デマを止める方法はない。次から次へと新手のデマが登場して社会を攪乱する

デマを止める方法はない。次から次へと新手のデマが登場して社会を攪乱する

社会が異常事態に陥ったときデマは必ず発生する。そして、ほとんどの場合はデマを止めることはできない。場合によってはデマが限りなく広がって自己実現する。これは、途上国に限った話ではなく、どこの国でも起こり得る。現に世界中で人々がデマに翻弄されている。今回の転売屋やマスコミが引き起こしている騒動を見ても分かる通り日本でもデマはいくらでも広がる余地がある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

異常事態が起きたときは、恐怖と不安が共有される

新型コロナウイルス(武漢肺炎)が日本各地で広がるにつれて、マスクのみならず、トイレットペーパーも、ティッシュペーパーも、生理用品も、殺菌・消毒アルコールスプレーも、ドラッグストアやスーパーマーケットなどから姿を消している。

転売屋があらかじめこうした品物を仕込んで、それから人々の不安に付け込んで好き勝手に「あれがなくなる、これがなくなる」とインターネットで不安心理を煽り立ててボロ儲けする。

そして、こうしたデマが蔓延すればするほど、マスコミが調子に乗って「あれがなくなった」「これがなくなった」と、空っぽになったどこかの店の棚をテレビで放映して騒ぐ。

その結果、最初は冷静だった人々も急に不安に駆られて大量買いするようになり、「あれがなくなる、これがなくなる」というデマが自己実現する。

武漢肺炎の蔓延で日本に起きているのは、そういうことだ。こういうときは冷静に静観していればいいのだが、人々は「あれもこれもなくなったら困る」と思うので静観することなど到底できない。

だから、デマはいったん発生すれば止まらない。

異常事態が起きたときは、正しい情報は共有されるのではない。異常事態が起きたときは、恐怖と不安が共有されるのである。恐怖と不安は理性よりも強い。理性はデマによって簡単に吹き飛ばされる。

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社会が異常事態に陥ったときデマは必ず発生する

社会が異常事態に陥ったときデマは必ず発生する。そして、ほとんどの場合はデマを止めることはできない。場合によってはデマが限りなく広がって自己実現する。

これは、途上国に限った話ではなく、どこの国でも起こり得る。現に世界中で人々がデマに翻弄されている。今回の転売屋やマスコミが引き起こしている騒動を見ても分かる通り日本でもデマはいくらでも広がる余地がある。

デマは恐怖と不安に忍び寄っていく。恐怖と不安はパニックを引き起こす。

人々の間でパニックが起きると理性は働かなくなる。理性は大脳が司るのだが、恐怖と不安は小脳が司る。大脳がパニックで動かなくなると理性が消え、本能を担う小脳が人間を突き動かすようになる。

すなわち、パニックが起きると恐怖と不安による自己防衛が極大化して、理性はまったく喪失してしまうのである。「デマによるパニックで理性が吹き飛ぶ」というのは、人間のみならず動物の宿命であると言える。デマが起きてパニックが発生すると、私たちは動物になるということだ。

デマが発生したら、「それはデマだよ」と真実をきちんと説明すれば納得してくれると考える人もいる。しかし、デマによって恐怖と不安にとらわれてしまった人にその理路整然とした真実は届かないことが多い。

「デマは真実よりも人々の心をつかむ」からだ。

デマはあたかも真実ような姿をして私たちの前に現れる。そして、真実よりもインパクトがある。真実よりも切実に見える。真実よりも説得力があるように思える。真実よりもリアルな光景が想像できる。

だから、「それはデマであって真実ではない」と言われても人々は理性で納得しても感情で納得できない。デマの方が恐怖と不安が支配している感情にストレートに響くのである。

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人々は真実とデマを計りにかけてデマの方を信じる

武漢肺炎の蔓延でマスクが市場から消えた。マスクをしないと自分も人ごみや満員電車などでうつされるかもしれない。それなのにマスクが手に入らない。どうしようもない。皆が躍起になっている。どうしたらいいのか……。

そういう心理状態のときに、「次はトイレットペーパーもなくなる、ティッシュペーパーもなくなる、生理用品もなくなる、殺菌・消毒アルコールスプレーもなくなる」と言われればどうなるのか。

実際に「マスクが手に入らない」という現実があるので、人々は「あれもこれもなくなる」という恐怖や不安の方に強く傾いていく。

そして人々は「あれがなくなるらしい、これがなくなるらしい」と危機感を持って人々に伝えていく。たとえ政府が「いや、なくなることはない」と述べても、政府は普段から毒にも薬にもならないことしか言っていないのであまり信用されない。

むしろデマの方が人から人へ情熱を持って伝えられるので、人々は真実とデマを計りにかけてデマの方を信じようとするのである。

さらに悪いことがある。デマは往々にして親しい人から聞かされるのだ。家族から、親から、先生から、友達から、同僚から聞かされる。自分が最も信用している人から、「あれがなくなる、これがなくなるらしい」と聞かされる。

普段からアテにならない政府と、自分が親しくしている人のどちらを信じるのか。当然のことながら、人々は親しい人から聞かされた方を信じる。そして、デマを信じた人は、また自分の親しい人にそれを伝える。

かくしてデマは、伝言ゲームのように親しい人から親しい人へ伝わり、そして信じられていくのである。

そして、どうなるのか。人々はやがて「デマに囲まれる」のだ。あちこちで飛び交ったデマは人々の間で渦巻いて、もはやデマ自体がひとつの生命体のように人々を飲み込んでいく。

デマに囲まれれば囲まれるほど、人々はデマを真実のように思うようになる。最初は懐疑的であっても、それが真実だと自らを洗脳してしまう。

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最後にそのデマはデマであるにも関わらず自己実現していく

デマは往々にして真偽を確かめることができない。実のところ、デマにもいろいろあって、すぐにデマだと見破られるものから、99%真実のように思えるようなものまで、その内容は玉石混交だ。

「武漢肺炎によって人類が滅亡する」というデマもあるが、「いや、まさか武漢肺炎ごときで滅亡はないだろう」と人々は何となく思う。だから、そういうデマは早々にして消えていく。

しかし、「トイレットペーパーがなくなる」だの「ティッシュペーパーがなくなる」だの、小市民的なデマはそれが身近なものであることからしてあたかも真実のように見えるのだ。

そして、ほとんどの人々は製紙メーカーに勤めているわけではないし、その知り合いがいるわけでもないので真偽を確かめる方法がない。そういう真偽が確かめられないようなデマが生き残って蔓延するのである。

そして、こうした真偽の確認できないデマが広がるだけ広がると、まわりが全員信じ始めていく。そして、最後にそのデマはデマであるにも関わらず自己実現していく。

1. デマによるパニックで理性が吹き飛ぶ。
2. デマは真実よりも人々の心をつかむ。
3. デマは人から人へ情熱を持って伝えられる。
4. デマは親しい人から聞かされる。
5. デマに囲まれると真実ように思える。
6. デマは、その真偽を確かめる方法がない。
7. デマが広がると、まわりが全員信じ始める。
8. デマは最後に自己実現する。

こういった現象が一気に起きて、最後には収拾がつかなくなる。新型コロナウイルスをめぐるデマは、今後もさらに広がるだろう。そして、デマを止めるうまい方法はないので、次から次へと新手のデマが登場して社会を攪乱していく。

今、私たちはそういう社会現象の渦中にある。

『邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる(鈴木傾城)』

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