育専門家はこう言っている。

「私たちは長期的な視野を持たなければならないだろう。失われた収入は、罪のない子供たちを失うこととは比較にならないからだ」

地方都市のパタヤも2時の閉店を余儀なくされていた

バンコクの「夜の娯楽産業」が許可される地域(ゾーン)を選定していたバンコク都市管理局(BMA)は、この当時6つのゾーンを内務省に提案した。しかし、それはすげなく突っ返されてしまった。政府の言い分はこうだった。

「娯楽産業を許可できる場所は6つではなく3つにしなさい」

つまり6つでも多過ぎるということを政府は言っていた。それに対してBMAは「それはもう政府(内務省)がすべき問題である。政府はすでにそうする権限を持っているのだから」と反発した。BMAが出しているゾーニングの地域というのは次の6つだったという。

(1) パッポン
(2) RCA(ロイアル・シティ・アベニュー)
(3) ラチャダピセーク
(4) ラーム・イントラ
(5) ラマ3世通り
(6) ター・プラー

これらの取り締まりに関してはバンコクばかりが問題になっているように見えたが、地方都市のパタヤもまた2時の閉店を余儀なくされていた。

パタヤ協会もまた、これら一連の措置はパタヤの観光産業を傷つけ、観光客の足を遠のかせる可能性があることを政府に警告した。

「バーは以前の通り、午前4時まで開かれるべきである」とパタヤ協会は主張した。

「観光立国であるタイの産業を停滞させる危険がある」という抗議は、決して大袈裟な意見ではなかったのだ。

何しろ、タイに観光へ来る外国人のうち60%が男であり、その男のうちの多くはナイト・エンターテーメントと何かしら関わりを持っていたからだ。

どうしたのか。もちろん、タクシン政権はそんな警告を一蹴してしまった。

イスラム教徒たちまでタクシン政権を支持した

タクシン首相とプラチャイ内相が両輪となって進めている「タイをクリーンにするための政策」は、日増しに強まるナイトライフ関連の事業者からの非難や圧力にも全く屈する気配はまったくなかった。

バンコク都市管理局(BMA)が提出した6地域の赤線地帯(ナイトライフ地域)を突っ返したが、これについてもBMAが不服を唱えていることを猛烈に批判した。

「バンコクより巨大な他の都市(ニューヨークを指している)でも赤線地帯は1つか2つなのに、なぜバンコクに6地帯もいるのか!」

そして、2時の閉店や未成年の出入りを禁止する施行を撤回するつもりはまったくないことを2001年8月に改めて明言した。

「我々は今、この問題に取り組まなければならないのだ」

タイにはイスラム教徒も多いが、普段はタイの中央政権と対立しているイスラム教徒たちも、クリーン作戦については、タイ政府と軌を一にしていた。

タイ・マレーシア国境に近い町サトゥンのイスラム教のリーダーはこう発言していた。

「政府はナイトスポットを『夜の0時まで』開けるようにして、犯罪者に対しては徹底的な処置をすべきである」

2時閉店でも生ぬるい、いっそのこと0時で閉店させるべきだという主張なので、基本的にはプラチャイ内相と同じく売春地帯の規制に賛成する声であった。

現場では激しい取り締まりが行われて、次第に追い詰められていく歓楽街の住民たちが再び抗議デモを起こすと、プラチャイ内相はこのように言った。

「陸軍将校たちは法を遵守させるために赤線地帯を監視するアルバイトでもすべきである」

これらの政策は青少年保護の一環だが、これと平行してプラチャイ内相は陸軍に別の仕事も命令しており、そちらの方も動いていた。それはドラッグ犯罪を侵した青少年を対象にした「特別少年院」で受刑者の性根を鍛え直すための訓練だ。

ドラッグに手を出した青少年は、17日間に渡って徹底的かつ強制的にシゴかれる。

迷彩服を着た兵士たちが未成年の受刑者を取り囲み、半ばリンチのような訓練を行い、受刑者を更生させようとしていたのである。タイ政府の不退転の決意がここにあった。

タクシン政権が息切れし始めた2001年8月

2001年の年初から行われるようになった新しい風紀、新しい社会秩序を作り上げるための政府の努力は、とどまるところを知らず、タイ全土に渡って取り締まりが強化されていった。

しかし、タクシンが首相に就任し、半年以上を過ぎた2001年8月に入ってから、若干タクシン政権の空気が変わって来た。

この頃、パトゥム・タニ警察は人気のあるディスコに対して深夜に抜き打ちの強制調査を行い、未成年を20人、IDカードを持たない若者を108人検挙していた。

このあまりの強権発動に対してタクシン首相率いる愛国党の顧問であるスノウ・チエントンが「もう少し施行を和らげることができないのだろうか」とタクシン首相に進言した。

首相からプラチャイ内相にそれを伝えることを約束したということがニュースで流れた。普段は、何があっても突っぱねていたプラチャイ内相だったが、8月に入ってから、態度が軟化したのが傍目でも分かるようになった。

いったい何が起きていたのか。

実は、タクシン政権のあまりの強権が、徐々に国民に不快感を持たれるようになってきていたのだった。

「アジア通貨危機(バーツ危機)で壊滅的打撃を被ったタイの経済を立て直す」という公約で首相選挙を勝ち抜いたタクシン首相だった。

しかし、2001年2月に首相になって半年経っても解決の糸口が見えず、クリーン作戦も賛否両論で、むしろタイ国内が激しく混乱するようになっていた。

汚職事件では摩訶不思議な無罪判決、マスコミに対して都合の悪い記事を書かせないために圧力をかける体質。反対者の救済をいっさいしない冷徹な態度。政敵への攻撃。

そのような諸々が重なって支持率が急激に下がっていた。

2001年8月。タイの世論は二分されていた

そんな中、「新しい社会構造の構築」と呼ばれたクリーン作戦は、事業経営者や従業員からの抗議が日増しに激しい圧力となってタクシン政権を襲いかかっていた。

プラチャイ内相は表面的には強行姿勢を崩していないが、タクシン首相は政党の基盤が揺らいでいるのを感じ取って、逡巡を見せるようになっていった。

2001年8月。タイの世論は二分されていた。

この頃、午前2時30分に、2000を超える歓楽街の店主が集まって、後日10万人規模の抗議集会を開くことが予定されていた。

警察がこのような動きを察知して、150人から200人体制で警官を特別配備をして「その日」に備えるという緊迫の事態となっていた。夜のビジネスに関わる関係者には死活問題なので必死になって抵抗を試みていたのだ。

しかし、それとは関係のない普通の市民は新しい秩序を望んでいる。タイからドラッグとセックスに溢れた「異常な世界」が一掃され、夜には安らかに眠れるような平和な環境を欲していたのだ。

特に若い子供を持つ都心の父親や母親が、タクシン首相の新しい政策を支持し続けていた。

自分の息子がドラッグでおかしくなるような、あるいは娘がファラン(外国人)相手に売春するような世界がまかり通る今のタイを変えたいと心から望んでいたのだった。

「娯楽産業に関わっている経営者は、今こそ一歩下がってまわりをよく見る時が来ている。あなた方は社会に何を与えたのか」

これはバンコク市長の言葉だった。

「外国メディアが何を言おうと関係ない」

この動きは欧米のメディアにも取り上げられていたが、その論調はおおむねタクシン政権の「強権」を批判するものだった。あまりにも強引な手法はやがて頓挫すると欧米のメディアは指摘した。

これを受けて、タイのプラチャイ内相は外国メディアに対して「タイは外国資本のいかなる圧力にも屈しない」と発言した。

そして、セックスとドラッグにまみれたタイ王国のイメージを浄化する計画を後退させることはまったく有り得ないことを改めて誓った。

外国のジャーナリストが、新しい社会構造(乱れたモラルを叩き直すための道徳規律を中心とした構造改革)を批判していることに対して、プラチャイ内相はこう答えている。

「外国メディアが何を言おうとそれは私には関係のないことだ。タイ政府は何を行っているのかを分かっているのだ。これらのメディアはタイが健全化することに反対なのだろう」

そしてこう続けている。

「タイは自立してやっていくことができるので、もう外国の指図は受けない。大切なのはタイ国民の利益と感情なのだ」

タイのメディアはこれを「プラチャイ内相の戦争」と呼んでおり、タイ内外の批判を一身に受けても動じない信念の男の言動を刻一に報道した。

社会福祉大臣も「外国メディアはタイを非難する代わりに支援すべきである」とコメントした。

タイ政府は午前2時にはすべてのゴーゴーバーやディスコを閉店することを主張しているが、実際は度重なる警官の見回りに1時30分にもなれば早々と店じまいするところも増えていた。

タクシン・シナワットという男のバックグラウンド

この当時の首相であるタクシン・シナワットは、通信情報最大手のシン・グループを率いる実業家で、アメリカで博士号を取ったほどのエリートだった。英語も堪能でインターネットも使用していた。

インターネットでタイを検索すると何が出てきたか。タイ売春地帯の情報と、タイ女性のあられもないヌードだった。

そこでは、タイ女性が白人(ファラン)たちの性の玩具のように扱っており、女性の売買情報が飛び交っていたのだ。タクシンは、その実態を十分知っていた。

この当時、スクンビットにある「テルメ」という売春カフェでは、タイの素人とも思われる女性が外人を相手に売春ビジネスしているのをテレビ局が取材をしていた。タクシン首相はこれを見て激怒したようだ。

タイ女性はずっと昔からそのような売春ビジネスの伝統が続いていたのだ。古くは1974年に公開されたエマニエル夫人でも、映画で描かれていた。

このタクシン・シナワットの故郷はチェンマイである。このチェンマイも、児童売春のメッカとして知られており、2001年当時も子供たちを狙ったロリコンがチェンマイに集結していたのはよく知られている。

チェンマイと言えば、麻薬王クンサーがビルマ(現ミャンマー)側で精製したヘロインをタイに運ぶ時の集積地としても有名だった。チェンマイは、かつてセックスとドラッグの溢れた無法地帯だったのである。

タクシン・シナワットはそんな環境で育ちながらも、合法的なビジネスでのし上がって来た(裏取引や不正疑惑も囁かれているが)。

そして、首相になった瞬間、身近に溢れていたドラッグとセックスをタイから叩き出すことを決意して次々と公約を実行に移したのだった。それが、2001年のタイだった。

世界史を変えた「アメリカ同時多発テロ」の直撃

2001年9月11日。世界を震撼させる大変な事件が起きた。世界史を変えた「アメリカ同時多発テロ」である。この事件は、事件の現場となったニューヨークのみならず、タイの観光産業にも大打撃を与えることはほぼ確実となった。

タイで最も金を落とす観光客であるアメリカ人が、9月11日以降、次々と旅行をキャンセルした。他国の観光客もテロを恐れて激減した。

クリーン作戦で売春地帯を締め付けていたタイ政府だったが、それは不良外国人を減らして健全な観光客だけを呼び込むといのが目的だった。

ところが、この同時多発テロは、タイ政府の思惑をすべて吹き飛ばしてしまった。

民間旅客機を使ってニューヨークのワールド・トレード・センターに突っ込むという衝撃的な自爆テロによって世界中で観光客が激減したのである。

タクシン政権の「新しい社会構築」で弱体化していた夜の娯楽産業全体は、さらに打撃を受けることになってしまった。

タクシン政権は「たとえ失業者が出ようとも、それには子供たちの将来を考えると引くわけにはいかないのだ」と言っていた。

しかし、現政権の思惑を超えるまでに失業者は増大しており、これが社会不安となってタイに重くのしかかった。2001年10月にもなると、その社会不安はますます増大する一方になっていた。

どこの国でも失業問題対策は政府の最優先課題である。失業者が増えると政権は責任追及の的になる。

タイでも状況は同じで、失業者増大を食い止め、何らかの処置が打てないならば、現政権は必ず非難の中で崩壊する。

そして、そんな中で、タクシンが率いていた愛国党の中で内閣改造に向けて猛烈な権力闘争が勃発し、プラチャイ内相も権力闘争に巻き込まれていった。

そしてどうなったのか。

もうクリーン作戦どころではなくなっていった

タクシン政権によってタイ浄化と国家的理想の元で発動された「新しい社会構築」は、失業者増大、社会不安、政権内の権力闘争、そして国家テロによる世界の緊迫化によって、風前の灯火となったのだ。

すべての流れを変えたのが2001年9月11日の同時多発テロだったと言ってもいい。あまりの観光客の急減に、もはやクリーン作戦など言っている場合ではなくなってしまったのである。

「新しい社会構築」は、一部で骨抜きにされた。それは、2001年11月24日「特例地域構想」で明確になった。これは平たく言えば「ある地域に限っては2時以降でも営業を認める」という内容だった。プラチャイが折れた。

ある地域とはバンコクに限って言えば、パッポン、ニューペッブリ、ラチャダピセークである。これ以外の地区については引き続き午前2時閉店が厳格に実施されることになっているので、一応はプラチャイのメンツは守られていることになる。

実を言うと、タクシン政権のクリーン作戦によって午前2時に閉店されることによって、売春ビジネスする女性が以前よりも増えているという皮肉な現象もあった。

以前は夜通し働いて収入を得ていたウエイトレスたちが2時に放り出されることになった。収入が減った分を、彼女たちはストリートの売春で取り返そうとするようになっていたのだ。

以前から売春ビジネスに堕ちていた女性も相変わらずそれを続けていたが、そこに今まで売春しなかった女性までが売春するようになっていたのだった。

そして、2002年に入ると、タクシン政権はその豪腕が嫌われるようになり、もうクリーン作戦どころではなくなっていった。

2006年、タクシン・シナワットはクーデターによってタイから追放されて、今もタイに戻ることができない。そして、タクシンが目の敵になって叩き潰そうとしていた真夜中の世界は、2015年に入った今も残っている。

タイの闇は、豪腕タクシン・シナワットでも消すことができなかった。

タイの売春地帯。バンコクのソイ・カウボーイ。つぶれる、つぶされると言われ続け、今もまだ生き残っている。

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