社会に合わないというだけで病気扱いされていく構造は知っておくべきだ

社会に合わないというだけで病気扱いされていく構造は知っておくべきだ

インドネシアもスマートフォンが爆発的に流行している。Oppoのような中国製の安いスマートフォンが売れていて、iPhoneのような高級品も中古で出回っている。インドネシアは日本以上のスマホ社会になりつつある。

そこでインドネシアのいくつかのローカル紙が、「インドネシア人もスピードを重視するようになってイライラする若者が増えた」と指摘するようになっている。

それを読んで「あの、ゆったりのんびり生きていたインドネシア人も、いよいよ高度情報化社会に巻き込まれていくのか」と感慨に耽った。そして、ふとバングラデシュはどうなのだろうかと思った。

調べてみると、バングラデシュでもスマートフォンは急激に普及しようとしている時期に入ったようだ。

スマートフォンはそろそろコモディティ化の商品に入る。途上国の人々も安いスマートフォンを手に入れて高度情報化の世界に入っていくのだろう。

しかし、誰もが変わりつつある高度情報化についていけるわけではない。そこには取り残される人も必ず出てくることになる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

病気として扱われるようになる

かつて、東南アジアの僻地ですることもなく時間をつぶしていたとき、現地の人々はのんびりしている私以上にのんびりと生きていた。

昼寝している人は、明けても暮れても昼寝したまま過ごしているし、井戸端会議している母親たちは、やはり朝から晩までそうやってのんびり暮らしていた。

バングラデシュの郊外をさまよい歩いたとき、ひとりの男が自分の村を案内してくれたのだが、そこでも台所で近所の女性たちが自然に集まってくつろいでいて、何をすることもなく暮らしていた。

彼らはそうやって生きていけるからそうやっているわけで、東南アジアや南アジアの農村に流れている空気と時間は、先進国で流れている空気と時間とはまったく違ったものだった。

彼らを無理やり都会のどこかに連れて行って、時間に合わせて忙しく働けと強制したら、多くの人がついていけなくなって心が壊れるはずだ。そして、そういった人たちは社会から「駄目な人間たちだ」と烙印を押されて排除される。

しかし、重要なことがある。彼らは工場化社会では排除される人間かもしれないが、農村では別に何の問題もなく、普通に生きてきて暮らしていたということだ。

逆に私はどうなのか。私は先進国である日本の効率化社会で生まれ育って、何でも早く、何でも効率的に、何でも正確にやることを求められる社会に染まっていた。

そういった人間が東南アジアの農村に置いてけぼりにされると、私の姿はあのゆったりとした空気と時間の中で生きる人たちにどう見えただろう。

私の姿は、農村の人間からすると、せかせかして落ち着きがなく、細かいことを気にして、イライラしていて、ひとときもじっとしていられない「おかしな人」に見えるはずだ。

場合によっては、「あの人は精神的に何か問題がある」と思われたかもしれない。彼らの社会では私は何かの病気を持った人だと思われても仕方がなかった。適応した環境が違い過ぎたのである。

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頭の構造が問題視される社会

高度情報化社会は時間を激速化させるので、のんびりした環境で生きていた人の中にはその激速化した社会についていけなくて落ちこぼれになる。社会が変化すると、新しい社会に適合できない人が必ず出てくる。そういった人は、最初に「困った人」として扱われる。

彼らがずっと困った状態のままでいると、どうなるか分かるだろうか。

やがて新しい病名が付けられ、そのうちに病気として扱われるようになるのだ。かつて病気と見なされなかった人も、社会に適合できないでいると「それは病気」なのである。

高度情報化に適した感性というのは、合理的であり、効率的であり、科学的であるというものだ。読み書きも、計算もできなければならない。

農業で生きていた頃は、別に合理的でなくても、効率的でなくても、読み書きができなくても、計算ができなくても、何の問題もなく生きていけた。学習能力がなくても何ともなかったのだ。それは病気ではなかった。

しかし、高度情報化では病気になる。

何度教えても勉強ができない人間は、今では「学習障害」という病名が付けられる。そして、劣っている人間として問題視される。

その学習障害児が人並み以上の体力があったとしても、そちらの方は評価されることはない。頭の構造の方が重要視されて、落ちこぼれとして評価されるのである。

力持ちの男は、農村では「すごい奴だ」と称賛されるだろう。実際、農村では力持ちも役に立つ。しかし、そんな力持ちの男でも、高度情報化社会では扱いが変わってしまう。

彼が計算を覚えようとしなければ、いくら力があろうが、単なる愚鈍な馬鹿くらいの扱いでしかない。高度情報化社会では、知性によって規格化されない人間はみんな不良であり、排除の対象になってしまう。

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病気でない人間でも病気扱いに

高度情報化した社会で重要なのは、何と言っても「効率化・合理化・スピード」である。だから、学校でも家庭でも、しつけというのは「早くしなさい、ルールを守りなさい、正確にしなさい」なのである。

間違えても「力持ちになりなさい、たくさん食べて体力を付けなさい、細かいことはいいから大らかに生きなさい」ではない。そんな教育をしていたら、高度情報化社会では低賃金の単純労働者にされてしまう。

効率化・合理化・スピード……。

ここで重要なのは、こういった社会が求める資質を教育しても身につけられない人間は、「病気」として見なされて矯正の対象になっていくということだ。

何でも効率よく激速でこなせない人間は、「発達障害」と言われて矯正の対象になる。みんなと同じようにできない人間は、他に何らかの優れたものがあっても「障害」になってしまう。

社会が勝手に「ここまでは正常」「これができないと異常」と定義を作って、正常にまで至らない人間は病人と定義する。

病気でない人間でも、社会に適合しないというだけで病気扱いにされていく。本来は病気ではないようなものまで、「社会に合わない」というだけで病気扱いされていく構造を私たちは知っておく必要がある。

たとえば、自律神経失調症という「病気」がある。

疲れたと仕事を勝手に休むのは、自律神経失調症。
急に何もしたくないと思うのも、自律神経失調症。
夜になってもきちんと眠れないのも、自律神経失調症。
満員電車に乗りたくないのも、自律神経失調症。

誰でも休みたいし、面倒なことはしたくないし、眠たくなるのは夜とは決まっていない。しかし、社会がそれを求めているので、仕方がなく社会に「合わせて」いる。

合わせることができなくなると、本当は「社会が悪い」のだが、社会は逆に「あなたが悪い」と糾弾して、あなたを病気扱いにする。

自律神経失調症は原因が分からないことが多いと言われる。それはそうだ。その人が悪いというよりも、ルールを押しつけている社会に問題があるのだから、本当のことを言うと医者は「社会」を診なければならないのである。

いよいよ途上国も、スマートフォンの普及で一気に高度情報化社会に入った。となれば、今後は途上国でもきっと自律神経失調症と認定される人が増えるはずだ。(written by 鈴木傾城)

いよいよ途上国も、スマートフォンの普及で一気に高度情報化社会に入った。となれば、今後は途上国でもきっと自律神経失調症と認定される人が増えるはずだ。

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