快楽のためでなく「生きにくさの回避」から覚醒剤に落ちる人もいる。社会は決して自分の思い通りにならない。自分に苦痛を押し付けてくる。うまく生きられない人は、押しつぶされそうな閉塞感にあえぐ。しかし、覚醒剤は弱い心を強くしてくれる効果もある。ある時点までは……。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
そっと心が壊れかけた人の生活の中に忍び込んでくる
コロナ禍によって2020年の覚醒剤の押収量は前年比で69%も減ったということを財務省は税関による関税法違反事件の取り締まり状況の中で報道している。しかし、それでも全体として約800キロも押収されていた。末端価格は約512億円相当である。
覚醒剤はキング・オブ・ドラッグだ。決して世の中からなくならない。コロナ禍が明けて人の外国人の出入りが増えると、覚醒剤は再び大量に日本に入って来ることになるだろう。そして、再び覚醒剤で検挙されるニュースも増えるはずだ。
それはそっと心が壊れかけた人の生活の中に忍び込んでくる。彼らにとって、覚醒剤は「自分を救ってくれる大切なもの」でもある。
耐えられないほどの絶望、耐えられないほどの自信喪失、耐えられないほどのストレスを抱えている人がいたとする。この人はある日、それを克服する「もの」があることを知る。
覚醒剤……。吹けば飛んでなくなってしまうほどの分量の白い粉をスプーンの上で水に溶かし、それを注射器で自分の身体に打つ。
そうすると、急激に身体が凍るような感覚になって、今まで感じていたはずの絶望が消え、負け犬のような気分は吹き飛んで何でもできるような自信がみなぎる。
そして、今まで重荷に感じていたストレスが、笑ってしまうほど馬鹿げたものに思えて不敵に笑えるようになる。
「覚醒剤(シャブ)を打ったら自分の身体も巨大化したように感じることもありました」
そのように言う人もいる。なぜなのか。それは今まで自分を苦しめていた絶望・自信喪失・ストレスを完全に打ち負かす精神力を手に入れて、世界を征服したような気持ちになるからだ。
覚醒剤というのは、そういう気持ちにさせる凄まじい威力を持ったドラッグなのである。逆に言えば、覚醒剤は絶望・自信喪失・ストレスに苦しんでいる人にとって、「自分を救ってくれる大切なもの」であったと言える。依存症に堕ちるまでは……。
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あなたは覚醒剤が欲しいと思わないだろうか?
快楽のためでなく、「生きにくさの回避」からドラッグに堕ちる人もいる。
覚醒剤に限らず多くのドラッグは、そういう人たちにとって最初から毒薬として目の前に現れるわけではない。毒薬どころか「自分を救ってくれる大切なもの」として登場する。
依存者はこの社会の中で「生きにくい」という気持ちでもがいている。社会は決して自分の思い通りにならない。社会は自分に苦痛を押し付けてくる。そのため、押しつぶされそうな閉塞感にあえぐしかない。
何もない状態では、心もとなく頼りない。弱い自分を支えてくれる魔法が欲しい。自分のこの「心の弱さ」を変えてくれる何かが必要だと切に思う。
そんなものは、あるわけがないと普通は考える。この深い絶望感や苦しみから救い出してくれる「魔法」などありはしないはずだ。世の中はそんな都合良くできていない。
ところが、あった。
覚醒剤は底なしの暗黒から自分を救ってくれる驚異の作用を持っている。ほんの小さな粉が、自分の鬱々《うつうつ》とした感情のすべてを吹き飛ばして、信じられないほどの自信を与えてくれるようになるのだ。
「生きにくい」という気持ちを打ち砕き、堂々巡りの無間地獄から自分を救い出してくれる。これを魔法と言わずに何と言えばいいのか、と感激する。
そして、覚醒剤を知った者は「生きにくい」世の中を、素晴らしい魔法で乗り切るようになっていく。不安は覚醒剤で消すことができるようになり、生きにくさを解消できる。
寝ても寝ても取れない疲労感、退屈な日常、救いのない同じ日々の繰り返し、心の底にずっと沈澱しているヘドロのようなストレス。
そんなものを一気に消し去ってくれるのが覚醒剤だとしたら、それは自分の弱点を補ってくれる大切な存在であると認識しても不思議ではない。
覚醒剤は早い段階で人間の心身をボロボロにしていくが、もし依存のコントロールができるとしたら、あなたは覚醒剤が欲しいと思わないだろうか?
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依存症になっても依然としてメリットを感じている
覚醒剤は自分の心の中にあるネガティブでマイナスの感情を、力強く打ち消してくれるものだ。
誰もが自分の容姿や性格や生き方に何かしらの劣等感を持ち、コンプレックスを持ち、弱点を持っている。覚醒剤はこうした個人の心に潜むマイナス感情をきれいに消し去って強い心に置き換えてくれる。
意欲を呼び戻し、不安を解消し、対人関係における緊張を消してくれる。だから、ある時点まで覚醒剤は、その人の人生にメリットを与えているのである。
すべてのドラッグは、強く執拗な依存症を引き起こしてその人の人生をめちゃくちゃにするまで、その人にメリットを与えている。
アルコールもそうだ。アルコール依存に陥ると、思考能力が低下し、判断能力が低下し、生活能力も身体能力もすべて低下してしまう。
しかし、依存に堕ちるまでの間、アルコールは覚醒剤と同じでその人の絶望や自信喪失やストレスを消し去るという大切な役割をその人の人生の中で担っていたはずなのだ。
つまりアルコールの酩酊は、その人に取っては大きな意味があったのである。
アルコールは、少なくとも依存症になる前は、嫌なことを忘れさせて自分を救ってくれる「大切なもの」だった。「生きにくさ」を感じてふさぎ込んでいる自分の境遇を忘れさせてくれる魔法でもあった。
だから魔法を多用し、手放せなくなり、効果がなくなり、依存し、より悪い方向に転落してしまった。それが自分の人生に効果がなければ、最初から依存症に堕ちていなかった。
問題なのは、すべての依存症は副作用に苦しめられながらも、やはり依存症になっても依然としてメリットを感じ続けているということだ。
つまり依存症になりながらも、ドラッグによって相変わらず絶望や自信喪失やストレスを消すことができている。
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抜けられても地獄から逃れることは決してできない
それは何を意味するのか。これは、仮にドラッグ依存が奇跡的に治っても、その人は幸せになるわけではないということを示唆している。なぜか。
ドラッグが消えると魔法も消えるからだ。
その人は依存する前は、今の社会で「生きにくさ」を感じており、漠とした不安な気持ちから抜け出せなかったはずだ。それをドラッグで消していた。
それなのに、ドラッグが消えるとどうなるのか。確かに依存症は治るのだが、今度は底知れぬ深い絶望や、自信の欠如や、生きにくさからくる強いストレスが一気に襲いかかってくる。
自分の弱さを補ってくれていた「大切なもの」がなくなってしまうのだから、その不安感はドラッグを知らなかったときよりも深いものになっているはずだ。
そのとき、依存者の頭の中に巡る気持ちは「この絶望と自信喪失とストレスを消してくれる魔法を取り戻したい」というものになっていく。
「あれを取り戻せば、この救いがたい憂鬱が消える」
自然にそう思う。一度でも魔法が自分の身体に作用したことを知っていると、「あれがあればなぁ」と思ってしまっても不思議ではない。
「あれ」を再び手に入れないと、今の自分を覆い尽くしている苦しみは絶対に消えない。このストレスから逃れられない。やるせない気持ちが払拭できない……。
「生きる苦しみ」から逃れたいと思ってドラッグ依存に堕ちた人は、ドラッグを取り除いても、再び「生きる苦しみ」に直面するだけである。ドラッグが消えたから幸せになるわけではないのだ。
ドラッグを排除しても、生きにくさがそこにある限り、地獄から逃れることは決してできないということである。
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