私は売春地帯や夜の女たちや風俗に生きる女たちしか興味がない。
そうした世界ばかりに沈没し、スラムを渡り歩き、貧困の世界ばかりをのぞき、アンダーグラウンドに横たわる暴力やドラッグやセックスを取り上げて生きている。
このサイト『ブラックアジア』はまさに、そんな私のライフワークとして存在するサイトである。
そんなわけで、いろんな人から「鈴木傾城はいったいどれだけ荒廃した子供時代を送ったのか?」と、よく質問される。
「売春地帯、売春地帯と書いているが、子供の頃も売春地帯とか歓楽街が近くにあったのか?」と聞かれることもある。
これだけアンダーグラウンドの内容を取り上げて書いていれば、そう思われるのも無理はないような気もする。
しかし、である……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア タイ編』にて、全文をお読み下さい)
パッポンのマイちゃんが真面目な青年を売春地帯に引きずり込んだんですよね。
今まで色々な苦悩や自分自身を受け入れる過程を書いて下さって私も勇気を貰っています。息子を持つ身として今から覚悟が出来ました(笑)
いつか鈴木さんがイランはじめ中東に進出する日をまっています。
カンボジアの写真、すごくノスタルジックでいい雰囲気です
「ブラックアジア」は私にとって、自分がかなえられなかった世界を夢みさせてくれる
もうひとつの大切な世界です
昔の会員制でもない、ブラックを基調としたサイト時代からのファンです
あと数年で子供も片付き、セミリタイアしたら、しがらみを捨て海外にいきたいです
鈴木さんのかお写真、怪しいですか?
アメリカ圏生活21-2年やってるせいか、鈴木さん顔って普通にみえますが…
ラテン系ギャングとか黒人ギャング、白人バイカー、むさ苦しい米兵., ソレも前線に行く兵隊.など見慣れちゃったせいか、鈴木さん普通にみえますが.. .
LA, サンデイエゴなんか, 怪しい人だらけ心の中で大笑いです。
実は3ヶ月前ネバダからハワイに戻ってきました。
ハワイもサモアンやハワイアン、怪しい人多いですね。やっぱし見てて笑えます。
ただ私がハワイで鈴木さん見たら、日本から来た日本人ジャッジ無くて、日系人って思っちゃうと思います
みこ猫
20世紀の終わり頃に、何となく一人でバンコクに行ったのが運の尽きでしたね。
それまでは欧米先進国ばかり旅行に行ってましたが、ふと中国に復帰後の香港と復帰前のマカオと言う微妙な時期に初めて香港行きのチケットを買ってアジア初体験をした時、何だか親戚の家に遊びに行ったような親近感を感じました。
アジアも良いなと思って次に買ったチケットが、今は無いバンコク行のエアインディアでした。ドムアン空港から国鉄の駅に乗り込んで車窓を見るとまだ貧しかった頃の日本のような生活が垣間見えました。私と同様に一人でバンコクに来ていた大先達とは偶然列車で知り合ったのですが、余りにディープにタイにのめり込み過ぎて陰気な顔をしていました。
その大先達は余りにバンコクライフが楽しくて、過去に1年余りアパートを借りて住んでいたと言う強者でタイ語はペラペラでした。それだけで無く頼んでもいないのに夜の観光を毎晩無料でしてくれるのです(笑)。
お陰でパッポンやタニヤやナナプラザやテルメやソープランドやジャーマンビヤガーデン等に連れまわされ、目を白黒している私を見て喜んでいました。
今思えばタイの同志を増やそうと思っていたようです。お陰で20年余り経った今もバンコク詣でが続いているのですから、大先達に出会ってなければこんな事にはならなかったと思うこの頃です。
トップページの写真が傾城さんのお顔だと今日初めて知りました(笑)
こういうとなんですが、死体写真家の釣崎氏に雰囲気が似ているような……?
あれは傾城さんの写真だったんですか!しらなかった。
若い頃ですね。イケメンだ。
労働者風だが頭良さそーに見えます。
馬鹿な売春オヤジとは一線を画しています。
実は、この写真は2018年6月に撮ったものです。
決して若くはありません。
若く見えるとしたら微妙な角度が為せる技なのかもしれません。
女性がよく言う「奇跡の一枚」の範疇かもしれませんね。(笑)
以前、何かの情報番組(ニュースの中での特集だったか?)で内容は失念してしまいましたが傾城さんへのインタビューを拝見した記憶があります。あの時はお顔の露出はNGでしたが、こちらのお写真のほうがいいですね。
20歳でこの世界を知ったら夢中になるのも無理ないです。性欲の塊な年頃ですから。
私が東南アジアの売春地帯を知ったのは33の時ですが、それでものめり込みました。それまで金を出して女を抱くことに抵抗があったんですが、バンコクの刺激の強さにヒューズが飛びました。
性欲の減退とともに少しずつ足を向ける機会は減少すると思います。
一方、素人女性との恋愛は心の潤いをもたらしてくれるので、継続したいと思っています。
なるほど…売春地帯で生まれ育ったか、ですか。あまり歓楽街に縁がないとそう思ってしまうのかも知れませんね。
私は…実は新大久保(は駅名であり地名は大久保とか百人町になりますが)で生まれ育ちました。今も実家があり、両親が暮らしています。
子供の頃は塾の帰りに街娼を目にしたし、高校生くらいになると私服で歩けば間違えられるような状況だったし、あの南米勢の全盛期の時は覚醒剤の売買現場も普通に目にしました←もう白昼堂々タバコの箱と札の束を交換してるw通行人とか全くお構いなし。
そんなカオスのような場所で、小さい頃から何となくどんな場所だか分かっていたし、性の売買も当たり前の商いであると認識していましたが、至って普通に小中高大と過ごし、今は嫁いで近郊に住んでます。地元の幼馴染もほとんどは大卒であり、普通に表社会で生きてるし、あまり生まれ育ちは関係ないっぽいです。
歌舞伎町も近かったので、夜の世界はとても身近でしたね。
でもね、歌舞伎町で遊んだサラリーマン、特に出張とかで来てる人なんかは今夜ちょっとしたアミューズメントを楽しみ、明日になればその思い出とともにお土産買って家族の元に帰るんだろうなーなんて思ったりして、ちょっと微笑ましいとか思いました。必要悪ってやつですかね。そういう割り切りみたいなものは小さい時にできてました。
悪いところじゃないです。そうしたレジャーは多分必要だから、いつの時代も世界中にあるんだなーって。
だから鈴木先生が仰るほど売春とかがアングラだとか裏社会だとか思ってなくて、すぐそこにある光景、そこで働いてる人も、事情があってそうしているだけの普通の人なんだなと思ってます。
鈴木先生の旅のルポ、渡航経験のほとんどない私にはとても勉強になります。
バルカントレイユの話はとても興味深いのですが、南国がお好きな鈴木先生がもしこの先、少しでも気が向いたら是非とも東欧ルポが読んでみたいです。
とりとめのない駄文、失礼致しました。
これからもご自愛ください。作品楽しみにしています。