「野生動物を絶対に食べてはいけない」という考え方は正しいのだろうか?

「野生動物を絶対に食べてはいけない」という考え方は正しいのだろうか?

別に驚くことではないのだが、中国同様に東南アジアのそれぞれの国々も野生動物は普通に食べている。田舎に行けば行くほど「野生動物を食べない」という選択肢はない。そこらにいる野生動物は太古の昔から食用だったのである。「肉は牛・豚・鳥」だけというのは、現代文明を作り上げた先進国が勝手に決めたルールであり、それはすべての国に適応すべきではないと私は思っている。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

あなたは野生動物を食べたことがあるだろうか?

あなたは野生動物を食べたことがあるだろうか。

中国の新型コロナウイルスの発生源として、武漢華南海鮮市場が指摘されて、この市場では実は野生動物が売買されていたことを世界は知った。

すでに中国人の多くは野生動物を食べなくなったとは言われている。しかし、それでも野生動物を売り買いするマーケットが堂々と存在しているということは、まだ食べる人もいるということを意味している。

野生動物とは何か。

タケネズミ、ダチョウ、ハクビシン、コウモリ、ハリネズミ、オオサンショウウオ、シマアオジ、ミンク、ダチョウ、ハムスター、カミツキガメ、シャムワニ、カエル、コブラ、サソリ、熊、各種野鳥……等々、かなり多彩だ。

野生動物だけではなく、イヌもネコも食用になっている。もちろん、多種多様な昆虫もまた食用されている。

今回の新型コロナウイルスのパンデミックによって、世界は「野生動物なんか食べるなんて信じられない」「未開人種だ」「野生動物を食べる人間は恥を知れ」と叫ぶようになっているのだが、ここでひとつ告白しておかなければならない。

私はかなり偏食で食べたいものよりも食べたくないものの方が多い人間なのだが、長らく東南アジアをうろうろしていたこともあって、野生動物の肉を食べたことは一度や二度ではないということだ。

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どこまでを許容するかはそれぞれの国の文化

別に驚くことではないのだが、中国同様に東南アジアのそれぞれの国々も野生動物は普通に食べている。田舎に行けば行くほど「野生動物を食べない」という選択肢はない。そこらにいる野生動物は太古の昔から食用だったのである。

「肉は牛・豚・鳥」だけというのは、現代文明を作り上げた先進国が勝手に決めたルールであり、それはすべての国に適応すべきではないと私は思っている。

それぞれの国で「食べてはいけない肉」があっても然るべきだし、「食べても良い肉」が違っていても、それはそれでひとつの文化である。牛は食べないが羊は食べるという国もあれば、豚は食べないがラクダは食べるという国もある。

当然、中国や東南アジアのように「食べられる野生動物は何でも食べてもいい」という国があっても不思議ではないし、どこまでを許容するかはそれぞれの国の文化によって決められて良いと私は思っている。

そういう意味で、クジラを食べる日本人の食文化も許容されるべきだし、コウモリを食べる中国やインドネシアの文化も許容されるべきだ。(ブラックアジア:インドネシアのコウモリ食。それくらいなら何とか食べられる?

それでは、イヌやネコも食べていいのか。

私自身は子供の頃からこうした動物がペットとして飼われているのを見てきているので、イヌやネコが食用になることを知っていても食べたいとは決して思わない。人間を食べるのと同じくらいの拒絶感をイヌやネコを食べることに対して持つ。

しかし、イヌやネコを食べる文化を持つ国があって、その国の一部の人がそれを食べているのであれば、あえて反対運動を起こして「絶対に駄目だ」と声高に叫ぶような気持ちにはなれない。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

「野生動物を食べるな」は先進国の人間の目線

中国や韓国ではイヌやネコを食べる文化があるとしばしば動物保護団体から槍玉にあげられているのだが、実は東南アジアでもイヌやネコを食べる文化はある。私はカンボジアのスラムで実際にイヌを調理している現場を見てきているし、それを食べる人たちの隣にいた。

私自身はイヌやネコを食べたくないが、食べている人を諫めることはない。

一方で、カンボジアのスラムではイヌをペットとして飼っている家庭もあるわけで、イヌを見たらすべて食用になるわけではないという現実もある。カンボジア内でも、人それぞれの感性があるのである。

私たち日本人は海に囲まれていることもあって、エビも、イカも、タコも、カキも、ごく普通に食べている。「そんなものは食べるな」と言われたら激怒するはずだ。それは昔から食べられてきたものだし、食文化の中で深く定着しているからだ。

ユダヤ人は宗教的に「エビ、イカ、タコ、カキ」は食べてはいけないことになっている。もし、ユダヤ教の食生活が世界の標準になって「明日からエビ、イカ、タコ、カキなどは野生動物なので食べるな」という通達が出たら、さすがの日本人も暴動を起こすだろう。

「ユダヤ人が食べないのは勝手だが、こっちが食べるのも勝手だ」というのが偽らざる気持ちだろう。

もしヒンドゥー教の食生活が世界の標準になって「牛は食べるな」という話になったら欧米の人たちは暴動を起こすだろうし、イスラム教の食生活が世界の標準になって「豚を食べるな」という話になったら、それこそ文明の衝突が起きる。

そういうことなのだ。だから「野生動物を食べるなんて信じられない」というのは、先進国の目線でしかないと気づくべきだ。

国連加盟国は196ヵ国あるが、そのうちの先進国は7ヵ国、広く見ても50ヵ国程度である。残りの146ヵ国は先進国とは違う食文化の中にある。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

自分でもあれこれ食べてきたのは事実

私は食べたいものよりも食べたくないものの方が多い。焼いていない料理は基本的に食べたくない。(ブラックアジア:サルモネラ菌。ありふれた食中毒なのに、症状は劇症だった

絶対に食べないわけではないが、魚介類も野菜も好きではない。果物もあまり食べない。かなり重度の偏食だ。しかし、そんな私でも東南アジアでは、何となくいろんなものを食べている。

私は二十歳で生まれて初めてカエルを食べた。タイの首都バンコクのクロントイ近くに宿を取っていた時、町の片隅に屋台が出ていてカエルの揚げ物が売っていたのを食べた。以後もカエルはたまに食べた。バングラデシュもカエルは普通に食べられていた。

私はオオトカゲもタイで食べた。タイ南部の街スンガイコーロクで食堂が出してくれたので仕方なくだったが口にした。思ったほど悪くないと思ったのは事実だ。

私はヘビも食べた。これは香港だった。網の中に生きたヘビが置かれていて、「どれを食べる?」と言われたので、適当なヘビを指さすと、それを目の前で皮を剥ぎ、ぶつ切りにして料理してくれた。「精力がつく」と言われて、ついでにヘビの血も飲んだ。

他にも東南アジアのあちこちでよく分からない野鳥も食べているし、他にも何か得体の知れないものをいろいろ食べた。カンボジアではラーメンの中にコオロギが入っていて、知らない間に食べてしまっていた。

店の人はサービスでコオロギを入れてくれていた。カンボジアでコオロギは食用だったのである。ちなみにカンボジアではクモも食用だ。バッタンバン州ではクモを白いご飯に乗せて食べている人もいる。

タイではバンコクの屋台でも、いろんな昆虫をフライにしたものを売っている。私と一緒にいる女性はこれ見よがしにいろんな昆虫をスナックのように食べて笑っている。

ずっとそういうのを見てきている。だから、「野生動物は絶対に食べるな」という風潮は何となく肩身が狭く感じるし、「それは何か違う」という気持ちや違和感も何となくある。

野生動物を残虐に痛めつけて食べるとか、錆びた檻に入れて衰弱させて売るとか、生きたまま調理するとか、そういうのは絶対に反対だ。野生動物に対する冒涜であると思う。

しかし生の尊厳を持って野生動物を狩り、苦しませないように屠(ほふ)り、安全に肉を管理し、しっかりと調理され、感謝と共に頂くのであれば、それはそれでいいのではないかとも思う。

あなたは、どう思うだろう?

『世界のへんな肉(白石あづさ)』

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